『手遅れです(笑)』

 大学時代に同じサークルだった先輩の話です。尊敬できる人というよりは結構どうしようもない感じで、本人の言う年齢よりもちょっと老けて見えるんですよ。本人は「俺が経験豊富だから」って理屈らしいんですけど、まぁ年齢もサバ読んでるよな……って感じの。

 サクラ先輩って呼ばれてました。花の桜じゃなくて、偽客の方の。先輩がやってるバイト経験の中に結構そういうものが多くて、皆が半分イジりみたいなノリで呼んでたんですよ。


 その日も先輩の家で宅飲みがあって、酒の進みが速くなってくるごとに「最近のバイトの話してくださいよ」って誰かがせがむ。サクラ先輩は珍しく渋ってたんですけど、俺たちがしつこくお願いしたら折れました。ハイボールを一気飲みすると、周囲をキョロキョロと見渡した後に、何かを思い出すみたいに喋り始めました。


「この前、マチアプのバイトしてたんだよ」


 当時のマッチングアプリって今ほどクリーンじゃなくて、出会い系サイトの延長みたいな扱いだったじゃないですか。一部の業者の中には黒寄りの事をやってる所があって、そこの求人に応募したんですって。普通に考えたら怪しすぎるんですけど、サクラ先輩はかなりアレなので。楽して金稼げるとか最高だ〜みたいな感じに思っていたらしいです。

 バイト募集の番号に電話をかけたら履歴書の送付とか面接なしで即採用が決まったそうで、サクラ先輩は指示された住所に向かいました。そこは雑居ビルの4階で、狭くて汚い居抜きのオフィスだったそうです。


「研修やるって言われたから行ったんだけど、飛ばしのスマホと分厚いマニュアルの冊子を渡されて終わりだった。契約書も明らかに念書みたいな文面でさ。〈業務の過程で起きた事に対して弊社は一切責任を持たない〉とか書かれてんの。この段階で軽く『なんすか、この文面〜』って笑いながら聞いたら、『それも込みでこの額だから』って!」

「受けたんすか……?」

「給与も破格だったし、面白そうだなって。とりあえずマニュアルとスマホを持って帰って、そこから2週間ほどユーザーとメッセージのやり取りをするんだよ」


 そのマッチングアプリは女性が無料で男性がポイント課金制らしく、それでもメッセージを送ってくるのは男性がほとんどだったそうです。サクラ先輩は矢継ぎ早に届くメッセージをマニュアルを読みながら的確に処理していきました。

 この文章が送られてきたらこれを返せ、というのが既に決まってるんですよ。分厚いマニュアルには想定される質問パターンが無数に書いてあって、それに対する返信のテンプレートまでしっかり記載されてる。ユーザーに課金させるために会話を引き延ばす返信が多かったそうです。


『休日は何してるの?』

『最近アウトドアにハマってて〜! キャンプとかよく行ってるんですよね! ナオキさんもキャンプ好きなら、一緒に行きたいな〜』


『アイコンのスイーツ、美味しそうだね! 好きなの?』

『最近流行ってる台湾のスイーツなんですよ♡ オススメのお店を知ってるので、ケンタさんも一緒に行きませんか?』


 少し期待を持たせればすぐに食い付くそうで、サクラ先輩は何も考えずにどんどん返していったそうです。基本給にプラスして出来高制でもあるので、相手が送ったメッセージの数だけボーナスが貰えるんですよね。だから講義中や夜中もスマホに張り付いて、とにかく返事を返し続けたんですって。

 ルーティンワークと化した返信の中、溜まった通知の中に、そのメッセージを見つけたそうです。


『今から会えますか?』


 この手の誘いはよくあることらしく、先輩はマニュアル無しで捌けるようになったらしいです。あらかじめ決められた返信をルーティンワークみたいに返そうとした瞬間、相手から重ねてメッセージが来る。表示されたのは、位置情報でした。


「……どう見ても、俺の家の前なんだよ」


 当時のサクラ先輩は妙に冷静だったようで、「バグの可能性もある」みたいなことを思いながら、一旦マニュアルを確認してみたそうです。

 指示の通りに動けばなんとかなる。そんな根拠のない自信が身体を突き動かして、先輩は必死にページを捲りました。


「冊子を開いて、解決法を探す。そんな単純な行動にさえ時間が掛かって、もたつきながら『そんなわけない』って繰り返してた。こんなよくある話が、ここに載ってないわけないって」


 その間にもメッセージは届き続けている。途切れなく続く通知音をミュートした瞬間に見えた画面は、同じ人からの大量の通知でした。『画像を送信しました』の通知メッセージに映る小さなサムネイルが、見たくもないのに目に留まったそうです。


「若い女の顔、だと思う。現像した写真を撮ったみたいな画質なんだけど、ずっと見てると本当に気持ち悪いんだよ。出来損ないの福笑いみたいに、それぞれのパーツが切り離されて異常なサイズになって置かれてるんだよな」


 マニュアルの文章を何度も目で追って、先輩はついに見つけたそうです。冊子の終盤に書かれた文節、そこだけが走り書きのような荒い文字で〈最初から■■に住所を知られている場合〉と書いてある文字列を。


「なんて書いてあったんですか?」


 堪らず聞いた後輩に、サクラ先輩は真顔で言いました。


「『手遅れです(笑)』って、それだけ」


 さっきまでアルコールが入って騒いでいた連中が、しんと静まり返りました。冗談なのか、本気なのか。

 サクラ先輩は黙ったままの俺たちの顔を順番に見渡して、堪えきれずに笑うんです。


「あのさぁ! 俺、手遅れなんだって!! そんなわけないよな、だって俺まだここに居るし!!」


 アハハ、アハハと断続的に声を漏らしながら、サクラ先輩は「ただのイタズラに決まってる」と何度も繰り返していました。音量のボリュームを間違えたかのような怒声混じりの大声で、先輩はずっと笑い続けてるんですよ。


「そうじゃないと有り得ないんだよ! サクラ辞めても、携帯を返しても、連絡先ブロックしても! なんで俺に対してそんなにしつこいんだよ! なぁ、聞いてんだろ今も!!」


 ヤバい、先輩が遂におかしくなった。そう思ったサークルの誰かが話を無理矢理打ち切って、結局その日はお開きになりました。帰り道さえ誰も何も言わずに、二度とサクラ先輩の家で宅飲みなんてやらないでおこう、みたいな空気感でしたね。

 その日からサクラ先輩は大学にさえ来なくなって、俺たちは暗黙の了解でサークル内の誰も話題にしなくなりました。〈中退した〉とかいう噂が何ヶ月か後に流れても、否定する気にもならないくらいの感覚で。


 それから数年経って、俺も大学を卒業して社会人になりました。最近何気なくメッセージアプリから連絡先の整理をしてたら、サクラ先輩の名前を見つけて。よく見たら、アイコンに違和感があるんですよ。

 サークルのみんなで海に行った時に撮った集合写真なんですけど、俺とか先輩を含めたそれぞれの顔パーツが異常に拡大されてて。すぐにブロックしたけど、記憶は蘇るものですね。


 あの日のサクラ先輩の声が妙に大きかった理由、思い出しちゃって。たぶん、遮ろうとしたんでしょうね。

 俺も聞いてるんですよ。例の話をしてる間、サクラ先輩の家の玄関がずっとノックされてる音を。

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狐怪談 @fox_0829

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