1-2 この世界について1

 気づいたら、私は夢中になって読んでいた本、『とある聖女の物語』の登場人物になってしまっていた。


 セレス・デュシャンはこの物語の脇役だ。


 そんな異常ともいえる状況だったが、すんなりと受け入れられたのは、私が入り込んだセレス・デュシャンの記憶が、自然に流れてきたからかもしれない。



 『とある聖女の物語』は、主人公であるアデライードが様々な困難に立ち向かい、愛を育んできた皇子と結ばれる物語だ。


 主人公のアデライード・グレゴワールは北部の名門貴族の当主の娘だった。

セレスは初めてアデライードに会った時、妖精みたいに綺麗な女の子だと思った。

 白くきめの細かい肌、見事な金髪、青い瞳と、北部美人の条件を全て持っていた。

 だが、その整った造形以上に、溌剌とした明るい表情に魅了された。


 アデライードは、そんな恵まれた容姿をしていたが、それを鼻にかけることはせず、朗らかで、芯のあるまっすぐな性格だった。


 私が何よりも好きだったのは、彼女の優しさと、どんな困難にも折れない心が強さだ。


 そして、彼女は強い魔力を持っていた。


 この物語の舞台であるリベルク帝国は、セフィード大陸を支配する強大な大国で、他国にはない奇跡があった。魔法、魔術と呼ばれる人知を越えた力を使える人間がいることだ。


 リベルク帝国の神話ではこう伝えられている。


 精霊の女王アポロニアが、影の国に隠れた時、伴侶であった大神シューベリが、うつし世に残された女王の体を砕いて、この大陸中に散らばらせた。

そして、セフィード大陸には魔力が満ち、この大陸に住まう人々は、精霊の声を聞き、魔術を使えるようになったのだと。


 アデライードとセレスがいた時代、古代のように、誰もが精霊の声が聞くことは出来ず、魔法を使える人間は希少で、魔力を持つ者すら少なくなってきていた。


 歴史書にあるような、不治の病や疫病を治したり、川の氾濫を鎮めたり、山火事を消すような奇跡は、もう何百年も起こっていない。


 皇室直属の魔術師も、物を手を使わず動かすとか、少しの金を錬成するぐらいのことしか出来ず、治療を得意とする神殿所属の魔術師も、切り傷を治すとか、民間療法に比べ少しだけ効果の高い薬を作る程度のことしか出来なかった。


 アデライードは、奇跡のような魔法がつかえた訳ではなかったが、誰に教えられた訳でもないのに、宙に物を浮かせることができた。少しのかすり傷なら治すこともでき、自分が怪我を負った場合、意識せずとも、すぐに怪我が治ってしまう、不思議な体質だった。


 彼女の才能や、不思議な体質を知っていたのは、彼女の両親と、セレスだけだった。

 その力を悪用される恐れがあったからだ。それに魔力を持つ子供の誘拐は多かった。


 リベルク帝国では、誰もが五歳になると神殿で選定を受け、魔力があるかないか調べる。

魔力があるものは一から八までの段階で等級がつけられた。

 ちなみにではあるが、セレスの父親は魔力持ちだった。等級は八。

七と八は魔力はあるものの、魔法が使えるほどではなかった。


 選定は、神殿の権威の象徴でもある聖女を選ぶ為でもあり、才能のある者が魔法を鍛練できるようアカデミーに入学させる為でもあったし、魔力のある希少な存在を守る為でもあった。それにアカデミーを卒業すれば国から生涯に渡り支援を受けられる。


 アデライードは、貴族だったので両親は彼女を守りきる事が出来たが、市井の、それも貧しい子供の運命は、過酷だった。

それも、中途半端に力があるもの、等級六は特に。


 アカデミーに入学出来るのは、等級五以上で、それなりの才能がなければ入学出来ず、神殿は等級に関係なく受け入れてくれるが、一度保護下に入れば、一生を神殿で生活しなければならない。俗世と切り離されて、家族ですら会えなくなる。


 つまり、等級六以下の子供は、神殿に入るのを拒めば、人拐いに怯えて過ごさねばならなかった。

大抵、拐われた子供は海を越えたシューベリの恩恵のない遠国に売られた。

力があるからと言って、それが幸せに繋がる訳ではないのだ。


 アデライードの等級は明らかにされていなかったが、選定を受けてからは、ずっと神殿からの勧誘を受けていた。


 おそらく、相当高い等級だったのだ。神殿が明言するのを避けるほど。

だが、彼女は神殿に入ることを拒み、神殿のしつこい勧誘から逃げるために、皇都へ行き偏屈な魔術師の元で修行することを選ぶ。


 そして、彼女が故郷を離れ、皇都エンドルフの伯爵家に嫁いだ親友のセレス・デュシャンと再会したところから物語がはじまる。


 セレスが、夫の浮気相手である侍女リュリー・ブラモンに毒殺されてしまい、その犯人の濡れ衣を着せられるのが、アデライードが最初に乗り越えるべき障害だった。


……そう、私はあろうことか、物語の序盤に不幸にも死んでしまう脇役になってしまったのだ。

魔力もない、無力な、ただ序盤に消えるだけの脇役。


 なんてことだろう。

確かに、主人公のアデライードに会ってみたいと願ってはいたけど、再会できてもすぐに死んでしまう親友なんて


 全然、アデライードと絡めない!


 死にたくない!

 毒殺なんてされたくない!


 なんとしても、生き延びて、アデライードと共に生きて、彼女の幸せを見届けたかった。


 そのためには、この怯弱なセレス・デュシャンを変えなくてはいけない。


 多少、今までの善良さを捨て、卑怯になったとしてもだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る