母娘への応援コメント
「注目」からお邪魔しました。
きっと「母」も悪気なく、でも自分の価値観だけで子どもを見てきたのでしょうね。
その「価値観」が子どもの「花芽」を無惨に摘み取っているとも思わず、自分か思う形に育ったと思っているのかも。
そう思いました。
でもその子育てがここできちんと断ち切られたことはスゴいことだと思います。
自分がされて辛かったことを我が子にしてしまうのではなく、してほしかったことを為す。
きっとこの幼い「木」の花芽は大きくなったら数多く匂い立つように咲き誇るのでしょうね。
作者からの返信
小烏 つむぎさん
コメントありがとうございます!
母にはもちろん、悪気はありません。
よかれと思ってやっています。自分がしていることが「花芽」を摘んでいるなんて、少しも思っていません。
でも、傷つきますよね?
だけど、人間って、ちゃんと自分で自分を育てられるんじゃないかなあって思っています。
そうして、自分がしてあげたかったことを、子どもにして、花芽を育ててあげられる。
そうして、匂い立つように咲き誇るんじゃないかと思うのです。
母娘への応援コメント
毒親の負の連鎖が断ち切られてよかった…
。・゚・(ノД`)・゚・。
前半の花目が切られ、捨てられていく場面。
切り捨てる母親にとっては、ほんとうにスッキリと清々する行為なのでしょう。
それが、娘からすると未来を奪われるものに見えるとは。
やはり、
母子といえども、別の人間なのです。
子どもは親の分身ではないし、親の所有物でもない!
それを強く感じさせる
「しまこ節」(←今、とっさに命名。仮名で)
今回もお見事でした。
今回は、最後に救いが見られたから余計に。良かっです。
作者からの返信
結音さん
実はね、この庭木を切っちゃったのはわたしの母なんです(そこだけ実話)。
正直、認知症を疑います。
だけど、彼女もこれで何やらストレスがなくなったみたいだから、
いいかなあって思って、好きにやらせておきました。
だけど、南天も咲かないしハコネウツギも咲かないし、紫陽花も花が少ないし。
なるほど、秋冬の花芽って大事だなって思ったんです。
母と子は別人格。
でも、どうも、母と娘は密着しやすいですよね。
それはやはり違うと思うんです。
「しまこ節」!!
命名ありがとうございます!
人間はしなやかで強くて、ちゃんと自分を育てていけると思います。
次世代には花芽を摘まないように出来るはず。
希望はいつもそこにあるのです。
母娘への応援コメント
『継承』ではなく『更新』で希望につなげましたね!
無自覚な毒親にやられ、気がつくと同じになっていることも多い思います。
つらい経験が、連鎖を断ち切ったのですね。
爽やかな結末でした。
作者からの返信
浅里絋太さん
希望があるお話が好きだなあ、とやはり思うのです。
毒親、という言葉がありますが、
親になってみると、いったい全体どうしたらいいのか分かりません。
きっと、志緒子の母親も苦しいことがあったのではないかと。
でも、だからと言って、否定するのは駄目だと思います。
そういう葛藤の中で、娘を愛していこう、とする姿を描きたかったのです。
ありがとうございました!
そうそう。
浅里さん、わたし、あの蛇の話、とても好きです。
あの文章がいいです!!
あの雰囲気で、あの文章で、また何か書いてください!
編集済
母娘への応援コメント
拝読しました。
「南天」と似た感じだったのであちらも再読してきたのですがだいぶ印象が違いました。こちらでは二つの母娘が書かれていて、更に深みを感じます。
志緒子が美緒を抱き上げて温もりを感じるシーン。とても良いシーンなのですが、志緒子と母の時はどうだったのだろうと想像せずにはいられません。
一人称で語られる母の様子は少し周りを気にしたような自分本位にも取れますが、良い母の姿も覗き見えて、お互いの温もりで花芽をつけたこともあったと思いあえたらと願うのです。
そして名前が素敵。志緒子と美緒。母の名前にも緒がついてたら素敵だなぁと妄想。
堪能させていただきました。
作者からの返信
島本葉さん
鋭いです!
そうなんです。ある意味、「南天」の続きのような話です。
(南天は冬、ハコネウツギは夏)
母と娘の関係は、とても複雑なのではないかと思います。
無自覚に傷つけあったりする。
その傷は深く残ったりする。
悪気がなかったりもする。
でも、自分で生き直していくことが出来るんじゃないかなあと思うのです。
緒は、たま(魂)のお の、お。
結びついているよ、優しく。
というイメージでした。
母娘への応援コメント
ハコネウツギについて調べたが、どうにもいいイメージが沸かなかった。
・赤と白の花→源平合戦。現代では、左右の激しい党派対立。
・挿し木による増殖→SNS上における、対立構造の増殖。ソメイヨシノのような、コピーして増やされる似たような悪文。
・空洞の茎→中身空っぽで非建設的な、悪口の応酬
・・以上より、ハコネウツギは「現代SNSの喧嘩空間の比喩」だと思いました。そう考えた母が切り取っても、おかしく有りません。
志緒子の母の行動は、確かに毒親的ですが。まだマシな方で「更に劣悪な毒親」には、なりきれなかったと思います。それで娘さんも、ギリギリで持ちこたえる事ができたのでしょう。
妊活の苦労、辛い検査の連続、妊娠中の体調不良と苦痛、分娩の激戦、子育ての為の知識詰め込みと、その実践の苦労。
数多の積雪と雪崩を乗り越え、女は母となっていきます。志緒子が冬の先に得た、平凡で温かな光。試練と喜びが、交互に訪れる、人生の縮図のような作品でした。
作者からの返信
殉教@休眠中さん
コメント、レビュー、ありがとうございます!!
実は、ハコネウツギについては全然知りませんでした……
我が家のハコネウツギが咲かなくて、こんな話を書いてしまいました(汗)。
きれいな花なんですよ、ハコネウツギ。
母は無自覚に切り取った、というつもりで書きました。
無自覚ということは、決して改善されないのです。
これまで何度となく、訴えてもついに変わってもらえなかった、
そういう苦い思いも込めてみました。
だから、何も言わないのです、志緒子は母に。
もう諦めたのです。
でも、未来はある。
自分は変われるし、娘は違う。
未来は自分でつくっていけるのです。