第3話 対峙・前編

 ラインハルトの魔杖(まじょう)ゴルデンレーヴェ―――その先端に象嵌されたアクアマリンが、赤光(しゃっこう)と熱を帯びる。紅蓮の炎となる。ゴルデンレーヴェをヨーゼフに向けたラインハルトは、炎術魔法(えんじゅつまほう)を黒髪の魔術師に放った。だが―――。

「おちび!危ないですよう、おちび!」

「……ぐ…!」

 マントの裾で小犬を庇いながら、ラインハルトは呻いていた。ヨーゼフの魔杖シュラークが、燃え盛る火焔の鳳(おおとり)を放ったのだ。真紅の巨大な鳳はラインハルトの炎を瞬く間に呑み込み、炎の残滓から散りゆく白い光芒が、その都度ヨーゼフの身に吸い込まれてゆく。

 ラインハルトが空色の目を見張った。蒼白のこめかみを冷たい汗がつたう。炎と炎、氷と氷といった、属性を同じくする魔法を魔術師たちが撃ち合った時、力の勝る魔術師の魔法が弱者の魔法を吸収し、その魔力を我が物としてしまうのだ。ヨーゼフに力の差を突き付けられ、魔術を無効化され―――その恐怖が、ラインハルトの身を縛(ばく)してしまっている。

「何をしているんです?炎術魔法は花火じゃないんですよ。こう撃つんです」

銀の美しさと鋼の冷酷を宿すヨーゼフの声が、ラインハルトの耳を打った。ルビーの耳飾りが妖美に煌めき、シュラークが火焔の鳳を放つ。

「……!」

 ラインハルトは素早く呪文を詠唱した。アクアマリンが青白い光芒、冷気を帯びる。ゴルデンレーヴェが氷術魔法(ひょうじゅつまほう)を放つ。氷雪(ひょうせつ)が鳳の火炎を阻む。丸ぽちゃの顔に喜色を浮かべた小犬が、マントから身を覗かせた。

「おー、おちび!やるじゃん!」

「調子に乗るなっ、ぽんぽこっ!」

「へえ…少しは頭を使ったんですね。魔力を吸収されないように、氷術魔法ですか」

 ヨーゼフが伸びやかな柳眉を上げた。そこには軽い驚愕と共に、楽しげな色合いも仄見える。鼠を弄ぶ猫の、残忍な愉悦だ。

「しかしまだまだです」

 ヨーゼフが左手を掲げた。手のひらが青白い光輝を帯びたかと思いきや、氷柱の群れがラインハルトの氷術魔法を粉砕する。魔力の光芒がヨーゼフに吸収されてゆく。

「……なっ…!」

 ラインハルトは絶句した。―――魔法の威力も私を格段に上回っている。氷術魔法の迎撃、呪文の詠唱も速い……。並みの魔術師なら、とうに魔力が枯渇している……。この魔術師は、強過ぎる……!

 ―――それだけじゃない。大胆でありながら沈着で、私の戦術の先を見据えている。魔術の腕前だけじゃなく、強靭な意志力がこの男の最大の武器なんだ……!

呆然自失のラインハルトに、ヨーゼフは皮肉な微笑みを見せた。

「力の差というのは残酷なものなんです。覚えておいてください」

「おちび!」

「ライニ!」

 炎の鳳がラインハルトを打ち据え、小犬が悲鳴をあげた。

 覚えずヴィントから身を乗り出したアドルフを、幾筋もの細い銀の煌めきが襲う。咄嗟にかわしたものの、右の頬を鋭い痛みが走る。皮膚が薄く切れ、血が滲んでいた。怒りでぎらつく青い目を、アドルフは隻眼の騎士に向けた。蜘蛛を思わせる指先に鋼の糸を絡ませたオイゲンは、アドルフを見据えている。氷漬けになったかのような、切れ長の左目が。

「どこを見ている?貴方に他人を気にする暇などない。貴方の相手は私だ、蛮族の武人」

 馬上の騎士は冷ややかに言い、口元を歪める笑いを笑った。


 時を、少しく巻き戻そう。

 ―――ラインハルトが魔術で兵士たちを一掃し、アドルフは魔術師たちの相手をする。

 ラインハルトとアドルフのこの戦術は、当初は功を奏した。

 騎乗の兵士たちを一瞥したラインハルトは、マントの懐からアイボリーの杖を取り出した。先端にアクアマリンの象嵌された、象牙色と水色のコントラストが美しい杖―――魔杖ゴルデンレーヴェだ。ラインハルトはゴルデンレーヴェを掲げ、

「我が魔杖ゴルデンレーヴェよ、目覚めよ。汝が主(あるじ)ラインハルト・クラウス・グリューンフリューゲルが命ずる。汝と汝が主、その同胞(はらから)を傷付けんとする者、命奪わんとする者を滅せよ。汝が力は金獅子(きんじし)の爪牙(そうが)、汝が誉れは勇気と忠誠なり!」

 アクアマリンから溢れ出た白い光芒が、ラインハルトとアドルフ、小犬の身を柔和に包む。防御魔法と身体能力強化魔法だ。兵士たちが剣を構えるより先に、魔杖の宝玉が鋭い煌めきを放った。と思いきや、雨のごとく降り注ぐ白い稲妻が兵士を容赦なく打ち据える。ラインハルトの雷術魔法(らいじゅつまほう)をまともにくらい、馬諸共倒れ伏し、呻き声をあげる兵士たち。無事な者はいない。魔術師たちが明らかにたじろいだ。

「意外とやるんですね、おちび。ちょっとだけ頼もしく思えてきたようなこないような」

「……ヨーゼフを追い返したら殴るからな」

 ラインハルトの怨嗟は、この際大目に見て然るべきであろう。

少年魔術師が作り出した隙を、アドルフは見逃さなかった。周章する魔術師の只中に、ヴィントを操り突撃する。握り(グリップ)は黒、水晶が象嵌された柄頭(ポンメル)と十字鍔(クロスガード)は銀色、簡素であるが威容と美しさを備えた剣―――ヴォルフスファングの切っ先を、魔術師の喉元に定める。狼の牙(ヴォルフスファング)の名に相応しい、波状の刀身が繰り出す斬撃は、魔術師たちの血肉を容赦なく抉り、飛散させた。黒と緋のマントが、馬上の魔術師たちを薙ぎ払う。裾に鉛が仕込まれたマントを自在に操るアドルフを見、隻眼の将軍の眉間に苛立ちが凝った。

「…くそ…!蛮族の化け物め……!」

 魔術師の一人が破れかぶれで放った炎術魔法を、アドルフは左腕で防いだ。スパイク付きの黒い籠手にはメルヒオールの魔力が注ぎ込まれており、微弱な攻撃魔法を防ぐことなど何の造作もない。オイゲンの眉間の皺はいよいよ深くなったが、その口元には口角を歪めた嗤いが浮かんでいた。いつの間に青毛を降りていたのだろう。ヨーゼフは上着の懐から取り出したダークブラウンの魔杖を玩びながら、

「さすがはヒメル……。おちびさんの魔術師はさしずめ、ダイヤモンドの原石といったところですねえ。ただ、あくまでも原石です。磨かれてはいません」

「何を!私を馬鹿にしているのか!」

「馬鹿になどしていません。客観的かつ正確な評価をしただけです」

「…く…」

 気色ばんだラインハルトが何かを言うより早く、ヨーゼフは魔杖を掲げた。

「覚めよ、我が魔杖シュラーク!汝が主ヨーゼフ・ヘルムート・フォン・ロートデーゲンが命ず。主とその同胞を害す者を破却(はきゃく)し、主とその同胞を守れ!汝が力は猛(たけ)き緋炎(ひえん)、汝が誉れは叡智と忠誠なり!」

 シュラークの先端に象嵌された紅玉が、真紅の光輝を放つ。紅蓮の竜さながらのその光は、森の木々を一散に照らし、虚空を引き裂き、彼方の蒼天を目指して消えた。

「………!」

 空色の目が見開かれた。驚愕と、―――嘗てない恐怖、畏怖に似た恐怖故に。ラインハルトの胸中を見透かしたかのように、ヨーゼフはにっこりと微笑した。

「お分かりいただけましたか?ちび魔術師さん。わたしの評価の正確さが。―――それともう一つ」

 ヨーゼフがシュラークを掲げた。紅玉から放たれたものは白光(びゃっこう)と紅蓮だった。防御魔法、身体能力強化魔法の白光は、隻眼の武人を柔らかく包んだ。そしてラインハルト目掛けて咆哮するのは、紅蓮の翼を広げた火焔の鳳だ。

「ぐ…っ!」

 ゴルデンレーヴェのアクアマリンを、ラインハルトはヨーゼフに向けた。宝玉が炎熱と赤光を帯びる。

「ご理解いただけたようで嬉しいですよ。貴方の相手はわたしなんです。覚えておいてくださいね、おちびさん」

 闇色の双眸の魔術師は微笑した、―――妖美に。

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