狩野川カンフーブリッジ

@Soul_Pride

第1話

 ────つまらない人生だな、お前。


 今際の際のか細い声で。そんなことを言い放った女の頭を、男は躊躇なく踏んで潰した。

 血と頭蓋と脳漿が飛び散る凄惨なものになるが、男は何の感慨もない。

 既にこの場──国の中枢たる首都、東京の霞が関から半径十キロ圏内において、死者しかいないのだ。

 その数は、約五十万。

 その全てが、男が手にかけた結果だ。今更一人増えた程度で何も思わない。

 たとえそれが、かつて首相と呼ばれた女であってもだ。


「つまんない、ねえ」


 男の内には珍しく、響くものがあった。いつもは憎悪と悲嘆に満ちた声を向けられてきたから、逆に新鮮な気になった。

 つまらない人生だな、と言われて。


「……そうだな。つまんねえな」


 頷き、苦笑いが浮かぶ。

 この惨劇を起こした動機も、。それだけだ。

 無意味に邪悪。そして、空虚。

 ……そんなものが、世界を傾かせる暴力を持っている。

 酷く、つまらない。幕引きの舞台装置にしても、あまりに粗末。


「それが、俺か」


 笑いが止まらない。哄笑が虚しく、地獄に響く。



 直後、米軍の爆撃により、東京は灰燼に帰し。

 されど、その悪魔の笑い声は止まることはなかった。






 五月の陽気は、眠りを誘うには十分なもの。

 その上、教師のつまらない授業と一定のリズムで黒板を打つチョークの音は、催眠術もかくやというほど。

 だからこうして、机の上で寝そべってしまうのは何も悪くない。

 そして眠りを阻むクラスメイトも教師も、幸か不幸か存在しなかった。

 あっという間に日は真上に昇っていき、そして西へと沈んでいき……。

 

 目を覚まさせたのは、夕暮れの紅の光だった。


「いっつ……」


 背筋を伸ばし、首を上下左右に回せばバキポキと関節の心地よい音が鳴る。

 目覚めたばかりでぼやけた視界を、目やにを擦り取りながらピントを合わせていく。

 教室の時計を見れば、現時刻は午後四時丁度。窓から外のグラウンドを見れば野球部やサッカー部が部活動に勤しんでいて、吹奏楽部の練習も別棟の校舎にある音楽室から耳に届いている。


「行くか」


 教科書も何も入っていない薄っぺらい学生カバンを持ち、下校する。

 下駄箱から外へと出てすぐ、


「よっと」


 空気を、蹴る。靴底越しに確かに伝わる感触を、思いっきり踏み抜き──。


 その瞬間、ゼロ速から亜音速に到達。

 途中、方向転換で空気の破裂音と共に稲妻の如く軌道を変えながら……ものの一分足らずで、目的地へ到着する。


「遅い」


 川沿いの、市内中央部にある公園に待ち人はいた。

 ベンチに座って瓶カップの酒を呷る、ジャージ姿の男。


「師匠、また安酒?」

「高い酒なんざ色々飲んだが、これが一番旨いんだよ」

「体壊すよ」

「生まれてこの方、風邪もひいたことはない」


 師匠と呼ばれた飲んだくれの男は、まるでそれが唯一の自慢かのように胸を張っていた。

 直後、飲み干した空の瓶を躊躇なく顔面へと投げつけてきた。

 それを無造作に、羽虫を追い払うかのように手で弾き飛ばし。明後日の方向へと飛んで行った空瓶は、ペールボックスの入り口に吸い込まれていった。


「自分で捨ててよ」

「修行すんぞ」

「はいはい」


 言うだけもう無駄。呆れたり、怒ったり、そんな段階はとうの昔に通り過ぎている。



 弟子、周星あまね しんと。師、唐原龍司からはら りゅうじの。

 ゆるく、そっけない。彼ら二人だけの武門師弟のつまらない日々。

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