草原の天馬

花ケモノ

プロローグ

 真夏の青空は抜けるように青く、地平線に入道雲を浮かべていた。太陽を遮るものは無く、直射日光が降り注ぐ。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、」

草原を駆けていく。白馬はくばはワンピースを着ていて、足を蹴出す度裾が膝の上までまくり上がった。裸の足は汗で濡れている。ワンピースの裾はふくらはぎにべっとりとまとわりつき、時々引きつれると破けそうに軋んだ。今朝まで降っていた土砂降りの雨は生い茂る草に生気を与えた。草は鞭のようにしなり、白馬の足を打つ。地面はぬかるんで、何度も滑りそうになる。その度に白馬は膝に力を込めた。白馬の沸騰しそうな体は汗を滝のように流し、顔は上気して真っ赤だった。

「はぁーっ、はぁーっ、」

白馬は突然立ち止まり、前を見据えた。誰か居る。

 ここは競馬場跡地で、白馬が走っていたのは丁度かつてのコースの上だったらしい。白い柵の一部と、どこから飛んできたのか、厩舎のトタンの一部が折り重なり、そこだけ草が倒れて生えていた。丁度敷物を敷いたように生える草の上に、一人の男がしゃがみこんでいた。男の黒い縮れ毛からは汗が滴り落ちている。汗はまぶたの上に落ちて、その度に男は、ぱちくりとまばたきをした。

 白馬は男に歩み寄った。男は微動もせず、白馬を見据えていた。白馬は男と真正面から向き合い、膝を折ると膝立ちになった。こうすると視線の高さがだいたい同じになる。見つめ合う二人。

 草が風に流され、ザワザワと音を立てた。白馬は男を見詰めたまま、汗で濡れた髪をかきあげた。飛んだ汗の雫が男にかかる、二人はそのくらい近距離で向かい合っていた。

「ふうーっ、ふうーっ、」

白馬は呼吸を落ち着かせようと肩で息をした。喉がひどく渇いている。つばを飲み込もうにも口の中はからからに渇いている。

「うっ、」

白馬は口元に手をあてがった。吐くのかもしれない。男は思わず身を引いた。

「あっ、・・・うっ、うっ・・・」

白馬は泣き出した。一層上気した全身を震わせて、何度も手と腕で顔を拭った。終いにはワンピースの裾で顔を拭い、その度に痩せた太ももがあらわになった。男はそれを表情も無く眺めた。ワンピースの裾は草の汁を浴びて青いにおいがした。膝はぬかるんだ地面に汚れ、泥は白馬の体温と同じくらいの温度をしている。

「ひっ、」

二度ほどしゃくりあげた後、白馬は泣き止んだ。喉を上下させるとやっとつばを飲み込み、男を見据えた。男は先程から変わらない様子のまま、白馬を見ていた。白馬はほんの数歩、膝で男に歩み寄った。しばらく見つめ合った後に、白馬は手を伸ばして男の頬に触れた。男は身動きひとつせず、白馬を見詰めている。

〝なんて黒い瞳だろう。〟

白馬はそう思い、わずかのいとま、見とれた。男の頬に触れた手をすべらせ、白馬は男のうなじを撫でた。身を傾け、男の額に額を合わせると男の縮れた黒い髪が擦れるじゃり、という音がかすかに聞こえた。後は草原が風にたなびくザァザァという音だけが辺りに満ちていた。白馬はゆっくりと男にキスをした。

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