第7話 同じ顔、同じ声の彼女

「この匂いは……私の血だ……」 

 鼻腔に突き刺さるのは溺れるような鉄臭さだった。華怜(かれん)の意識は今、微睡の中へと沈もうとしている────


◆◆◆


 起爆によってもがれたのは十三号車の前脚であった。これが通常走行中の破損であれば、華怜のテクニックで充分に立て直しが利いた範疇であろう。


 だが、十三号車が在ったのは空中だ。爆風に揉まれる最中に前脚分の重量を損なった車体は、保たれていたバランスを消失。そのまま地上へと叩きつけられたのだった。


「ッッ……」


 咄嗟にブースターを逆噴射し車体へのダメージを最小限に留めるも、座席ごと回転した身体を何度打ちつけただろうか。上下が反転する度にフルフェイスメットを衝撃が襲い、遂には砕けたガラス片が眉間を深く切り裂いた。


「まだ……だァ!」


 ダラダラと流れ続ける血のせいで、前が見えない。脳が揺れるような感覚も拭えぬまま、次の思考をすることさえも出来なかった。


 せっかくここまで「赤ずきん」を追い詰めたと言うのにだ。華怜の意識は、まさしく風前の灯のように掻き消えてしまう寸前であった。


 すると、不意に天蓋(キャノピー)を開けられた。車外に設けられた緊急脱出レバーを捻られたのだ。


 吹き込んできた雨滴がボロボロになった華怜を叩く。


 次いで安全ベルトを外されて。両脇に手を回されたかと思えば、身体が宙に浮くような感覚を覚えた。


 きっと自分は今、通りがけの一般人か、追い付いてきた対策班の誰かに救助されているのだろう。


 だが、その嗅覚は仄かに甘い香りを感じ取る。自分が流した血とも、ペトリコールの臭気とも明らかに違うこの匂いは、紛れもなく幻想人の匂いだ。


「────ねぇ、生きてる?」


 声も同じだ。一〇年前に聞いた赤ずきんの声色と少しの差異もない。では、どうして、あの赤ずきんが自分を助けようとしているのか?


 それは華怜にとって当然の疑問だった。トドメを刺したいだけであれば、わざわざキャノピーを開けずとも、装甲越しにマスケット銃の引き金を引けばいい。


 それなのに彼女はどうして、首筋に指を添え脈を取っている? 


 それどころか、どうして傷の止血まで試みている?


 次第に華怜の中は数えきれない疑問と困惑で埋め尽くされていく。ただ一言、口からはある言葉が漏れていた。


「……ふざけないでよ」


 その言葉を皮切りに。薄らいでいく意識を繋ぎ止めたのは、自分でもどうしようもない程の苛立ちだ。


「ッッ……ふざけないでッ! 一体何様のつもりだって言うのよッ!」


 咄嗟に伸ばした爪先でアクセルを踏み込めば、中破した車体が唸りを上げた。再展開されたブレードは、高圧電流を纏い彼女に牙を剥く。


「ちょっと⁉ それ以上動いたら君の傷口がッ⁉」


 驚愕した赤ずきんも半身を退くが、それでは遅い。爆ぜ散るスパークは、華怜の怒りを体現するように、刃擦った先から仇敵の細胞を焼き焦がした。


「はっ、笑わせないでッ!」


 今、華怜が対峙している少女は連続小児誘拐殺人犯「赤ずきん」だ。自らを狩人と称し、他者を己の獲物として見ることのできないシリアルキラーなんて、即急に殺処分すべき害獣と同じなのだ。


「私は、貴女にされたことを忘れないッ! 私は、貴女が多くの人にしてきた『理不尽』を許さないッ!」


 華怜がありったけを込めて吼える。


 そんな害獣が何の気まぐれか、自分の救おうとした。その事実は華怜にとって衝撃的であると同時に、屈辱的であった。


「貴女はたくさん殺したくせにッ!」


 鼻腔に届いたのはカラメルのような香ばしい香り。きっと彼女の血が電熱に焦がされたが故のものだろう。


 だが、それでさえ赤ずきんを絶命させるには至らない。彼女は強引に飛び退いて、刃の間合いから離脱してみせる。


「チッ……!」


 落下の衝撃でバッテリー部を損壊したのか、ブレードが纏う電圧は明らかに平常時のものを下回っていた。


 さらに彼女は刃が食い込むと同時、流れ出た血液を硬化させることで簡易的なシールドを形成したのだろう。そのせいで十三号車は彼女の細身すら断絶できなかったのだ。


 再び、一定の間合いを開けて対峙した二人に冷たい雨が降り注ぐ。


 その間に流れるのは、僅かな沈黙か。


「……ねぇ、お巡りさん」


 だが、先に沈黙を破ったのは赤ずきんの方だった。


「お巡りさんは、前に私にあったことがあるような口振りだけどさ。多分私たちは初対面だよ」


「は……?」


 まさか、この状況で言い逃れをしようと言うのか。その態度は華怜の逆鱗を引きちぎる様なものであったが、当の赤ずきんからこちらを嘲るような意図を感じない。


「忘れたとは言わせない! 貴女は一〇年前、私の父さんと母さんを殺したッ……それに、それだけじゃないッ!!」


「けど、それって本当に私だったの?」


「一〇年も憎んだ相手を今更忘れるわけがないじゃないッ!」


 華怜は全てを覚えている。赤ずきんの顔も声も。彼女が弾丸に仕込む微かに甘い血の香りさえも。────その全てが鮮烈に焼き付いて、何度忘れようとしても叶わなかったのだ。


「だったら確かめてみなよ」


 赤ずきんが徐に纏っていたブルーシートを脱ぎ捨てた。


 露わになった彼女の格好は、以前のドイツ風の民族衣装と一変し、現代的なフード付きのジャンパーだった。俗に言うパンクファッションという奴だろうか、銀の 装飾がジャラジャラと鬱陶しく、真っ赤なフードを目深に被っていた。


 だが、恰好を少し変えたところで、華怜の眼は欺けない。


「私をよく見て、お巡りさん」


 フードの切れ間から窺く顔立ちも、一〇年前に見た赤ずきんのものと一才変わらなかった。幻想人(フェアリスト)は過剰な再生能力を持つゆえに老化もしない。ただ、一点。彼女には目に見える差異があった。


 金と銀の双眸。それは華怜の記憶の中にいる赤ずきんと、左右の色彩が逆なのだ。 


 困惑はそれだけで終わらない。


 露わになった双眸に宿るものが一〇年前の彼女とは、明らかに違う。一〇年前に出会ったあの狩人気取りが宿すものが、己への「陶酔」や嗜虐から来る「愉悦」であれば、目の前の彼女が宿すものは何者かに向けた異様な「執念」だ。


 それはまるで、華怜が瞳に宿すものと同じような────


「……貴女は誰なの?」


「私は幻想人。御伽話から出力された赤ずきんの〝表〟……今はそれ以上で、それ以下でもないかな」


 彼女の口元に浮いたのは、自虐的な薄い笑みだった。


 表とは一体どういうことか? 本来の赤ずきんとはどのような関係性にあるのか? 他にも聞きたいことは山ほどあった。


 けれど、上手く呂律が回らない。それどころか、華怜の思考は再び酩酊へと呑まれてしまう。


 怒りで強引に繋ぎ止めていた意識の糸が遂に解れてしまったのだった。


 ◆◆◆


 赤ずきんの〝表〟は、意識を失った十三号車のドライバーを注意深く観察する。


 もしかしたら気絶したフリかもしれない。この女ならそれくらいやってみせるだろうという確信もあった。


「お巡りさんさんの方が、私なんかより獣染みてるじゃん」


 壁を走ってみせたドライビング技術にしたって、あの高さから落下したというのに意識を繋ぎ止めているタフネスにしたってそうだ。


 初めてキャノピーを開けた時、赤ずきんの目に飛び込んできたのは、額を血で濡らした女性警官の姿だった。特に目立ったのは眉間の切り傷であったが、他にも全身に打撲痕が見られ、まさしく重体にあった。


 そんな状態から、まさか反撃に遭うだなんて。


 赤ずきんは、ブレードによって焼き切られた傷口へと指先を添える。


「辛うじてガードできたけど、まだ軽くビリビリしてるし……これは私の能力ありきでも治るには時間がかかりるんだろうなぁ」


 軽く頬を叩いてみるも十三号車のドライバーはピクリとも動かなった。辛うじて浅く呼吸をしているが、再び起き上がる気配もない。


 今度こそ完全に気絶しているのだ。それを確認した赤すぎんが再度彼女の傷を治そうと近づいた時、あることに気付かされた。


 破れたアシストウェアの内から窺くもの。────それは本来であれば、彼女の淡く桃色を帯びた肌である筈だというのに、ほんの一瞬だけそこの色彩が乱れたのだ。


「……これって、ホログラム? ……それも街頭宣伝に使われるような安っぽい物じゃなくて、もっと高性能な擬装用の……」


 であれば、このホログラムの下には何が隠されているのか? 


「お巡りさんの方こそ、一体何者なの?」


 赤ずきんは周囲への警戒に意識を割いた。振り続ける雨音に紛れるのは、連続的なサイレン音。それも次第に近づいている。


『大上(おおがみ)巡査部長ッ! 聞こえているかッ! 間もなく俺たちも追い付くから無事でいろよなッ!』


 ジジッというノイズの後に通信機から聞こえて来たのは、このドライバーの上司だろうか? 


「お巡りさん、オオガミって言うんだ。ふーん……なるほどね」


 短い逡巡。そして、赤すぎんは胸元から携帯端末を取り出すと、向こうにいる誰かを呼び出した。


「あー、もしもし。桃太郎ちゃん?」


『そ、その声は赤ずきんの姐さんじゃ。……あと、その呼び方はやめて下さいって、前にもお願いしたような』


 向こうの声は、こちらを歓迎しているとは言い難い。それでも赤すぎんは、お構いなしに続ける。


「そうだったかな? というか、私が貴女から買った逃走ルート全然ダメだったんですけど。おかげで怖いお巡りさんに追いかけられるし、今も絶賛大ピンチだし」


『そっ、そんな⁉ 私のシミュレーションだと、ほぼ確実に逃げられる筈なのに』


「とーにかく、今度こそちゃんとした逃走ルートを考えて。絶賛、四方を対策班の〈ウルフパック〉に囲まれようとしてるけど、貴女なら楽勝でしょ?」


『うぅ……前金を貰ってる手前、断りづらい。……け、けど! 成功報酬は傘増しさせて貰いますからね!』


「はい、はい。わかってるって……あっ、けど、ちょっとだけ逃走プランの条件を変更させて」


 逃走対象を追加。────私一人で逃げるためのプランから、人間一人と中破した〈ウルフパック〉一台分を運び出せる出せるプランに。

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