本編
五月雨、名も無いキッカケ
5月、五月雨。
僕の頭上で弾ける雨粒、暗雲とは違う陰がいつものように僕を覆い雨粒から守ってくれている。
いつもと同じ通学路、落ち着かないのは僕の左手が手持ち無沙汰なためか、それとも今僕がいわゆる相合い傘と呼ばれる状態であるためなだろうか。
そのどちらも少し違う。それは僕の隣を歩き一つ傘の下でともに帰宅の途についているのが、白崎桜だったからだ。
きっかけは、日常の中にあった。
「はぁ」
突然の雨、今朝の晴天とは違う顔を見せた天候に僕はため息を吐く。
「はじめ、お前傘持ってねえのか?」
「持っているんだったらお前に会わずに済んでるんだけどな」
背後から声をかけてきたのは僕の中学時代からの友人、滝野翔に軽口を返した。
「はじめぇ、せっかく俺が声かけてやったってのに冷たいやつだ。
どうせ傘だって持ってないだろ?」
「あぁ、けどお前はどうなんだ。」
翔はその問いかけを待ってましたと言わんばかりに、にひーと肩掛けバックをあさり丁寧に折り畳まれていたであろう雨具を乱雑に取り出した。
「悪いな、期待外れだろ?」
「あぁ、持ってたのが傘なら入れてもらおうと思ってたのにな」
「持ってたとして誰がお前なんかいれるかよ。相合い傘はよそでやりな」
雨具を広げ、皮肉交じりに翔は笑って言いながら、僕の友人は自転車置き場まで駆けていったのを見て僕は下駄箱から踵を返した。
翔は僕に初めて出来た友人と呼べる人間だった。
小学生の頃、転校先では根っからの人見知りが災いし友人もできず、そのまま公立の中学に進学した僕は、小学校時代からの友人もおらずクラスで孤立していた。
人付き合いも得意ではなかったし自分から積極的に友人を作ろうともしていなかった僕を心配したのか、翔は毎日僕に話しかけに来た。今にして思えば人見知りを理由に強がっていた僕に呆れ果てていたのかもしれない。
兎に角、彼は僕の初めての、そして唯一の友人だった。
教室に戻ると、すれ違いで最後の生徒が帰りそこには誰も居ない。1人くらいはいてもしょうがなかったが、この雨の中わざわざ残る者もおらず、残念ながら傘を忘れるなんてヘマをする生徒も僕以外にはいなかったようだった。
誰もいなくなった教室で僕は本を読みはじめた。どうせ最後に残った僕が鍵を締めるんだ、雨を待つにしても何もしないでは退屈で仕方がなかったし、居眠りなんてかいたらいつ帰れるかもわかった物ではない。それに僕は本が好きだった。
頁一枚とその文字、一つ、一つと取り込むように丁寧に読むことで僕は本の中の出来事を追体験しているように思えて、ありきたりな表現だがその感覚が僕をこことは違う世界へ連れ出してくれる。だから僕は本が好きだった。
いつも放課後に聞こえる運動部の掛け声も雨のせいか聞こえてこない、雨音は僕にとってリラックスできるBGMにぴったりだったが、時計の長針は先ほどより半周進んでいる。
それにしばらく様子を見たが、止む気配はなさそうだ。そう判断した僕は鍵を締め再び下駄箱へと向かった。
職員室から戻る廊下、閑散として外の曇天も相まって薄暗さが一層僕を心細く感じさせた。
下駄箱から外を覗くと、雨は先ほどよりも強く反比例するかのように生徒は誰1人いなかった。
翔以外に頼れる友人もおらず、そこまで家が遠いわけでもない。多少濡れても問題はないはず。
「藤宮、くん」
バックを雨よけに雨天にありがちな抵抗を見せようとした僕は、聞き覚えのある声に引き止められた。
「こんにちわ、藤宮くん」
振り返るとそこに、黒髪の美少女が佇んでいた。
白崎桜、学年一人気と言っても過言ではない有名人。その理由は偏に彼女が美しいからというわけではない。常に学年上位の成績を保ちながらも笑顔を絶やさず、皆に好かれる人気者で、決して誰とも恋仲になることもない高嶺の花だからだ。僕にとっては同じクラスではあるものの手の届かない、届かせようとも思わせないほどの存在で、話したことはおろか目を合わせたことも無かった。
「…入ってよ。傘、持ってないんでしょ?」
そんな高嶺の花は、僕には過ぎた危うい香りを漂わせる。彼女はなんとも思っていないだろうけれど、僕からすれば彼女との相合い傘は避けたい、避けるべき事象の一つだ。他の男子にとって彼女との相合い傘なんて嫉妬とはさぞ食い合わせが良いだろう。友人のいない僕にとって嫉妬とは被害の種であり、話の種にもならない恐怖の対象だ。
「いや、大丈夫だよ。僕の家、ここからすぐだから」
「…でも、風邪引いちゃうかも。」
彼女は、どうやら僕を心配しているらしい。決して仲がいいわけでもない僕を心配するような気質の持ち主だからこそ、彼女は皆に好かれているのだろうと妙な納得をしていた。だからこそ断りづらく、こう言ってはなんだがある意味面倒で厄介だった。
「藤宮くんが風邪引いちゃったら私後悔してしまうわ」
僕が黙っていると彼女は畳み掛けるように話し始め、それに気押されるように僕は反論の機会を失う。
「それに一回話したかったの、藤宮くんあんまり自分から話すような人でもないでしょ?私知りたいの、藤宮くんのこと。」
「ほら、早く入って?」
「いや、ちょっ」
彼女は僕の右腕をぐいっと掴み半ば強引な形で傘のもとにいれられてしまい、拒絶もできず敢えなく彼女の傘下に入ることになった。
かくして僕は衆目にさらされぬよう、帰宅の途につくことになった。
「ねね、藤宮くん。藤宮くんって何が好きなの?」
ざあざあと降る雨の音、しかし彼女の声は依然として不思議なほど綺麗なまま僕に届いた。
「本は好きだよ、よく読むんだ。白崎さんは何か好きなものでもあるの?」
「私も本が好きだよ、恋愛小説とか。『ムジナたちのワルツ』とか」
『ムジナたちのワルツ』記憶をなくした少女と世界から忘れられた青年の恋愛小説だ。かなり昔の小説だけど、僕が本好きになるきっかけにもなった思い入れのある小説だ。
「10年以上前の本だろ?僕も好きなんだ!記憶を失ったセリナがカイの陽気さに救われていく過程の描写なんかはかなり細かくて、もちろんその後の展開も好きなんだけどそれまで孤独だったセリナとカイの出会いはじめの頃が好きで小学校の時は第1章を何回読み直したことかっ…と、ごめん。話し…すぎた。」
まずい、話しすぎた。翔相手ならいつもの事だが相手が違う。初対面相手にするような事じゃない、ましてや相手は高嶺の花だ。
慌てて彼女の方に目をやると彼女は僕を見てくすりと笑った。
「ずいぶん好きなんだね、うん。私も、好きだよ。」
目を細め、しかしその奥の黒い瞳は僕の事をしっかりを捉えているのがわかった。
黒い瞳は僕の心まで見透かし、貫いていたようで僕は謝罪の言葉を編むこともできなかった。何故か、懐かしい瞳だ。
「私も、同じ。孤独で苦しんで、だからカイに救われるセリナが好き。一緒だね」
彼女は今度は目を開き僕のことを見ると、再び前を向いた。その所作はどれ一つ取っても美しく、今はただ見惚れていたかった。
「…雨、止んじゃったね」
そう言われて初めて、外から日が差している事に気がついた。
「じゃあね、藤宮はじめくん」
これが高嶺の花と呼ばれる少女、白崎桜との出会いだった。
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