1-5 一年以上お小遣いなし

 ……が、そんな明るい気分になったのも束の間、私は帳簿を見て頭を抱えることになった。


(なんなのこれは……)


 リュリーの「負担を減らして治療に専念するべきです」という甘言のまま、つまり一ヶ月前から、帳簿の事は彼女に任せっきりにした。


 セレスがハーブ蒸しだのマッサージだの受けている間、リュリーはセレスが改善した使用人の労働環境を、すっかり元に戻してしまっていたのだ。

リュリーにクビにされたり、辞めた使用人も何人かいた。


 リュリーは自分が仕えていた女主人を毒殺するほどの悪女だったが、ここまで大胆なことを、たった一ヶ月でしでかすほど増長していたとは考えていなかった。


 アドリーヌ達の荒れた手を見ればわかることだっただろうに、セレスはちっとも気づけなかった。今まで支給されていたニワトコのクリームは、もう彼女たちの手には届いていないのだろう。


 確かに、嫁いでから半年たって、セレスはだんだんと追い詰められていた。

 ただでさえ人前に出るのは苦手なのに、慣れない社交界では笑いものにされ、妻としての役目も果たせず、折りあるごとにリュリーは美辞麗句で包んだ悪意でセレスを追い詰めるようなことをした。平常心では、いられなくなっていたのだ。


(でも、こんなにたくさんの使用人がいるのに誰も不満を言わないなんて……)


 少し緊張した様子でこちらに視線を向ける家政婦長のマーサと家令のカルロを少し責めたくなったが、思い止まった。


 この屋敷の使用人のほとんどは、セレスが嫁いでくる前から、ファルネティ家に仕えていた。

薄給と良いとは言えない労働環境に耐えた人たちだった。彼らからしてみれば、元に戻っただけなのだ。


 それに、彼らは屋敷を管理して、主人の生活の全てを把握している。だから当然、伯爵の浮気も知っていただろう。


 リュリーは屋敷の主人のお手つきで、おまけに、この女主人が全面的に信頼している侍女で帳簿の管理を任せている。つまりリュリーの越権行為は主人たちの公認なのだ。


 そう、今の状況は元をたどればリュリーという怪物を野放しにしたセレスが原因だった。


「削られた予算は何処に当てられたの?」


「こちらです、あとこちら……」


 家令のカルロが指した項目は、セレスが似合わないドレスをオーダーしていた仕立屋と、宝飾店への支払いとなっていた。


 ミアが注文書と納品書を調べながら「全部でドレスは五着ですね。既に納品されたのは二着ですが、奥様の元には届いてません」と、答えた。


 うーん、今誰の手元にその二着があるのか、すぐにわかる。


「残りの三着の注文は、手違いだったとキャンセルして。そもそも、私のものではないし、私が購入を許可した訳でもないわ」


「わかりました。交渉してみます。ただ……今からキャンセルとなると、難しいかもしれません」


(作りはじめちゃっただろうし、今いらないって言われても、お店は困っちゃうよね……。そう考えるとアクセサリーのキャンセルはもっと無理だ)


 移り変わりの激しいファッション業界で、ベルティーユ嬢の店は数年前に出来たばかりだが、この宝飾店は皇室御用達の店だ。


 ファルネティ家とは先代からの付き合いで、信頼が成り立ってるから、デュシャン家でセレスの嫁入りの宝飾も購入出来た。


 それに、こういう値のはるものを、こちらの都合でキャンセルするのは、その信頼関係を壊すことになるし、外聞が良くない。

 家が傾いているとか噂されてしまうし、侍女が勝手に頼んで自分のものにしていた事実が発覚したら、ファルネティ家の評判を落としてしまう。


 そう考えて、ドレスと宝飾のキャンセルを諦めようとしたが、私はあることを、思い出し「あっ」っと声を上げた。


 ……ドレスはキャンセルできるかもしれない。


 今着ているアングレ夫人のお店で仕立てたドレスは、セレスの体にぴったりあったが、今朝着ていた新調したばかりのネグリジェも室内靴もサイズがあっていなかった。


 嫁いできたばかりの頃はこういうことはなかった。単なる嫌がらせだと思ってたけど、リュリーの欲深さは想像以上のものだった……。


 もしかしたら、サイズの合わないドレスが、他にもあるかもしれない。



 化粧料―――つまりセレスが自由に使えるお小遣いは、セレスの実家から、毎月かなりの額が送られていた。セレスはそこから自分のドレスを購入していて、かなりの衣装持ちだった。


 リュリーにすすめられるまま、毎月、たくさんのドレスを購入していたが、袖を通していないドレスが沢山ある。


 社交界で笑いものにされていたから、極力、参加しないようにしていたので、それらは、こんなに大量には必要なかったのだ。


 他の使用人に当てられた予算を、自分のドレスや装飾品に当てていた欲深いリュリーが、ただ嫌がらせの為だけに、大量のドレスを注文していたとは思えない。


(確かに、女主人のお古を、侍女が貰う風習はある。

でも、セレスのサイズに合わせたドレスを、あのリュリーの胸じゃ着ることは出来ないから、最初から自分のサイズにあわせて、オーダーしてしまえばいいって考えたんじゃ。

どうせセレスはサイズがあわなくても、リュリーに丸め込まれてしまって、疑ったとしても何も言えないだろうし……。


いや、最初から自分のものにしようとしてた?)


 そうだとしたら、セレスがずっとリュリーにすすめられるままドレスを注文していた仕立屋、ベルティーユ嬢も、リュリーと共謀していた可能性が高い。


 何せセレスのサイズを計る時にも、店主であるベルティーユ嬢はいつも側にいて、おべっかを言っていたのだから。曲がりなりにも、セレスは伯爵夫人だ。手違いは許されない。


「ミア、私が袖を通してないドレスは把握している?」


「は、はい。把握しております」


「その中に、いくつか、私のサイズにあっていないドレスがあるはずなの。調べてちょうだい」


「……かしこまりました」


 ミアは、私が頼んだことの意図がわからないようで、少し眉を下げた。


「それで、サイズの合わないドレスが一枚でもあったら、ベルティーユ嬢と交渉してちょうだい。なければキャンセルは諦めるわ。

彼女が返金を渋るようなら、その事を言ってあちらの非を責めてちょうだい。

それでも、とぼけるようなら『いったい誰の為に作ったドレスなんでしょうね。奥様はお気づきのようですけれど』とでも言えばいいわ」


「……いったい誰の?」


 ミアは私が口にした言葉を繰り返したが、答えにたどり着いたのか、さっきの私のように「あっ」と声をあげ、怒りの為か、顔を紅潮させ、ぎゅっとスカートを握った。


 どうやらこれは彼女の癖のようだ。ただ先ほどと違って、手が若干震えている。


 ミアがアドリーヌ、カロリーヌ、ポリーヌに指示をしながら、衣装部屋に向かうのを見届けて、私は重いため息をついた。


「……リュリーがドレスや宝飾品に回した予算は、私の化粧料を使って、使用人達の待遇を元に戻すことは出来るかしら?」


 カルロに尋ねると「そのことなんですが……」とハンカチで額を拭き歯切れ悪く答える。


「宝飾店に払ったのは頭金でして、月賦を払いながら元の予算に戻すとなると…………奥様の化粧料、一年と半年分が必要となります」


 私は呆然とするしかなかった。


 リュリーはいったいどんな宝飾を買ったんだろうか……。

こんな額の宝飾、貴族だってそうそう持っているものじゃない。


 それに、私一年以上お小遣い無しなの?


「これは横領ですわ。旦那様にお知らせするべきです」


 たまりかねたようにマーサが言ったが、私は頷けなかった。

それは、リュリーを弾劾する武器にもなるが、同時にセレスの管理不足が責められる。


 まぁ、事実、管理不足だったのだが。


 それに、夫であるファルネティ伯爵がどうでるかわからなかった。


 きっと、セレスやカルロが強く言えば、彼はリュリーを屋敷から追い出すかもしれないが、罪に問うかはわからなかった。


 『とある聖女の物語』に記してあった通りなら、彼がリュリーと関係を持ったのは、一ヶ月ほど前。今一番、彼女に溺れている時期だろう。


 リュリーが屋敷から追い出されたとしても、ファルネティ伯爵が、私の知らない場所で、内密に彼女を囲って、関係を続けられるのは一番良くない。

 拍子をついて自室に軟禁することに成功したが、彼女はセレスを毒殺した女だ。何をしでかすかわからなかった。


 追い出すなら、彼女が伯爵家の影響力を全てなくしてから、そうするべきだ。今は、リュリーを目の届く場所に置いた方がいい。


「それは、やめておきましょう。

もしかしたら、旦那様の許しがあって、この宝飾を購入したのかもしれない。そうでなくても、今、彼女を糾弾したら、旦那様は悲しまれるわ。

リュリーがこんな事をしたのは私の責任だし、さっき言った通り、私の化粧料を使ってちょうだい」


 夫を慮るような事を口にしながら、私は重い気持ちになった。


 お小遣いがなくなるのはしょうがない。

リュリーがそんな事をした原因は、全てセレスにあったから。


 ただ、あの似合わない服を着ざるおえないことが痛かった。


 私は、セレスに似合うドレスを着て、社交界に出たかった。

 綺麗になったセレスを見て欲しい、という欲もあったけど、今後の為にも、社交界で少しでも交遊関係を広げたかったのだ。


 今までのセレスのように、笑い者にされたような格好ではダメだ。せめて、相手が一緒にいて恥ずかしくない格好でないと……。


 セレスは伯爵夫人だし、おそらくこれから何度も貴族の家にお呼ばれしたり、夜会に出なくてはいけない。

同じドレスを続けて着るのは無作法とされていたから、今手元にあるアングレ夫人の作ってくれたドレスだけで乗り切ることは出来ない。


 だからと言って、追加の化粧料を叔父にねだると、事が、ややこしくなるだろう。吝嗇家ではないが、計画性のない無駄遣いはよしとはしない人だ。

セレスの実家は成金だったが、父親や叔父は北部人の性質そのまま、堅実だった。


 セレスが金銭をねだれば理由を必ず聞いてくるだろうし、事実を知れば、叔父は憤慨し、リュリーに罪を問うだろう。

そうなればファルネティ伯爵との関係が悪化しかねない。

 本末転倒だ。

セレスに莫大な持参金を持たせ、嫁がせた意味がなくなる。


 重苦しい気分になって、すっかり冷めたお茶で、いやに乾いてしまった喉を潤す。


(脇役について詳細を書く必要もないから、この事は本に書いてなかったのね。

私が把握できてない問題は、これ以外にも、あるんだろうか……。

もっと簡単だと思ってた……。読んだ本の中だし、起こることはわかってるんだからって)


 再び頭を抱えたくなったとき、部屋の扉を叩く音が聞こえ、返事をした。


「宝飾店のメルシエさんがおみえです。お通ししてもよろしいですか?」


 そう告げるメイドの声に、私は背筋を正した。

これは良いタイミングかもしれない。


 ドレスのことはさておき、リュリーを追い詰める良い風になるかもしれなかった。

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