ちいさな窓

あめのちあめ

ちいさな窓

初めての記憶は車窓から見える青い空に絡む雲。まだゆりかごに乗せられていたであろう私に配慮してくれていたのだろう、ゆっくりとしたペースで移動する景色がなんだか不思議でたまらなくて、お腹が空くのも忘れて見入っていた。太陽が時折かくれんぼをしていたのが、なんだか羨ましかったように思う。窓というのは不思議なもので、風景を切り取ってしまうから、これも本当の記憶なのかは定かではない。

小学校、中学校、進学するにつれて、私の背は高くなり、窓は窮屈になっていったように思う。

誰もいない教室で一人、窓にぺたりと両手をついて考えたことがある。開かれているはずのガラス越しに見える景色は果たして本物なのだろうか、この雨模様がぺろりとめくれて晴れになったり、別の世界だったりしないのだろうか、そんな空想をするのが好きだった。

大人になると小さな窓の車に乗って、色々なところへ旅をした。フロントガラスはとても狭くてピラーの主張が強い車だった。もちろん窓ガラスはすべて軽自動車より小さくて、海辺を走ると運転席の脇はどんな瞬間も撮り逃がさない、一瞬一瞬の景色を綺麗に切り取る名カメラマンだった。

更に大人になると、白い壁とカーテンで区切られた部屋で過ごすことが多くなった。一定の気温に保たれた中では何も大きな変化がなく、看護師のシフトと少しだけ食事が違うくらい。自力で体を起こすことが億劫になっても、電動ベッドを操作して体を起こすことで、毎日少しだけ見える窓を眺めることが好きだった。木々の葉が芽生えて、青くなり、暖色になり、散る、それを一年かけて繰り返す。空の青も雨の灰色も朝と夜の長短もすべて切り取られた世界。

もうあの頃のように窓に手をぺたりとつけて時間を気にせず豊かな妄想に浸っていた頃には戻れないけれど、ただひたすらに地球も季節も巡ってゆくことを見ることができるのは、ここにいるうえで最高の贅沢だと感じる。

いつも通り暮れゆく空のグラデーションを見ているとパタパタと音がして、今日はどうでしたか、とすっかり顔見知りになった気の良い看護師が視界の端からひょいと顔を覗かせた。

いい日よ、とても、おかげさまでね、といたずらっぽく付け加えるとそれはそれは良いことですと言いながらカラカラと笑った。彼女は声を低くしながら、今日は満月だそうなので、こっそりカーテン開けときますから、といたずらっぽく唇に人差し指を当てる。ちょっとだけ悪いことを共有するのは大人になっても楽しいことね。私も声を潜めて、分かったわ、ありがとうと返事をする。


たまに足音が廊下から聞こえるだけの空間で、丸い黄金色がポッカリと浮かんでいた。静寂、静謐、静静、黒が導く光の反射、うさぎの餅つきは見られなくなってしまったけれど、のんびり屋さんの脳はちゃんと何十年も変わらない輝きを届けてくれる。


自力で呼吸を始めてから、自分で選べない終わりまでの間、確かに私は私らしく生きられた。それをずっと無言で支えてくれていた辛抱強い太陽と月に感謝して、私は重くなったまぶたを閉じた。

最後の窓は、今までで一番小さくて、私以外のためのもの。綺麗にしてくれるとうれしい、好きな花もいっぱい添えて、どうかみんなの笑顔が見られますように。

今、心臓が仕事を終えた。お疲れさま。わたし。

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