ChatGPT三題噺

丁原口上

三題噺「失われた手紙」「秘密の庭」「時計職人」

 真夏の夜に蒸された体でドアを開けると、あなたがこのワンルームから去っていた。友人もしくは一人で出かけているのかも知れない、という楽観的な幻想を抱こうとしたけれど、あなたが大事にしていたメイクボックスがなくなっているのが、何よりもの証拠だと私にはよくわかるのだった。脳みそがふわふわと浮かんできて、頭蓋骨の繋ぎ目から染み出したようなひんやりとした感覚―。その感覚は足に、手に飛んで、そこからだんだん心臓のほうへと向かって、やがて到達した。背中に背負ったリュックは金属のように重たくて、でもそれが一番の背骨になって私を支えていた。朝、私を送り出したあなたの姿がフラッシュバックして、やっと歩けるようになった。私の全身を冷たくしたあなたがまた私を動かし始めるのは不思議なことだ。それでも肝心な頭は動かない。たらたらといつもの半分の歩で部屋のど真ん中のテーブルに向う。二つ並んだクッションまでたどり着いて、ようやくリュックを床に投げた。とりあえず座りたいと思った。座ったらもう動けないと直感したけれど、座るしかなかった。

「眠っているとき、あなたは死んでいるんだよ。」

「呼吸もしているし、何よりも心臓が動いている。だから死んでなんかいないよ。」

「呼吸も拍動もあなたの意思ではないでしょう。それに認識もないじゃない。それはもう死んでるってことでしょう。」

「確かに自分の意思ではないけど、夢は認識に入らないのかい。」

「その夢の中であなたは生きているの。あなたの自由はあるの。そこから覚めた時にその時のことを確かに感じられるの。」

「それは覚えていないよ。今までのことをなんでも覚えていたら人間はすぐにでも死んでしまうからね。」

「じゃあどうして今あなたは生きてるって言えるの。わたしのことも忘れるのね。」

 どれくらいの時間がたったのかわからない。自分の心臓の音で気が付いた。今の今まで私はどうやら―。

 机の角に綺麗に合わせられたリモコンを手に取り、スイッチを入れた。ぶぉ、と勢いよく冷たい空気が噴出された。ああ、涼しい。暑さもすっかり忘れてしまっていたみたいだ。徐々に身体が冷まされてきて、お尻にしっとりくっついたクッションも少し引き離されていった。

 壁一面にぎっしりと並んだ本棚、床にまで本が何段も積まれている。今まではそんなことは気にもしなかったのに。

「こんなにいっぱい本があるのに二人そろって読むのは有名な小説くらいね。」

「確かにそうだね。梶井基次郎に倉橋由美子、松浦理英子、今村夏子。数えられるんじゃないかな。」

「だってあなた、小説以外って言ったら、デカルトにベーコン、それにカント。わたし好みじゃない。知性がすべてを従わせるとでも思ってるんでしょう。あなたは時計職人がお似合いよ。」

「そんなこと言って。君もスピノザからショウペンハウエル、それに釈迦まで。秘密の庭の剪定でもしておけばいいさ。」

「ふふ。ほんと、わたしたちお似合いね。」

 本の向かいは、大きすぎる枕が並んだシングルベッド。あぁ、たぶん今日も寝返りが打てないんだろうな。身体がきっと覚えているから―。

「ねえ、猫は死期を悟って飼い主のもとから去るっていうでしょ。それって、美しいまま死にたいっていう意志だと思うの。」

「死という結果が同じように待っている以上、美しくなることにはならないんじゃないか。」

「あなたは死に面した自分とそれまでの自分を切り離さないで、連続的にとらえることができるっていうの。」

「だからと言って、どこで死のうが美しさは変わらないとおもうけどね。死ぬその時には自分自身がそこにいるわけだから。」

「美しさの対象が違うのよ、あなたとは。」

「まあなんにせよ、猫はただ単に目の前の痛みや不快感を死と認識してはいないから、ただ本能的に敵のいないところへと逃げているだけだろう。」

「面倒だと思ったでしょ。」

「お互い様だろ。」

「ねえ。わたしたちって死にむかっているでしょう。」

「まあ、そうだね。」

「だから、今のわたしたちの手紙を書かない?」

「それは今の二人が一番美しいってことかい。いつか二人が美しくなくなるってことかい。」

「今がそうかはわからないわ。ただ、死に向かっている以上、その瞬間は間違いなく来るわ。だから―。」

「嫌だね。たとえ体が死に向かったとしても、最後まで確かにここにいるんだからね。」

「認識は徐々には死なないというの?それとも本当に最後まであなたでいられると思うの?」

「さあ、死んだことがないからわからないな。でも、自分である以上、自分のものだ。」

「そう。そんなに書きたくないのね。」

「ああ、そうだよ。そんなに書きたいなら君だけで書きなよ。」

「それに意味を見出せないのが分かってて言ってるでしょう。」

 腕が濡れて気が付いた。それは二筋が顎先で一つになって滴ったらしかった。私はすでに手遅れだと知った。あの時に失われた手紙はもう読むことも書くこともできない。

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