A「共犯者」

第8話 幻想の裏と表

 身体中が鈍く痛んだ。目を開けるのも億劫であったが、それでも強引に重い瞼を押し上げる。


「ここは……?」


 上体を起こした華怜(かれん)は、辺りの様子を伺った。


 少なくとも、まともな医療機関ではないのだろう。空間こそある程度清潔に保たれているが、壁や床はコンクリートが剥き出しで、天井からはコード類が垂れていた。


「建設途中のビル……?」


 そして、自分が寝かされていたベッドの脇には、中破した十三号車も放置されている。


 両前脚をもがれた鋼の警察犬は、一見して死に絶えたように見えるだろう。内部のエンジンやコンピュータ系さえ無事であれば自分でも最低限の補修は出来そうだが……


「どういうことなの……?」


 華怜の脳は一つずつ今に至るまでの経緯を整理していく。


 たしか、自分は一人で赤ずきんを追いかけて。そこで彼女と正面から対立するも、そこに居たのは十年前の彼女とは明らかに違う別人で────


「あっ! 目が覚めたんだね」


 それは華怜が記憶を取り戻すのと示し合わせたようなタイミングだ。コツコツと階段を登る足音が響いてきて、真っ赤なフード付きジャンパーを羽織った少女が階下から上がってきたのだ。


 幻想人(フェアリスト)「赤ずきん」。そして自らを〝表〟と称した少女は、不適な笑みを携えている。


「ふふっ、三日振りのお目覚めかな? オオガミちゃんってば重症から来る発熱で暫く寝込みっぱなしだったんだよ。私の異能でできる処置だって精々が流血を強引に止める事くらいだし、まぁ、何はともあれ回復したようで何より、何より」


「どうして、私の名前を知ってるの?」


「ジャジャーン、これなーんだ?」


 彼女が懐から取り出したのは、華怜の警察手帳であった。


「他にも物騒なものは色々没収させてもらったからね。拳銃とか特殊警棒とか。あと〈ウルフパック〉を動かすための専用ウェアボットは壊れてたから、捨てといた。あれ、名前なんだっけ? アシスト……何? けど、あのスク水みたいなデザインはないよね。少なくとも嫁入り前の娘に着せる衣装じゃないと思うんだけど」


 それは余計なお世話だ。


 少なくとも目の前の幻想人から敵意は感じられなかった。なんなら彼女はお喋りで、この奇妙な現状を楽しんでいるようにも思える。


 それに苛烈な敵意を抱いているのは、寧ろ華怜の方であった。赤ずきんの視線が無意識に自分から逸れる一瞬。そのタイミングを狙い、間合いへと飛び込む。


「返してッ!」


「おっと⁉」


 赤ずきんも躊躇なく異能を行使する。赤く彩られたものを自由自在に操る能力を駆使し、自らが纏う真っ赤なフード付きのジャンパーを二本の腕状に変形させた。


 だが、その指先に押さえつけられるよりも、華怜の踏み込みの方が早い。


「今度こそ貴女の異能は見切った!」


 赤ずきんの手首を取って逆手に捻ると、そのまま彼女の後ろに回り込んで関節を極める。


「ちょっ……いくら幻想人が皆に痛みに鈍いからって、いきなりすぎ! ていうか待って、関節はダメ! 普通に痛い、マジで痛いからッ!」


「まずは異能を解除して。そうしたら、私の質問に答えてもらうわよ」


 華怜の中で「目の前の赤ずきん=一〇年間追い続けた赤すぎん」という公式は既に破綻している。自分の知る赤ずきんであれば、死に掛けの人間をわざわざ助けるような真似はしない。それどころか死体を弄ぶのが、あの狩人気取りのやりそうなことだ。


 ただ、二人が別人であることと、無関係であるかどうかは、また別の話だ。寧ろ、同じ異能を保有し、同じ顔立ちに同じ声をしているのだから、全くの無関係という方が無理がある。


「貴女は何? 赤ずきんの姉妹? それとも、まさかドッペルゲンガーだなんて言わないわよね」


「ふふっ……当たらずしも遠からず……って痛い! 痛い! 分かった、分かった! 変に意味深な喋り方はしないから。ちゃんと一から説明するからっ!」


 華怜が手を離すと、赤ずきんは捻られた手首を擦っては、痛みを誤魔化していた。


 そして、ある程度痛みが和らいだのか、相変わらずの態度で語り始める。


「けど、前に名乗った通り、私は赤すぎんの〝表〟であって、それ以上でもそれ以下でもないの。ただ、その事をもっと分かりやすく説明するなら、そうだなぁ……まずオオガミちゃんは、私たち幻想人って存在をどんな風に認知してるの?」


 幻想人────それは誰もが知る御伽話の中から出力され、この世界に産み落とされた存在。共通点としては、何かしらの超常的な異能を有し、道徳観や倫理観が欠落している危険を孕んでいるところ。敢えて彼女の用いた表現を借りるのであれば、世間や華怜が認知する幻想人の存在は、それ以上でもそれ以下でもなかった。


「ふーん……けど、まぁ、人間側の認知としては妥当なところかな」


「随分と含みのある言い方をするのね。今度は足首を逆に捻り上げてもいいんだけど」


「待って、待って! 暴力反対!」


「それじゃあ、貴女がずっと主張してる〝表〟っていうのは一体どういう意味なの? まさか貴女と対を為す、赤ずきんの裏がいるわけでもあるまいし」


 一つの御伽話から出力される幻想人は一人だけというのが、華怜たちの持つ常識であった。


 例えば赤ずきんにしたって、その中に登場するキャラクターの全てが産み落とされるわけじゃない。その物語の中から幾つかの要素を抽出した存在が、幻想人の「赤ずきん」として集約され、この世界に出力されるのだ。


 だから、華怜は自ら立てた仮説を鼻で笑った。そんなわけがないのだから。


「それだよ、オオガミちゃん」


 だが、その仮説に、目の前の少女は真顔で頷いてみせる。


「全く同じ異能に、全く同じ顔や声をした幻想人の『赤ずきん』はこの世界に、〝表〟と〝裏〟の二人が存在しているの」


 続けるね、と前置きをした上で赤ずきんは、自らの詳細についてを語った。


「貴女たち人間が勘違いするのも別におかしなことじゃないよ。大きな事件を起こすのはほとんどが裏だし、表はなるべく面倒ごとに巻き込まれないよう逃げ隠れしてるのがほとんどだから。


 ただ、何事にだって表と裏がある。それと同じように幻想人も一つの御伽話から、私みたいに善良な〝表〟と、頭のネジが外れた〝裏〟がほとんど同時期にこの世界へ誕生するようになっているの」


 幻想人たちは皆、固有の電波を自分の内側から発信する性質を持つ。この性質についても、彼女は華怜の知り得ぬ知識を披露した。


「私たちが放つ電波にだって意味があるんだよ。オオガミちゃんたち人間にとっては、街中に紛れた幻想人を見つけ出すための反応に過ぎないんだろうけど。あれは私たち幻想人にとって、自らの片割れとの間で絶えず交わされる通信信号なの」


 彼女は便宜上「通信信号」と称したが、その実態は言葉ほど便利なものでもないらしい。言葉を交わさず意思疎通が出来るわけでもなければ、お互い居場所が伝わるわけでもない。おまけにオンとオフすら選択できないのだから、煩わしい限りだと不満を垂れていた。


 ただ、信号があるからこそ感じるという。この世界のどこかに自らの片割れが存在していること。そして時折、その信号が大きく乱れること。


「きっと極端な感情の昂りがノイズとして、私にも伝わってくるんだろうね。そして、あのどうしようもない片割れが愉悦を覚える瞬間なんて決まってる」


 それは彼女が狩人を気取るとき────追い詰めた獲物の額へとマスケット銃の銃口を押し付け、トリガーを引く瞬間だ。


「……今の話は本当なの?」


 華怜は過去一番に間の抜けた顔をしていたことだろう。


 自らの認知する前提がそもそも誤っていた結果、それが手痛い失態につながることは、彼女が有する異能の件で嫌でも学ばされることになった。だからこそ、通説には疑いを持つべきなのだろう。


 だが、それにしたって赤ずきんが明かした事実は思い寄らぬものであった。一つの御伽話から出力される幻想人に表と裏の二人がいるという事実は、華怜の脳を横からぶん殴るようなもの。そうなれば必然的に間抜けな顔になってしまうのだ。


「うっわ……オオガミちゃんってば露骨に信じてなさそうな顔」


「いや、信じてないわけじゃないんだけど……受け入れるのに少し時間が欲しいというか、何というか……」


「まぁ、信じるか信じないかはオオガミちゃんに委ねるよ。それに私としては、そろそろ別なことにツッコミを入れたいかな」


 軽く小首を傾げたが、赤ずきんの視線は華怜の首から下をジッと凝視していた。


「いやぁ、私的には眼福の限りなんだよ……けど、オオガミちゃん。その格好はそろそろお茶の間的にもヤバいんじゃないかな?」


 そこで華怜もようやく気付いた。


 赤ずきんは先程、華怜が身に纏っていた拳銃や特殊警棒などを回収させてもらったと言っていた。そして、回収された物品の中には、破れてしまったアシストウェアも当然含まれている。


 つまり、今の自分は何も纏わぬ全裸なのだ。


 幸い、大事な箇所こそ手当てのために巻かれた包帯で隠れているが、それでもあられの無い姿であることに変わりはない。


 何なら赤ずきんは「それがエロい!」と言いたげなニヤケ面を浮かべていた。


「ッッ……この変態幻想人ッ! なんで、もっと早く言ってくれないのッ!」


「だって、問答無用で関節技を決めてきたのはオオガミちゃんの方じゃん。それに包帯を交換し終えたら、ちゃんと貸すための衣類も用意してたんだよ」


「だったら、早くそれを持ってきてッ!」


 顔を真っ赤に吠えた。


 多分、これまでで一番大きな声で、目の前のエロガキを華怜は責め立てる。

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