君と逢う夏はいつまでも
ろくろわ
湊神祭の夜に
いつも
発電機の音は何故もまぁ、あんなに五月蝿いものなのかと。それでいて、あの五月蝿い音が無いと祭りを盛り上げる屋台の雰囲気が出ないとくるから、多少の五月蝿さは我慢するしかないので、余計にタチが悪いと。
雑踏にまみれた屋台街を通り抜け、僕はそこから少し離れた
人の通った跡の無い道草を踏み分けながら、スマホを確認する。時刻は十九時を少し過ぎたところ。打ち上げ花火の開始時刻は二十時半の予定だから、時間の余裕は十分にあるのだが。
僕の目に二つしかないブランコの一つを揺らし、肩まで伸びた黒い髪がふわりと舞う。大人びた姿の中に幼さの残るその見知った顔が、今年もそこに居る事に安堵と焦りを感じ、歩みを早めた。僕が彼女の姿を見つけたと言う事は、当然、彼女からも僕が見えていると言う事で。
「遅い!私を待たせるとはどういうつもりだ。
と、こうなる。それが分かっていたから焦っていたのだ。
いつも
彼女の声は何故もまぁ、あんなに大きく遠くまで通るものなのかと。それでいて、あの声を聞かないと祭りに帰ってくる意味が無いとくるから、多少の透き通る大声は我慢するしかないので、余計にタチが悪いと。
ブランコから飛び降り、僕の方に向かってくる彼女の名は、
「花火の時間には十分に間に合うだろ?これでも仕事を終わらせて急いで来たんだ。それに
僕は、隣に来て遅い遅いと話す小波の言葉に被せた。
「あぁ~そんなの知らな~い。てか寛太郎、オッサンになったな!」
僕の話などどこ吹く風。口元に手を当ててお上品に笑う小波。そんなキャラじゃないことはよく知っている。
「そう言う小波は変わらないな」
だから少しだけ皮肉を込める。
「おやおや、知らないのかね?寛太郎くん。女性に変わらないは褒め言葉でもあり、失礼な言葉でもあるんだよ。さてさて、そんな失礼な寛太郎くんは、お詫びに屋台で何か買ってくれるんだろうね」
そしてしっかり見抜かれていて、何故か僕が奢る流れになっていた。反論する間もなく、小波は僕の手を引き、さっき僕が来た道を引き返し歩き出した。僕は小波に伝えようと思っていたことを飲み込み、今はお詫びの品に何を買うべきだろうか。そんなことを考えながら再び屋台街に向かった。
湊神神社を抜け再び訪れた屋台街は、一人で通り過ぎた時と違い、小波が一件一件品定めするので中々前に進むことができなかった。少し待っては見たものの、楽しそうに屋台を見ている小波は動きそうにもなかったので、僕の中で既に決まっているお詫びの品を買うために目的の屋台へと向かった。
「おっちゃん、レモネードのかき氷を一つ」
「あいよー!って
「えぇ、今日の夕方に帰ってきました」
「そうかい!えっと、レモネードかき氷が一つだったな」
捻った鉢巻きが良く似合う色黒のおっちゃんはニカッと笑い、氷の機械を回した。発電機の音と氷を削る音が店を包む。こういった地元の祭りは大概知り合いがやっている事が多く、このかき氷を作るおっちゃんも学生の時からの知り合いだ。
「あっ!私もかき氷食べる!おっちゃんグリーンアップルも一つ頂戴」
いつの間に来たんだ。隣から小波が声を上げたが、発電機の音が小波の声をかき消したかのように、おっちゃんには届いていなかった。
「おっちゃん。後、追加でグリーンアップルを一つ」
「おう!ちょっと待ってろよ」
おっちゃんは先に頼んでいたレモネードかき氷を机に置くと、グリーンアップルを作るため機械に氷をいれた。
「ねぇねぇ!グリーンアップルに」
「おっちゃん、後そのグリーンアップルに練乳とアンコのトッピング。カットバナナもお願いします」
「おっ!それは小波ちゃんが好きだったやつじゃないか。そうかぁ。よし。ちょっと待ってろよ」
小波の言葉を遮り、僕はトッピングを追加する。小波はそんな様子に「なんでして欲しいトッピングが分かったの」と言わんばかりに目を開き驚いていたが、何も驚くことではない。これは小波がいつも注文していたセットではないか。満足げな小波の顔を見て僕の思った通り、小波のお詫びの品はおっちゃんのかき氷で良さそうだった。
「ほれ、出来たぞ!さぁ溶けないうちに連れに持っていってやんな」
おっちゃんが僕に差し出したトッピング増しのかき氷を見て、小波は随分とご機嫌そうだった。
おっちゃんの所のよく冷えたかき氷を二つ持ち、小波と食べる所を探した。祭りの屋台街は美味しそうなものが多い反面、落ち着いて食べられる場所が少なかったりする。そうして祭り会場をウロウロしていると、同じように
「おっ!
「
「おう!田辺に
「良いってことよ」
ふっくらとしたお腹を擦り、片手に持っていたビールを豪快に飲み干しているのが田辺。学生の時はほっそりとしていたのに、今のふっくらとした立派なビール腹はこうやって出来たのかと僕は一人で納得した。そんな田辺の隣にいる口数の少ない眼鏡をかけた目立つ特徴もない、いや、真っ先に眼鏡に視線が向かう分、眼鏡が特徴と言っても間違いない男が庄平だ。二人とも中学からの同級生で小波の同級生でもある。大人になると昔からの付き合いと言うものは随分と変わるものだが、今も変わらない深い付き合いがあるのは、この二人ぐらいなものだ。一年ぶりに会う二人とは話題に事欠かなかった。仕事の事や他の同級生が結婚したこと、焼き肉の量が食べられなくなってきた。脂が重たいんだよ。なんて事も話した。そんなことを十分程話しただろうか。二本目の缶ビールを開けた田辺が、いつの間にか取り出していたスマホを閉じた。
「わりぃ寛太!
あぁ~どうしようかと口ごもる僕。
「
そんな僕に代わり、庄平が静かに田辺を呼び、僕の手が持つ二つのかき氷を指差した。
「……あぁ~。わりぃ寛太、先約があったんだったな」
田辺は溶けたかき氷を見ていた。
「すまんな、田辺。誘ってくれてありがとう。庄平もありがとな」
「別にいいよ寛ちゃん」
じっと僕を見つめる庄平が何かを言いたそうだった。
「……あのね、寛ちゃん。もうそろそろ」
庄平が何か言いかけた時だった。『ダンッ』と乾いた音と夜空に光の花が広がる。遅れて歓声があがり、僕達は音が鳴る方を見上げた。
「……そうだね、庄平。もうそろそろ花火の時間だ。有り難う」
僕は夜空を見ながら庄平に答え、それ以上、何も言わなかった。庄平と田辺もまた同じように夜空を見上げ、何も答えず「小波に宜しく」とだけ言って人並みの中に消えていった。
全く、良い奴らだよ。本当に。
「田辺くんも
花火を見上げる僕の後ろで小波が静かに呟いた。僕は「そうだね」と答え振り返り、小波を見た。
「今年の花火は
「仕方ないよ」
もう始まってしまった花火を見るため、僕は小波の手を引き、屋台街から少しだけ離れた所で立ったまま花火を見上げた。
小さい頃は、地元の花火が全てだった。夜空に上がる数千発の花火に心が踊ったものだ。大人になって、数万発のもっと大きな花火を見た時は、いかに地元の祭りが小さいものだったかがよく分かった。それでも今、花火に照らされる小波がその小さな花火を見上げ、キラキラとした目をしているのを見ると、地元の、この小さな花火の方が好きだと僕は思った。
◇
田舎の祭りには祭りの良い所がある。それは都会程、帰り道が混まないと言うことだ。現に僕達は花火を打ち終えた湊神神社から二十分程で小波の家へ近くまで帰ってきていた。
「最近、おばさんはどう?」
「お母さん?元気よ。ただちょっと物忘れも増えてきているみたい」
「そうか。それは心配だね」
「まぁでも生活は出来るし、今はなんとかなっているかな」
会場からの帰り道。湊神祭の話題は小波のお母さんの話しになっていた。小波のお母さんは女手一つで小波を育て、そんな小波を湊神祭の後にいつも僕が家まで送っていっていた。あの日から続くそれは今でも変わらない。
湊神神社を出て、この町唯一の湊神商店街を抜ける。そこから小さな公園を過ぎた先にあるのが、小波の家だ。
「今晩は。大海です」
小波家の古くなった引戸の前で小波のお母さんを二人で待つ。時刻は二十二時前。もう寝ているかもしれない。
「寛太郎、ちょっと待ってて。お母さん呼んでくる」
小波は僕を置いてさっさと家の中に入っていった。それから数分も経たずに「はぁい。どちら様?」の声とガタガタと建て付けの悪い玄関の開く音がして、おばさんが出てきた。
「あら
「はい。こんな遅い時間にすみません、おばさん」
「良いのよ。今年も小波を送ってくれたんでしょ?」
「はい。小波は相変わらずでしたね」
「あの子もここに来て話したら良いのにね。あの子、私がいつもこんな話ばかりするもんだから、寛太ちゃんと話をする時は絶対に来ないのよね」
そう言って笑うおばさんの後ろで、間の悪そうな顔をしている小波の姿が見えた。
「そうだ上がっていくでしょ?」
そう言うおばさんの横をスッと小波が通り抜けていく。
「いえ、今日は遅いのでこの辺りで失礼します」
おばさんが家の中に案内しようとしたので、僕は慌てて止めた。おばさんは少し残念そうな顔をしたけど、僕を引き留めることはしなかった。「それじゃあ気を付けてね」と手を振るおばさんに背を向け小波の後を追った。僕の後ろからは、建て付けの悪い扉がガタガタと閉まる音が聞こえた。
◇
先に出た小波は湊神商店街近くの公園にいた。コイツはどんだけ公園が好きなんだよ。とは思わなかった。
「珍しいね。小波が一度家に帰ってまた出てくるのは」
「うん?まぁね。もうちょっと寛太郎と話そうと思ってね。それに寛太郎も私に何か話したいことがあったんじゃない?」
小波には妙に鋭いところがあった。僕が今日帰ってきたのは勿論、湊神祭に小波と行く為だ。だけどもう一つ、確かに小波に話したいこともあった。
「話したいことって言うか、話しておきたいことかな」
「おっ、なになに?」
「うーん、まぁその前にさ。ちょっと花火でもしないか?」
小波に小さく束ねた線香花火を取り出し見せた。
「夏と言えば。だね」
「そうだろ?手持ち花火で
小さい公園といえ、街路灯がほんのりと辺りを照らす。小さな線香花火が、その灯りに紛れ消えないようにと薄暗い場所を探す僕らは、小さな公園の隅の方、街路灯の灯りが僅かに届く程度の場所を見つけた。
「小波、どっちが長く落ちずにいられるか勝負しようか」
「寛太郎の癖に生意気だな。何故私に勝てると思っているんだい。よしせっかくだ。勝った方が負けた方に何でも一つ、命令が出来るってことにしよう!」
「負けて後悔するなよ小波」
「寛太郎もね」
線香花火を小波に手渡し、僕は火をつける。
パチパチと小さな火花を散らし線香花火の淡い橙色が手元をぽぅと照らす。ただただ静かな時間と花火の弾ける音だけが聞こえる。
そして僕の小さな火玉が落ちる。
「……あのさ、小波」
小波がゆっくりと顔を上げ、僕を見る。
「なぁに?寛太郎。やけに真剣な顔をして。さては私に告白でもするか?」
僕は柔らかく笑う小波とはきっと正反対の顔をしていただろう。幾つか浮かんでは飲み込んだ言葉を伝える。
「……小波、実は僕、結婚するだ」
「あぁ~そうか、やっぱりそうだよね!うん。おめでとう」
小波の表情は変わらず柔らかい笑顔のままだった。
「驚かないのか?」
「うーん、まぁ寛太郎も歳を取ったしね。そろそろ、そんな時が来るかなぁとは思ってたよ。むしろ結婚できなかったらどうしようかとハラハラしてたくらい!」
そう言って口元に手を当ててお上品に笑う小波。そんなキャラじゃないことを僕は昔からよく知っている。
「あっ!そうだ。勝負は私が勝ったんだから一つ命令するね」
「優しいヤツにしてくれよ」
「寛太郎。幸せになりなさいよ!」
小波は僕に顔を見せず、何とも難しい命令をしてきた。
「優しいヤツにしてくれって言ったろ?」
「難しいことじゃないでしょ?寛太郎のままでいれば良いんだから。それじゃあ話したいことも話せたし、私はそろそろ帰るね」
小波は立ち上がり、スカートについた埃を払い歩きだした。
「小波、家まで送ろうか?」
僕の言葉に小波は首を振った。
「いや、大丈夫。すぐ近くだし、それにお母さんがビックリしちゃうよ。また寛太郎来たのって」
「それもそうだね。それじゃあ小波、気をつけて」
「またね!寛太郎」
等間隔に並ぶ街路灯の下を小波が手を振りながら去っていく。一つ目の街路灯。二つ目の街路灯。三つ目の。その小さくなっていく影に僕は問う。
「小波、来年もまた逢えるかな?」
遠く小さな影が答える。
「そりゃあ逢えるでしょ?だって夏はまた来るんだから」
表情の見えない影が、向日葵のように明るい笑顔を向けてくれている気がした。
◇
一人公園に残された僕は、小波の火のついていない線香花火を拾い上げ、そっと火をつけた。パチッと火薬に火がつく音が鳴り、橙色の火花が手元から飛び散る。小さいのに精一杯に火花を咲かせる花火を持ち、小波を想う。
誰も小波のことを見ることが出来ない。
湊神神社の道草は小波の重みを感じない。かき氷屋のおっちゃんや田辺と庄平。小波のおばさんだって、僕と一緒にいた小波を見付けることが出来ない。
そしていつか僕も小波のことを。来年の湊神祭で、僕は小波を見付けることが出来るのだろうか。もしかしたら、僕も小波のことを見ることが出来なくなるかもしれない。
いつも
小波の姿を僕はいつまで探しているのだろうか。もうこのまま逢えない方が良いのではないかと。それでも夏になると小波を探し、逢うために湊神祭に帰ってきてしまう。逢わない方がいいと思いながら、幾ら年月を重ねても小波に逢いたいと想う僕の気持ちは余計にタチが悪いと。
ぽとっと火玉を落とし、小さく消えていく火花。薄く漂う花火の煙と線香の匂いが、そんな僕の頬をスッと撫でていった。
了
君と逢う夏はいつまでも ろくろわ @sakiyomiroku
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