第3話 13番目の警邏車両

 署の裏手には多種多様な警邏車両たちが並んでいた。巡回警備を行うためのパトカーに、交通取締を強化するための白バイ。そして、鋼の警察犬を思わせる特殊車両がその四脚を折り畳み、「待て」の姿勢を取るように駐車されていた。


「……対幻想人(フェアリスト)の切り札。〈ウルフパック〉か」


 警察官組織に求められるものは、強い正義感や正しい倫理観をはじめ多岐に渡る。そして、時には凶悪な犯罪者たち以上の力を持って、未然に犯罪を防ぐ抑止力も保持しなければならない。


 幻想人たちが出現する以前にその役割を果たしていたのが権力や司法といったものだったのだろう。


 だが、現れてしまった御伽の住人たちにとって、こちら側の権威やルールなど関係ない。彼らを抑制するためにこそ警察組織が求めたものこそが、純粋な暴力であり、それを実現するのがこの四脚型特殊警邏車両なのだ。


 駐車された〈ウルフパック〉たちは一号車から十二号車まで。操縦席を中心に纏わされた装甲は分厚い毛皮を思わせ、横並びする様はその名の通り、「狼の群体」を思わせるものだった。


 二メートル前後の車体を眺めていた華怜(かれん)の視線は、次いで車両の脚部へと注がれる。対幻想人用兵装のコンテナも兼ねる四脚は、災害現場で用いられる多脚ロボットのノウハウを元に完成されたものだ。


 この脚部が抜群の走破性を備えるからこそ、鋼の警察犬はどんな現場にも速やかに急行し、ターゲットの反撃を回避、そのまま何処までも追い詰めることができる。〈ウルフパック〉を対幻想人の切り札たらしめるのも、その足回りの性能にあった。


「おい嬢ちゃん、こっちだ! こっち!」


 向こうでツナギ姿の男が、華怜のことを呼んでいる。


 そろそろ還暦を迎える歳だと思うのだが、その鍛えられた抜かれた体躯は、現役の機動隊員たちに劣らない。無骨なレンチを肩に担ぎながら、彼はこちらにブンブンと手を振っていた。


「カッちゃん」こと勝村健三(かつむらけんぞう)。本職は〈ウルフパック〉の製造元である富田(とんだ)重工のエンジニアで、「この犬コロッたちがネジ一本の時から面倒を見てきたんだ」とは本人の談だ。


 華怜はこれまで書面やビデオチャットを用いて、勝村とやり取りを交わしてきた。ただ、こうして直接顔を合わせるのは今日が初めてだ。ピシッと背筋を伸ばし敬礼をしてみせた。


「ご無沙汰しています、勝村整備主任。改めまして、私は警視庁特務課・対幻想人対策班所属の大上(おおがみ)華怜巡査長と、」


「あー、いい、いい! そういう堅苦しいのはどうにも好きになれねぇんだ。それに皆まで言う必要もねぇ」


 勝村はその瞳を細めながら、華怜の表情を興味深かそうに観察した。そして、パチン! と指を弾いてみせる。


「やっぱりな。さっさと自分の愛車を見せて欲しいって、顔に書いてあるぜ」


 対策班に配備された〈ウルフパック〉たちはそのどれもが、各班員に合わせて個別の微調整が施された専用車両だ。勿論、時と場合に応じて誰かの専用車を拝借することはあれど、基本は班員一人一人に〈ウルフパック〉が割り当てられる。


 例えば一号車であれば脚部の兵装コンテナに格納しきれないほどの遠距離狙撃モジュールを背負い、頭部の位置に当たるセンサーユニットにも大型のアンテナが増設されている。


 これは学生時代にエアライフル大会で全国制覇を果たし、警察拳銃選手権でも好成績を収めた対策班班長、辰巳鋼一郎(たつみこういちろう)の要望が強く反映された仕様であった。


 だが、華怜は今日まで対策班に所属しながらも、まだ自分の専用車両を持っていなかった。


 これには自分が今年度から対策班に抜擢されたばかりの新人であることのほかに、もう一つ別な理由があるのだが、そんなに顔に出ていただろうか?


「あはは……」


 華怜は曖昧な笑みで誤魔化すも、その嗅覚は普段嗅ぎなれない匂いを捉える。


 奥を突き刺すようなこの独特な匂いは紛れもなく、オイルや機械油の類であろう。匂いの出どころ自体も明確で、勝村の着込んだツナギからだ。


 きっと、匂いが染み付いて取れなくなってしまったのだろう。


 ただ、華怜はこの匂いが嫌いではなかった。寧ろ、この熟練のメカニックが整備してくれた新車に期待さえしてしまう。


「それじゃあ、早速嬢ちゃんの愛車とご対面と行こうじゃねぇか!」


 十二台の〈ウルフパック〉が停められたそのまた隣。濃緑色のシートを掛けられたシルエットがあった。今朝出勤した時にはなかったから、午前中にトレーラーで運び込まれ、ここに納車されたのだろう。


「おらよっと!」


 シートを縛るための金具を外し、勝村がそれを捲り上げることによって新たな〈ウルフパック〉がその全容を露わとする。


 装甲表面にプリントされた「十三号車」の文字列。それに車両の仕様も申請通りのものだ。


「これが私の愛車……」


 まだエンジンもかけていなければ、ハンドルを握ったわけでもない。それでも自分はこの愛車を気にいるであろうと、華怜は確信する。


 だが、華怜が十三号車に抱く印象と、物珍しさからお披露目に立ち会った周囲の警官たちの反応は少し異なっていた。


 自分と勝村以外の全員が十三号車の車体を見ながら一様に首を傾げたのだ。「何だか、痩せ過ぎてないか?」と。


 一号車から十二号車までが毛皮を思わせるような分厚い装甲を纏うのに対し、十三号車は操縦席に必要最低限の装甲を纏うだけで、大半のフレーム骨格を露出させている。


 さらには目立った兵装も供えず、唯一あるのは腹下に増設された一対のサブアームと、それが支持する鋭利なブレードに限定されていた。他の〈ウルフパック〉たちと横並びにしても華怜の十三号車だけが、群れから弾かれた一匹狼のような印象を受けてしまうのだ。


「俺も〈ウルフパック〉が配備されるようになってから、色んな車両を注文通りに仕上げてきたが、こんなピーキーな姿に仕上げたのも初めてだ」


 白くなった顎髭に手をやった勝村が、華怜と十三号車を交互に見比べる。


「嬢ちゃんの希望申請書が届いた時は、皆で騒いだんだぜ。こいつは何かの間違いじゃねぇか? ってな。……そして、俺は今も少し疑っている。嬢ちゃんみたいな新人が乗りこなすには、このセッティングはちとハードすぎるんじゃないかって」


「えっと……これでも一応、この仕様を想定したシミュレーターでの疑似体感訓練や耐G訓練をこなしてきました。それに昔から運転だけは自信があるんです。大型二輪や車の免許だって一発で取れたし、警察学校での〈ウルフパック〉に纏わる教練の成績だって、一番でしたから」


 華怜が少しムッとして返すと、勝村もすぐに自分の発言を撤回した。


「悪りぃな、せっかくの納車だってのに野暮だった。やっぱり、歳をとるといけねぇ。つい若い連中に余計な世話を焼き過ぎちまう」


「私もちょっとムキになっちゃいました。ただ、複雑な操作はAIによるアシストだってありますし。私みたいなヒヨっこでもなんとかしてみせますよ」


「そうだな。それに嬢ちゃんのことは富田(ウチ)の工場でも少し噂になってたんだ。なんでも対策班に、すこぶる腕のいいドライバーが入ってきたって。ただ、それも承知の上で最後にもう一つだけ聞かせてくれ」


 勝村の視点は十三号車の備えたブレードへと注がれる。鈍色に輝く刀身には、通電機構が備えられており、高圧電流を纏わせながらターゲットを両断する。華怜が自らの車両に唯一求めた兵装だ。


 この双刃は、異常な再生力の高さを誇る幻想人を処分するのに最も効率の良い兵装の一つでもある。────迸る紫電は幻想人たちの細胞組織を破壊し、刃の一振りで頭部や心臓といった重要部位にダメージを与えれば一撃で屠ることもできる「致死の刃」なのだから。


「こんな殺傷力の高い武器を選んだってことは、よほど憎い幻想人がいるのか?」


 勝村の問いに、一瞬だけ華怜の表情が消えた。


 ただ、その口の端はすぐににへらと緩み、いつもの愛想笑いを浮かべてみせる。


「あはは……憎いも、何もないですよ。私だってこれでも警察官なんですから、公務に私情は持ち込みません」


 それに、と華怜は続けた。


「勝村さんは、五年前の『竹林抗争事件』を覚えていますか?」


「たしか、アレだよな……逃亡中だった幻想人と機動部隊が衝突した結果、大量の死傷者を出した挙句に、犯人に逃げられちまった」


 当時は〈ウルフパック〉はおろか、対策班も存在せず、幻想人たちの脅威に警察は常に後手に回ることを余儀なくされた。


 当時の機動隊員の装備だって、身体機能を向上させるウェアボットを着込み、対人間犯罪用の火器や防具に身を固めるに過ぎなかったのだ。


 けれど、その結果として五年前の『竹林抗争事件』で警察側は大敗をきした。事件の顛末を勝ち負けで語るのもナンセンスだが、それでも甚大な被害を出した挙句に犯人を取り逃してしまった事件を「敗北」と言わずなんと言おうか。


 それ故に二度と同じ過ちを繰り返さぬよう組織されたのが、「警視庁特務課・幻想人対策班」であり、開発された切り札が四脚型特殊車両〈ウルフパック〉なのだ。


「新人の私がこんなことを言うのは傲慢かもしれませんが、警察は犯罪への抑止力を誇示し続けなければならないんです。それは勿論、この世界の理から外れた御伽の住人たちに対しても」


「だから嬢ちゃんは、敵を一撃で屠れる武器を持って、幻想人たちを脅そうってか?」


「勿論、いくら相手が凶悪でも無傷で捕えられることが一番ですよ! このブレードだってあくまで視覚的牽制効果を期待したもので、十三号車一番の武器は、」


「あっー、そこから先は言わなくていい。コイツを仕上げたのも俺なんだ。だからコイツの一番の性能だって俺が一番よく分かってる」


 それもそうかと、華怜は納得してしまう。


 そして、もう一度自らに与えられた十三号車と向き合い、ほくそ笑んだ────警察官になると決めてから、一〇年だ。ようやく自分が一番欲しかった、もう一つの「力」が手に入ったと。


 ◆◆◆


 職務がまだ残っているからと、華怜は忙しなく、それでも丁寧に頭だけは下げて走り去っていった


 そんな彼女の背中を見送りながらに、勝村は思う。


「あぁしてる分には、ただのそっそかしい新人なんだけどな……」


 勝村だって伊達に長生きしてるわけじゃない。工場に勤める人間には曲者も多く、そのほとんどと向き合ってきたのだから、人を見る目は下手な聴取係にも負けていないと自負している。


 その上で勝村は、あの大上華怜という新人をどう見るか? 


「辰巳からは、問題児だけど素直で良いヤツだって聞いてたんだがな……」


 問題児なんて安い言葉で括れるほど、彼女の底は浅くない。


 本人は上手く取り繕っているつもりでも、その貼り付けた面の皮の下で何を考えているのかが皆目見当もつかないのだから。


「どうしたって猟犬の群れに狼が混ざることはねぇ……コイツは少し面倒なことになりそうだな」

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