残された証拠

「うーん! 広いねえ!」


 能登羽が事件現場のトレーニングルームを見渡している。


「こんなトレーニング器具がいっぱいあるなんて、圧巻だねえ。」

「そうですね。でも、今回はそのトレーニング器具で起きてしまった事故のようです。」

「事故? 決めつけは良くないといつも教えているはずだよ~。」

「すいません。ですが、現場を見た感じ、被害者である桑原竜輝は足を滑らせて、ダンベルに頭をぶつけたようです。」


 能登羽は死体のある場所に向かう。ダンベルがたくさん置いてある所に、右手にダンベルを持った死体があった。死体は仰向けで頭から血を流して、床に大きな血溜まりができている。死体の頭はダンベルを枕にするように寝そべっている。


 そして、死体の足元には白いタオルが置かれている。そのタオルは汗を含んでいるようで、タオルの置かれた床は湿っていた。


「なるほど、自分の汗を拭いたタオルを床に置いていて、そのタオルに足を滑らせた。そして、運悪く置いていたダンベルに頭をぶつけて、絶命。


 そう言った理由で、神宮司君は事故と判断したわけだね。」

「そうですね。」

「じゃあ、観察が甘いね。」

「なぜですか?」

「ここ!」


 能登羽はダンベル置きを指差した。ダンベル置きには重量に応じて、大小さまざまなダンベルが置かれている。そのダンベル置きには被害者の血が飛び散っており、ダンベルにも血が付いていた。


「このダンベル置きには血飛沫が付いているね。でも、1つだけ付いていないところがある。」


 能登羽はダンベル置きのダンベルが置かれていない場所を指差した。


「ここはおそらく、被害者が右手に持っているダンベルがあった場所だろう。


 ここから推測されることは、誰かがダンベルで被害者を殴り殺し、事故に見えるような工作を行ったってことだね。」

「それはどういうことですか?」

「まず、犯人はダンベルで被害者を殴り殺した。しかし、このままでは、殺人として捜査が始まる。


 だから、犯人は殺したダンベルとは別のものを被害者の右手に持たせた。こうすることによって、被害者がダンベルでトレーニング中であったと見せかけるためだ。


 そして、凶器として使ったダンベルを被害者の頭の下に置き、足元に汗で湿ったタオルを置いた。これで、ダンベルでトレーニング中、被害者は足をタオルで滑らせて、ダンベルで頭を打ったことになる。」

「つまり、殺人だったということですか?」

「そうだね。


 で、この被害者の死亡推定時刻は分かるの?」

「少し待ってください。今日は私も今来たものですから、現場の状況を軽く確認しただけなんです。」

「そうなの? じゃあ、そこの君? 何か知っていることはある?」


 能登羽は近くにいた警官に話しかける。


「はい? 私ですか?」

「そうそう! 君、君! この事件は事故だってことになっているの?」

「いえ、この事件は殺人と聞いています。」

「それはなぜ?」

「第一発見者がシャワールームから怪しい人物が出たと証言しています。」

「シャワールーム? なぜその人物が怪しいと分かったの?」

「その第一発見者と犯人らしき人物がぶつかった時、血の付いた服とバスタオルを落としていったそうです。」

「ほう。


 つまり、犯人は被害者を殺した後、シャワールームで返り血を落として、服を着替えた。そして、血の付いたバスタオルと服を持って帰ろうとしたが、第一発見者とぶつかってしまった。で、その服とバスタオルを置いて行ってしまった。


 そういうことかい?」

「そうですね。」

「第一発見者は今いるのかい?」

「ええ、シャワールームの近くで事情聴取をしています。」

「シャワールームはどこ?」

「この奥にある出口を出たらすぐにシャワールームです。第一発見者が犯人らしき人物とぶつかった場所の近くは、血で汚れていますからすぐに分かると思います。」

「なるほど。ありがとう。」

「いえ。」

「じゃあ、そのシャワールームに行こうか? 神宮司君?」

「はい!」


_____________________________________


「確かに、血がべっとりついているね。」


 能登羽が見つめる壁には、広範囲に渡って血で汚れていた。腰下くらいの高さから床の下まで、べったりと血が付いていて、まだ乾いていないようだった。その血は床の絨毯まで赤く染めていた。


 その血で汚れた壁の下には、血で赤くなったバスタオルと黒いパーカーと黒いジャージのズボンが落ちていた。


「これまた大胆に血を付けたねぇ~。」

「こっちで犯行が行われていてもおかしくないくらいですね。」

「まあ、この壁だけに血が付いているだけだし、床には血が付いていないから、ここで殺されたことは無いと思うけどね。」

「そうですね。」

「ところで、あの人が第一発見者?」


 能登羽は肩幅の広い男を指差す。この通路は狭いので、その肩幅の大きい男は通路に肩が擦れそうなほど大きかった。


「そのようですね。」

「やっぱり、ジムに来るだけあって、いい体してるねぇ。」

「そうですね。」


 能登羽はそのがたいのいい男に近づく。


「どうも!」

「どうも。」

「お名前は?」

「野尻です。野尻良平です。」

「野尻さんですか。野尻さんは随分いい体されていますが、こちらのジムでトレーニングされているんですか?」

「はい。一応このジムのゴールド会員ですね。」

「では、桑原さんについても知っていらっしゃいますか?」

「桑原? 殺された人は桑原って言うんですか?」

「知らないですか?」

「はい。」

「それでは、何回も聞かれてうんざりだと思いますが、犯人とすれ違った状況を教えてもらえますか?」

「ええ、分かりました。


 私はこのジムに忘れ物をしたことに気が付いて、その忘れ物を取りに来たんです。時刻は夜中の11時くらいでした。そしたら、このシャワールームから男が出てきて、私はついついぶつかってしまったんです。


 そしたら、そのぶつかった男がその壁にもたれかかるように倒れていたんです。そしたら、壁が血でべっとりで、バスタオルと服が落ちていました。私は状況が理解できないまま、男に逃げられてしまいました。


 そして、私が大量の血から誰かが殺されたのではないかと考えました。なので、トレーニングルームに向かうと、誰かが血を流して倒れていたんです。」

「……なるほど。」

「まさかこんなことになるとは……。」

「いくつか質問してもよろしいですか?」

「はい。」

「あなたとぶつかった男はどのような体付きでしたか?」

「確か、あの刑事さんくらいだと思います。」


 野尻はそう言って、神宮司を指差した。


「なるほど、結構がっちりしていたということですね。」

「はい。」

「では、あなたは通路のどこを歩いていましたか?」

「はっきりとは覚えていないですけど、その血の付いた壁と反対側だったと思います。」

「ぶつかった時、あなたは止まりましたか?」

「……はい、急にシャワールームから出てきたので、ぶつからないために止まりました。しかし、相手は急いでいたので、真正面からぶつかることは避けられませんでした。」

「……う~ん。そうなると、少しおかしいですね。」

「……おかしい?」

「はい、おかしいです。」

「どこがですか?」

「あなたとぶつかった相手がこの壁に打ち付けられたことです。」

「どういうことです?」

「あなたは血の付いた壁とは反対側を歩いていた。そして、犯人と思われる人物とぶつかった。その反動で、犯人らしき人物はこの壁に打ち付けられた。


 しかしですね。あなたはぶつかる前に止まっていたと発言した。そうなると、あなたが犯人を壁に叩きつけた訳じゃなくなる。


 この壁に付いた血は結構高いです。私の腰ほどの高さになります。大体、1mくらいでしょうかね。そうなると、あなたが犯人を手で突き飛ばすくらいじゃないと、この壁の高さに手に持った血のバスタオルや服を押し付けないと思うんです。」

「それは、相手がよろめいてと言う可能性もあるのではないですか?」

「どうでしょうかね? 相手は神宮司君と同じくらいがっちりした男性だったんでしょう。なら、よろめくほど体幹が無いとは思えません。


 仮に、体幹が弱かったとしてもです。犯人はこの壁ではなく、床の方に尻もちを搗くと思うんです。


 だって、あなたは犯人とぶつかる前、歩くことを止めたんですよね。そうなると、犯人と真正面からぶつかると、犯人は後ろに飛ばされると思うんです。だって、真正面にぶつかったんですから、斜めに飛ばされる力は働かないと思うんです。


 そして、たとえ、斜めに飛ばされても、さっき言った高い場所に血が付いている理由を説明できません。」

「つまり、私が犯人だと?」

「いえいえ、そういう訳じゃなく。証言が正しいのか疑っているだけです。それだけで、あなたを犯人だとか疑っている訳じゃありません。


 あなたは何事も包み隠さない性格だと思うので、証言が曖昧になっているだけではないですか? よく思い出してください。」

「……ああ、そうでした。私は忘れ物をすぐに回収してしまいたかったので、急いでいたんです。だから、犯人とぶつかった時にも犯人を突き飛ばしてしまいました。腕を振って走っていたので、その腕振りで犯人を反対の壁に付き飛ばしました。」

「そうですか! それなら、納得です! じゃあ、今すぐその犯人を捜さなくてはなりません。 顔を覚えていますか?」

「はい。」

「なら、後で、似顔絵作成にご協力お願いできますか?」

「はい、もちろんです。」

「それでは、証言ありがとうございます!」

「いえ。」


 能登羽が一礼すると、野尻は別の刑事に連れていかれた。似顔絵作成に見せかけた時間稼ぎだ。


「さあ、野尻が犯人である証拠を探すよ。」

「やはり、犯人は野尻なんですか?」

「そうだろうね。証言が曖昧だし、それに……。」

「あのがたいのいい体なら、被害者に力で勝てそうですもんね。」

「……それよりも、これ何?」


 能登羽は血の付いた壁の上部を指差す。


「どうやら、傷ついているようですね。」


 能登羽がその傷ついた壁を指でなぞる。


「どうやら、壁紙が破れて、中の木が出ているね。木のとげが出ている部分もあって、やすりみたいになっているね。指を擦りむいてしまった。」

「大丈夫ですか?」

「ああ、血はそこまで出ていないから大丈夫だね。」


 能登羽は神宮寺を壁に押し付けた。


「何するんですか!?」

「で、君の方は傷ついた?」

「いえ、スーツが傷ついて、意図がほつれているだけです。」


 能登羽はにやりと笑う。


「これで分かったね。犯人は野尻だ。」

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