一章_17
倒れている父への自分の口から出た問いかけがサラを、それが現実のものであると悟らせた。サッと全身から血の気が引いたサラは「お父さん!!」と絶叫して倒れる父に駆け寄った。
「サラ…… 無事か……?」
娘の無事な姿を見たギルは力なく微笑んだ。
自分に縋りついて泣き叫ぶ娘の姿は決して幻ではない。もし幻であるならば、最期に見る娘の姿はこんなに酷いものではないだろうとギルは思う。
サラの破れた服にあちこちに血や泥の跡があり、手には短剣を力強く握りしめていた。しかしサラ自身には傷があるようすはなく、服に付いた血は手にしている短剣で敵を刺したときの返り血だとギルは判断してホッとする。
強くなったな……と、これから世を去ろうとする父は娘の成長を嬉しく思った。泣き虫で甘えん坊で、ときに調子に乗って失敗ばかりしていた娘が、自分の身を守るために手にしている短剣で敵を倒したのだ。
自分が居なくてもきっと何とかやっていけるだろう。そう思ったギルは安心して笑む。そして途切れ途切れながらで娘に言う。
「サラ…… 逃げろ…… 盗賊、魔物……が、来る…… 早く」
元軍人であるギルは軍が襲撃したあとの町や村が被る本当の恐ろしさを知っている。軍の襲撃自体は目的があるために加減というものがある。
しかし、問題はそのあとである。軍の後ろには高い確率で密かに盗賊の斥候が付いてきていると思ったほうがいい。戦場の死体剥ぎ、略奪のおこぼれ、防衛力の落ちた町や村を再度襲うなど、盗賊の脅威はこれから始まるだろう。
そして盗賊の襲来から前後して魔物の襲撃も非常に高い可能性として存在する。血の匂いが風に乗り、肉食の魔物を呼び寄せる。
「お父さん!お父さん! しっかりして!お父さん!」
錯乱してギルに縋りつき叫ぶサラはギルの忠告が耳に入っていないよう。ギルは焦り、心を鬼にして残った力を振り絞って厳しくサラに言う。
「逃げろ、サラ。 俺は置いていけ」
まるで叱られたかのように父にそう言われたサラはビックリして一度動きを止めるが、すぐに瞳に溜まった涙をボロボロと落としながら叫ぶ。
「嫌だ! お父さんを置いてなんていかない! 待ってて、すぐに誰か呼んでくるから。早く治療しなきゃ――」
立ち上がり、村に向かって駆け出そうとするサラの腕をギルはグッと掴んで「馬鹿…村には、行くな」と止める。村は今、最も危険な場所である。
「頼む、サラ…… 逃げてくれ……頼む……」
「い、嫌! 嫌だ! お父さんを置いてけない! 嫌だぁ!」
「頼む…… 諦めろ、サラ……」
頼むからもう自分のことは諦めてほしいギルだったが、こうなっては娘はテコでも動かないことも分かっていた。
ギルは横目で自分の剣の位置を確認した。バクトアに斬られて落馬した際に手放した剣はギルが手を伸ばしても届かない位置にある。
そして、ギルは自分が掴んでいる娘の手に短剣が握られているのを見た。
「サラ。 それを、貸しなさい……」
一瞬何のことかと思ったサラは、父の目線が自分の持つ短剣に向けられているのに気がつくと、その先を想像して絶叫した。
「嫌! 離して! お父さん、離して!」
「貸しなさい、サラ」
サラは父の手を振りほどいて離れようとするが、怪我を負ってもギルは歴戦の戦士である。非力な娘の力で振りほどけるものでもない。
しかしギルのほうも、これが限界でもあった。血を流し過ぎたこともあって体の自由が利かない。今、まともに動くのはサラの手首を握っている右手のみである。これでは彼女から短剣を奪うこともできなかった。
ギルは覚悟を決めた。娘には余計な業を背負わせてしまうかもしれないと思いながら。それでも娘には生きていてもらいたかった。早く、無事なうちに一刻も早くこの場を離れてほしかった。
こんなことになるならバクトアに潔くとどめを刺してもらうべきだっととも思いながらグッと力を込めた右手をサラの腕ごと自分に引き寄せる。
「ちょっと!お父さん! 何するの?!何考えてるの?! やめて!お願いだからやめて!」
「サラ…… 幸せに、生きて……」
今から行うことを思えば、それを真っ先に崩しているのは自分じゃないかと思うギルだったが、それでも願わずにはいられなかった。
「お願い!お父さん、お願いだから!」
「サラ、愛してる」
短剣はサラに握られたままギルの胸に深々と突き刺さった。全身から力が抜けたサラはペタンと尻もちをついて呆けたように「お父さん……?」と呼びかけた。しかしギルが口を開くことはなかった。
既に濡れていた瞳に再び涙があふれて零れ落ちる。父の遺体に覆いかぶさりサラは父を呼んで絶叫した。
「お父さん!お父さぁぁぁぁぁんっ!! うわぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
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