珈琲哀歌
ひづきすい
本編
わたしはコーヒーが大好きだ。自分でそう言い切れる程には、コーヒーを愛しているという自覚がある。苦み、酸味、仄かな甘み。何より、あの香りに勝るものはごく少ない。
「コーヒーお代わり無料」
この一行の、何とか魅力的で、甘美なことか。これはつまり、何杯飲んでも(常識的な範囲であれば)無料ということである。コーヒー愛好家にとって、これ以上に喜ばしいことがあるだろうか。いや、無い。
予め断っておくと、わたし自身はバリスタでもなければ、コーヒー博士でもない。Wiredのビデオに出演して、SNSからの質問に答えられるだけの知識はもちろん無い。わたしはただ、コーヒーを飲むことが好きなのだ。素晴らしいコーヒーの前には、うんちくは無用である。ある意味で、これは理想的な芸術の一形態ではないかとわたしは思う。言語を介さず、ただコーヒーの味のみによって、わたしはある種の美を獲得するのだ。
わたしはブラックコーヒーが好きだ。いや、この言い方では語弊がある。わたしはブラックコーヒーしか飲めない。というのも、わたしは頑固な牛乳嫌い(アレルギーではない)を患っており、あからさまな牛乳の関与が認められるものを悉く拒絶してしまうのだ。そのため、カフェオレやカフェラテ(この違いはなんなのだ)を飲むことができない。必然、わたしが飲めるのはブラックコーヒーか、単純に砂糖を入れただけのコーヒーとなる。
ここまで、わたしがいかにコーヒーを愛しているかということをつらつらと書いてきたが、どうやらコーヒーの方は、わたしを愛してはくれないようだ。というのも、わたしの身体はコーヒーを楽しむにおいて、非常に厄介な特性を備えていた。一つは猫舌。他人が「温い」と評するような温度のコーヒーでさえ、わたしの過敏な舌は、非常に高温の液体として感じてしまう。これでは、熱々で供されるホットコーヒーを飲めないではないか。では、アイスコーヒーだけを飲んでいればいいじゃないか、という方がおられるだろうが、ここで二つ目の体質がそれを妨害するのだ。それは、コーヒーを飲むと決まって体調を崩す、というものだ。特に、アイスコーヒーを飲むと、必ず腹を下す。また、時間が経つと軽微な手足の痺れが出る時もある。腹の不調は、悪ければ1日続くときもある。この厄介な特性のおかげで、わたしはコーヒーを愛していながら、コーヒーを飲めないという嘆かわしい問題を抱えている。もしこの世に神がおわすとして、一つだけ願うことが許されるなら、わたしは間違いなく、コーヒーを飲める身体を求めるだろう。ああ素晴らしきかなコーヒー、ああ悲しきかなコーヒー。
珈琲哀歌 ひづきすい @hizuki_sui
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