第26話 迫り来る過去
俺はタクシーに飛び乗り春木優花に教えてもらった小久保浩司の入院先へ向かっていた。
浩司は大量の睡眠薬を摂取して自殺を図ったが、すぐに発見されたおかげで、病院に搬送され一命を取り留めたらしい。その際、彼のパソコンには遺書のような文章が残されていて、そこには、自分が「秋空かえで」を脅迫した犯人であることや、俺や迷惑をかけた関係者への謝罪が書かれていたそうだ。
けど、俺は直感的に感じていた。浩司は「誰か」の罪を被り自殺しようとしたんじゃないか、と。プロファイラーである春木も同じ意見だった。
その時、ある人物が浮かんだ。それが浩司のパートナーで共同経営者の渋川寮だ。春木優花の調べでは俺たちより2歳年上のITエンジニアで、浩司が認めるだけのITスキルを持っているらしい。なにより浩司の恋人だ。彼が庇うだけの理由はある。
もし——その渋川寮が『あいつ』だったらどうすべきか。
到着した俺は、病院の廊下を歩きながら、自分の胸の中で渦巻く不安と疑念を抱えていた。浩司は『あいつ』が誰かを知っている。
それを彼から聞き、真実が明らかになれば、状況を変えられるかもしれない——そんな期待と焦りが俺の背中を押していた。
病室に着くと、浩司は静かにベッドに横たわっていた。意識はなく眠っているようだった。近くにいた看護師に状態を聞くと命に別状はないらしい。ただ、意識が戻るまでには数日かかるかもしれないそうだ。
「浩司……おまえ、何やってんだよ……」
俺はその寝顔をじっと見つめた。『あいつ』は、おまえにとって何者なんだよ——そう思いながら。
俺の中ではこれまで、浩司は優秀で、どんな時でも明るくて、心の強い奴だと思っていた。だけど、同性愛者だというカミングアウト以降、ずっと苦悩を抱えて悩み続ける、俺が知らない小久保浩司がいた。
——いったい何が、おまえをここまで追い詰めたんだ。
その時、病室のドアが静かに開いた。そこに立っていたのは、シワのついたシャツを着た、すこし小柄で年齢が不詳な男だった。
まさか——渋川寮か?
その男は穏やかな表情を浮かべているが、瞳には深い憂いが見え隠れしている。
「もしかして、渋川さん……ですか。」
俺の声は自然と厳しくなっていた。彼の姿を見た瞬間、全身に緊張が走った。もしこの男が渋川で『あいつ』だったとしたら——そう思うと、どうしても警戒心を抱かずにはいられない。
男は少し驚いた表情を見せたが、穏やかな口調で答えた。
「はい…渋川寮です。あなたは、もしかして……青空聖夜さんですか?」
「ええ、そうです……。渋川さん、あなたに聞きたいことがあります」
俺は、渋川に、一体、浩司に何が起こったのか、説明を求めた。
「倒れてる彼を見つけたのは私です。最近様子が変だったので、心配はしていたのですが、まさか自殺を図るなんて……驚きました。」
「様子が、変だった……?」
「はい、彼はずっと何かに悩んでいる様子でした。特に、青空聖夜さん、あなたと何かを話してから、彼の様子は一段と変わってしまったんです」
「俺と会ってから……?」
「彼は、高校時代のあなたとの思い出をよく話してくれました。ただ、恋愛事情について聞くといつも黙り込んでしまって……何やら後ろめたい過去があるようでした。それから詳しくは聞きませんでしたが……」
そう言うと渋川は浩司の側に座り、優しい表情でその寝顔を見つめた。その目は深い愛情が滲んでいて、俺の疑念は次第に薄れていった。もし渋川が『あいつ』だったら、こんなに慈愛に満ちた瞳で浩司を見つめることはできないだろう。
かといって浩司が『あいつ』だとは到底思えない。渋川が『あいつ』ではないのだとしたら、浩司はいったい誰を庇っているんだ?この人よりも大切な「誰か」がいるのか。
「渋川さん……浩司は他に大事な人がいませんか?もし、彼が誰かを庇っているとしたら、その相手は誰なんでしょうか?」
俺の問いかけに、渋川は眠っている浩司を見つめながら、少し黙り込んだ。
「……浩司が高校生3年の頃に、両親が離婚したらしいです。彼にはその時、両親以外にも大切な家族がいたらしいのです……」
「親以外の……家族?」
——ということは、祖父母とか、兄弟とかか?
「しかし、親の都合で離れ離れになってしまったそうです。その時、家族を守れなかった事を、ずっと悔やんでるようでした。」
俺は渋川の言葉に聞き入っていた。彼の言葉や優しさに偽りがあるとは思えなかった。
「渋川さん……ありがとうございます……浩司のこと、お願いします」
俺は一礼して、病室を後にした。渋川は『あいつ』ではない——その確信を胸に、次に動くべきことを考えながら自宅へ向かうことにした。
◆◆◆
自宅に戻ると、すぐに春木に電話をかけた。渋川が『あいつ』ではないこと、そして浩司の家族の話を伝えると、春木は納得してくれた。
「春木さん『あいつ』は、その家族の中に居るんじゃないかな?」
「……私もそう考えてる。今から小久保浩司の家族相関図を作って送るから、ちょっと待ってて」
春木はそう言って電話を切った。俺はしばらくの間、ソファに腰を下ろし、天井を見つめながら考え込んでいた。もし浩司が、家族を庇っているのだとしたら、あんな行動にも納得がいく。
その時、スマホが震えた。画面に表示された名前は「伊藤千秋」だった。
「もしもし、千秋さん?どうしたの?」
「……聖夜さん」
彼女の声は沈んでいたが、どこか決意が感じられるものだった。
「わたし……これから、『あいつ』と会う」
その言葉が耳に入った瞬間、俺の心臓が凍りついた。
——千秋が『あいつ』に会いに行く? 何を言ってる?聞き間違えた?全身が急に重くなったような感覚に襲う。どうして、どうして彼女はそんな危険なことを?
「千秋さん、何を考えてるんだ!危険すぎる!絶対にやめてくれ!」
俺は言葉を投げかけるが、その声は震えていた。必死だった。理性が飛びかけていた。頭の中では何度も警告のサイレンが鳴っている。『やめさせろ』『止めろ』。
「……もう決めたの。自分の過去に決着をつけないと、私は前に進めない。『あいつ』と話をして、ここですべてを終わらせるの」
「……『あいつ』が誰か知ってるの?わかったの?!」
「言えない……でも最初から、わたしが原因だったのよ。」
「どういう意味だよ!?」
「これは……わたし達にしか解決できないの」
彼女の決意は固く、俺の言葉では止められそうにない。けれど、そのまま見過ごすことなんてできない。できるわけがない!
「……やめてくれ……たのむよ」
「……わたしを信じて」
その時、胸の中に湧き上がってきたのは、彼女を失う恐怖だった。嫌だ……そんなこと、絶対にあってはならない。
「……だめだ!……君になにかあったら俺はもう、生きられない」
「ねえ聖夜さん、もし……無事に戻ってきたら、デートしてくれる?」
「……そんな…フラグみたいなこと言うなよ」
彼女をもう止められないことを覚悟した俺は、項垂れるように声を絞り出した。
「うん、さすが……だね。よし!じゃ……また後で」
「千秋!」
そして電話は切れた。慌てて掛け直そうとしたが、もう電波が届かない。
——彼女が何かに巻き込まれたら? もし、戻ってこなかったら?俺は、どうすればいいんだ?想像するだけで、胸が締めつけられる。
俺は部屋の中を歩き回りながら、胸の中に焦りと不安が渦巻いていった。千秋は一体どこで、『
不安ばかりが募る中、またスマホが震えた。
春木から、小久保の家族相関図が送られてきたのだ。
俺はすぐにそれを開き、小久保浩司の家族相関図を確認した。
——そして次の瞬間、全身に衝撃が走った。
「……まさか、そんな」
震える手でスマホを握りしめ、現実を受け入れようとしたが、その事実に言葉を失っていた。
——千秋が危ない。直感的にそう感じた。
『あいつ』にどこで会う?何か手がかりは?
俺は彼女がやってたように必死に部屋を見渡したが分からない。キャビネットの上を見ると、あの日の毛布が畳んで置いてある。
「千秋……くっそ!」
その時、毛布の隣に置いてある春木優花がくれた、ヒーローキングの神巻が目に入った。俺は本を手に取り考えを巡らせた。
そして、思いつくまま部屋を飛び出した。
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