序盤で消える脇役ですが、主人公と再会するために奮闘します

加藤八式

プロローグ

0-0 緑の瞳

 ……水滴の音が聞こえる。

ぴちゃん、ぴちゃんと、一定の間隔を置いて、滴が、石畳に落ちることで奏でられる音。

 きっとこの音だけ聞けば、静寂を物語るには相応しい音色だと思う。

でも、それよりも喉から出される喘鳴がうるさい。


 ここは暗くて、湿っぽく、身体を横たえた石畳は冷たくて、身体中の体温を奪っていくようだった。


 着ている服は、囚人服ではなく、お茶会の為に仕立てた水色のドレス。精緻に織り込まれた花柄の模様が気に入って購入を決めたが、腹部は赤黒く血で汚れていて、それを見るのも難しい。

 綺麗だったドレープはぐしゃぐしゃに崩れ、泥や埃、自分の血で汚れ、あしらったレースも同様に無惨な状態だ。


 私を牢に入れた看守達は、私の宝飾を奪う事は迷わなかったが、このドレスを脱がし、囚人服に着替えさせるかで揉めた。

 その間に、傷が開いて、私が死んだらどうするかで揉めたのだ。

 彼らは真珠の首飾りを引きちぎり、人数分に分けると、それぞれをポケットに入れて、動けない私を抱えて牢に入れた。


 刺されたおなかは、ずっと痛い。奥の方までずっと。だんだんと痛みではなく、違う感覚、痺れとかに近いものに変わってきていた。

 産まれて初めて味わう痛み。皮膚を切ったとか、転んだとか、そういう時に味わう痛みとは違う感覚が、死を予感させた。


(まだアデライードと会えてない……)


 毒が喉を焼いた時は、短かった。その短い時間で、私の命を食い付くした。

 だが、こうやって、命が徐々に削られていくのを、ただ待つのも辛かった。


「アデライード、アデライード、アデライード……」


 私は神の名を唱えるみたいに、彼女の名前を呟いた。


 今度こそは、もっと長く一緒にいられると思っていた。

でも、会えない。再会できないまま、私はここで死ぬのだ。


 かつん、かつん

と遠くから足音が聞こえてくる。


 また看守か、それとも国家憲兵か。

彼らは私が生きているのを確認すると去っていく。彼らは、きっと私が死んだ事を確認したら、この鉄格子を開けるのだろう。私の死体をここから出すために。


 眩しい光に照らせれ、鉄格子の外から、あの忌々しい看守ではなく、あの男の笑顔が見えた。

鮮やかな緑の瞳が闇に浮かんで、それはいつか神殿で見た聖炎のようにも見える。


「まだ生きてる?」


 彼は鉄格子の扉の鍵を開けると、牢の中に入ってきた。

牢の中で唯一置かれた椅子に目をとめると、横たわる私の側に置いて、腰かける。


「だから言ったじゃないか。君は甘いって。

 君の現状を話そうか?

 まず、警察どもは困っていた。君をどうするか。君の置かれた状況は、かなり複雑だから。


 警察どもは、君を逮捕することは出来たが、君は、あの娘に刺されて、重傷だ。

 君は貴族で、伯爵夫人だからね、無理な尋問は出来ない。尋問中に君が死んだら、君の叔父上も、ご夫君も黙ってはいないだろう。


 それと、君が毒殺犯である可能性は高いが、君は奇跡とも言えることをした。

 魔術を使えるものは希少だから、多少罪を犯しても、赦免される。毒を使って人を害するのは重罪だけど、被害者は生きているから、情状酌量もされるだろう。

 それでも、神殿か皇宮で君の力がカラカラに乾くまで絞りとられるけども……これは、まぁ、いいか。今は関係ない。


 それで、彼らが選んだ選択は、放置だ。


つまり、牢獄に閉じ込めて、君が死ぬのを待つことにした」


 そんなことをわざわざ告げるために、ここへ来たのか。彼を睨み付けると、彼はため息をついた。


「そんな顔をするものじゃない。話しは最後まで聞くんだ。

ご夫君が神殿の治療師までここ寄越したが、彼らは匙を投げた。もう長くはないだろう。

このままでは、君はいずれ死ぬんだ。

だから、私は君に聞きたいことがあってここまで来た」


「………あなたは、どうしたいの?」


 私は、こちらを見下げる男に尋ねた。この男が、ただ、私の死に様を見る為だけに、こんな所まで来るはずはなかった。

彼は、唇に弧を描いて、目を嬉しげに細めた。


「私は、ファルネティ伯爵夫人が欲しい」


 彼が椅子から立ち上がり、膝をついて私の顔を覗きこんだ。

緑の瞳、アポロニアを砕いてバラバラにした、シューベリと同じ目だ。


「君はどうしたい?

このまま、ここで死ぬか、もう一度、奇跡を起こすか。

どうする?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る