episode 3 正規雇用試験の場
間宮良介視点
生徒達がそれぞれ部屋に向かってホールから出て行った後、俺達講師陣は小さな会議室に移動して、運営スタッフから説明を受けていた。
「――といった感じで説明は以上になります。なにかご質問ありますか?」
スタッフが俺達にそう尋ねると、斎藤さんが挙手して手元にあるプリントから視線を上げた。
「あの、最終日の講義が生徒達によるアンケート制というのは?」
「それは7日目の講義が終わった後、生徒達全員にどの科目の講義をどの講師から受けたいかというアンケートを実施して、最終日はその結果に基づいて講師を振り分けるというものです」
斎藤さんの質問にそう答えるスタッフに、今度は奥寺さんがそれだと偏らないかと2人の話に割って入った。
「ええ、偏るでしょうね。参加を希望する生徒の多い講義もあれば、逆に殆ど生徒のいない講義がある可能性もありますね。ですが、どうしてそんな事をするのかは、ここにいる皆さんならご理解していただけるのでは?」
スタッフが若干の煽りを含んだ返答をした途端、周りのいる講師達の目つきが変わった。
「もう質問がなければ、これでミーティングを終わります。講師の方々には個室を用意していますので、荷物の整理と昼食を終えたらスケジュール通りに講義にはいって下さい」
そう言われた後に待機していた他のスタッフから部屋の鍵を受け取って、準備に取り掛かろうと会議室を出ようとしたところで「ちょっといいかしら」とミーティングに一切口を挟まずに静かに座っていた天谷社長に呼び止められる。
「あなたに大事な事を言い忘れてたわ」
「大事な事ですか?」
事前に天谷社長本人から粗方説明は受けたはずだと首を傾げる俺を、天谷社長は誰もいない通路脇に移動させる。
「この合宿に趣旨についての説明がまだなのよ」
合宿の趣旨? そんなの生徒達の学力を上げる事以外になにかあるんだろうかと、俺は何も言わずに天谷社長の説明に耳を傾けた。
「え? 正規採用の最終試験ですか?」
「ええ、そうよ」
天谷社長の話によると、この合宿の趣旨は2つあると言う。
1つは当然参加した生徒達の学力の底上げではあるのだが、もう1つの趣旨というのが、このゼミに正規雇用する講師達の最終入社試験の場でもあると言うのだ。
そこで1つ腑に落ちた事がある。
それはついさっきの壇上に並んで挨拶をした件だ。
不思議だったんだ。俺はともなく他の講師はゼミで顔を合わせているはずなのに、何故改まってそんな事をしたのか。百歩譲って簡単な挨拶だけならまだしも、各講師に質問とか今更だと思っていたから。
だけど、講師達と生徒達が初対面だったのなら納得だ。それに7日目にアンケートを実施するなんてゲームみたいな事をするんだなと思ってたけど、その結果が採用する判断材料になるというのなら、俺以外の講師達の目つきが変わったのも更に納得した。
「なるほど。そういう事情だったんですね。それにしても大胆というか大丈夫なんですか?」
「ん? なにがかしら」
「この合宿に参加してる講師は私も含めて正規雇用されている講師ではないんですよね? そんな人間に大切な子供の将来を委ねた親御さん達の気持ちを考えたら……」
「あぁ、間宮君の言わんとする事は分かるわ。でも、そこは心配しなくて大丈夫よ。事前に個人個人のデータを集めて傾向と対策はすでに講師達に伝えてあるし、そもそもここまで候補を絞り込んだのは私だから」
受験生の貴重な時間を雇用試験の場に利用するわけじゃなく、あくまで生徒ファーストを心掛けていると言う天谷社長の表情は自信に満ちていた。それだけ準備に余念がなかったという事なんだろう。
「そうですか。まあ天谷社長がそう仰るのなら間違いないんでしょうね――あれ? 傾向と対策? すみません、私は何も伺ってないのですが……」
各講師達に伝えてあるという傾向と対策とやらを俺は何も聞かされていない。そんなデータがあるのなら、それらを活かした講義を展開するべきだろう。
「何を言ってるの。貴方にはそんなもの必要ないでしょ?」
「え? いや、でも……」
「貴方にはアレがあるでしょ。私は貴方のアレを期待してオファーしたんだから」
天谷社長が言うアレが何なのかは理解してるし、準備はしてきている。だけど、アレを行うだけなら俺でなくてもいいはずなのだ。天谷社長にもアレは出来るのだから。
「社長がそう仰るのなら……わかりました」
言いたい事はあるが、これ以上掘り下げない方がよさそうだと話を切り上げたところで、天谷社長が本題を切り出す。
「それで間宮君にお願いしたい事があるんだけど」
「はい。なんでしょうか」
「この合宿が正規雇用の最終試験場になるわけだけど、貴方は対象外じゃない?」
「そうですね」
「だけど、その事を合宿中は誰にも話さないで欲しいのよ」
自分は他の講師と違ってあくまで依頼された臨時講師であって、正規雇用面接を受けてる人間ではないから対象外なのは当然だ。だけど、その事を周囲に隠すというのはどういう事なんだろうか。
「それは構いませんが、よろしければ理由を伺っても?」
「間宮君以外の講師達は皆正規雇用をかけて戦うライバルなのよ。表にはださないけど、この会場に入った時からバチバチと臨戦態勢に入ってるわ」
天谷社長のゼミの正規社員の雇用条件を知ってるわけじゃないけど、これだけ入念に試験を行う程だから相当な好条件なのは何となく分かる。
だからこの中で採用される人間と振り落とされる人間がいるわけだから、講師同士がライバル視するのも当然だろう。
「そんな中で貴方だけ試験対象に入っていないと知れたらどうなると思う?」
「どうって……あっ」
そこまで話を聞いてある事に気が付いた。
「そう。貴方がライバルじゃないと知れば……」
「他の講師の気が緩む恐れがあるというわけですか」
「その通りよ。雇用試験だけを考えればそれでも構わないわ。そんな人間なんて全員不採用にすればいいだけよ。だけど、そんな気の緩んだ状態で大切な生徒達に講義されるのは困るのよ」
なるほど。この場が雇用試験場であっても、それはあくまで趣旨の1つであって、最も重要なのはこの合宿に参加した生徒達という事だ。その生徒達の講義の質を落とすなんてあってはならないというのが、俺に黙っていろという理由なら納得だ。
「なるほど。それは確かに仰るとおりですね」
「約束してもらえるかしら」
「勿論です」
「ありがとう」
にっこりと微笑んで礼を言った天谷社長は仕事があるから東京に戻ると、そのまま施設を後にした。
俺は天谷社長を見送った後、荷物を整理する為に指定された部屋に向かう。
「しかし営業職の俺が、また予備校の講師をする事になるなんてな……」
部屋で荷物を整理しながら、俺はこの合宿に臨時講師として参加する事になった経緯を思い返す。
☆★
あれは20日程前の話になる。
取引先である天谷社長自ら直接電話で大事な話があるから来て欲しいと言われて、すぐさま社長がいる本社へ向かった。
「急に呼び出して悪かったわね、間宮君」
「いえ、問題ありません。それで大事な話というのは……」
「ええ、間宮君。ウチの夏季合宿に英語の臨時講師として同行してもらえないかしら」
「…………へ?」
思わず間抜けな声が出てしまったのは仕方がないだろう。いきなり営業職の俺に講師をやれと言われたんだから。
「合宿に参加させる英語の講師がどうしても1人足りなくて困ってるのよ」
何も反応出来ない俺を置いてきぼりにして、天谷社長はどんどんとオファーを出した経緯を話しだした。
「そこで学生時代にウチで英語の講師を任せていた間宮君に、白羽の矢が立ったわけ」
「いや、知らんがな」と言えればどれだけ楽な事か。確かに学生の時に講師としてバイトしていた時期があったし、当時専務だった天谷さんには色々と相談にのってもらったり世話になった。
……しかし、だ。
「ち、ちょっと待ってください。だからといって私が合宿の講師なんて無茶ですよ!」
「あら、そんな事ないわよ。貴方の実力は私が一番知ってるんだもの」
俺の実力……。天谷社長がそう表す具体的なものはわかっている。
そして、どんな結果を期待しているのかも。
しかし、当時とは違ってデジタル全盛期の今。今更あんなアナログな講義方法を……しかも天谷のゼミにデジタル設備を売った張本人がやっていいものなのか?
まだ新人駆け出しの時、縋る思いで売り込みをかけて契約してもらった経緯がある。数ある売り込みがあったにもかかわらず、天谷社長は俺の拙い営業を汲んでくれたんだ。
だから機会があれば恩返しをしたいとは、常々考えてはいた。その想いを知ってか知らずかその機会を与えてくれたと考えればいいはずなんだけど……だからと言って、まさか講師をやれって言われるとは思いもしなかった。
「し、しかしですね……」
天谷社長に恩返ししたい気持ちに嘘はないけど、やっぱり将来のかかった受験生の人生に関わるなんて大役は俺には無理だ。
そう結論付けて断ろうとした時だった。
「勿論、タダでとは言わないわよ? 合宿は7泊8日で行うわけだし、貴方の会社も首を縦に振らないでしょうからね」
「……というと?」
「間宮君がここ半年間頻繁にウチを出入りしてたのは、そろそろシステムの入れ替え時期が近いから売り込みをかけてたわけでしょ?」
「え? ええ……まぁ、そうですね」
「なら、間宮君が今回の私の依頼を引き受けてくれたら、新システムを貴方から買ってもいいって言ったらどうするかしら?」
「ほ、本当ですか!?」
マジか!? マジなのか!?
いや、それを望んで通い詰めてはいたんだけど、どこかで流石に連チャン契約は虫が良すぎるかとか思ってた……んだけど、マジなのか!?
確かにこんなビッグ商談という大義名分があれば会社も8日間でも一か月でも行ってこい!って即答されそうだけども!
「知ってると思うけど、私は虚言は吐かない主義よ。それに入れ替えの話は以前から出てきた案件だったし、どうせならこの案件をお互い最大限に生かした方がいいものね」
まさしくド正論でぐうの音も出ない。というか出す必要性がまったくない。
「ただね。他社も調べがついてるみたいで、連日売り込みに来ているのも事実でね。システム自体も今のと比べて全ての面で良くなっていたわ」
俺が今のシステムを売ってからの期間を逆算すれば、業界人なら容易に入れ替え時期を割り出すだろう。
そして天谷社長の案件を契約に持ち込めたなら、利益から言えば最低でも金一封。会社の規模によれば昇格さえありえる。それだけの商談なのだから他社が雪崩れ込んでいても全く不思議ではない。
「そうでしょうね。勿論弊社のシステムも画期的な――」
「――でもね、間宮君。正直どこのシステムも団栗の背比べだとも思ったわ」
「……はい」
完全にビジネスモードにスイッチした天谷社長に、自社の製品アピールをしようとしたのを封じられた。
アピールしようとはしたが、実のところ俺も天谷社長の言う事を肯定していたりする。他社の全部を把握しているわけではないが、有名どころの製品は隈なくマークしている俺としても、団栗の背比べという表現は言い得て妙だと思ったから口を挟むのを止めた。
「じゃあどこで判断するかなのだけど。大半はコスパを考えるんでしょうね」
「……そうですね。仰る通りだと思います」
「確かに値段を含めたコスパも大切ではあるけれど、私は価格以外のプラスαがあるかないかと思うのよ」
「プラスαですか」
「ええ。私が間宮君に求めているものが、それだとは思わない?」
「なるほど。確かにそうですね」
用意周到というか、完全に天谷社長の筋書き通りに話が進んでいる。
だけど、商談の件を含めて抵抗しようと思わないのは、まさに天谷社長の手腕によるものなんだろう。カリスマ経営者として経済紙を賑わせたのは伊達ではないというところか。
「わかりました。一応この話を持ち帰って上に判断を委ねるつもりですが、個人的にはそのお話受けたいと思います」
「まぁそうね。ただし合宿まで1ヶ月もないから、正式な返事は5日以内でお願いできるかしら?」
「はい。必ず期限までにお返事させていただきます」
☆★
という経緯で今ここにいるわけだ。
社長が俺に期待するものはアレしかない。確かに当時は強力な武器になってくれたが、今の若い連中にハマるかどうかは未知数だ。
とはいえ、確かに臨時講師の話を受けたら商談させてくれるという条件だったが、どうせやるのなら結果を残したい。そうしないと俺の中で天谷社長に恩返しをしたと思えないから。
「やってやるさ。参加してる連中に明るい未来を見せてやろうじゃねえか」
荷物整理を終えて、これから始まる講師生活にモチベーションを跳ね上げる俺であった。
因みに会社へ持ち帰った話の結果は、過去最速でGOサインが出てのは言うまでもない。
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