エターナル・ウェイブ - 時空を超える絆の航路

島原大知

星野航の旅立ち - 時を超える絆の始まり

星野航(ほしの・わたる)は、宇宙ステーション「オリオン」の観測窓に額を寄せていた。45歳という年齢を感じさせない引き締まった体つきと、深い経験を物語る眼差しが印象的だ。短く刈り込まれた黒髪に僅かに白髪が混じり、顔には細かい皺が刻まれている。宇宙服の胸には「HOSHINO」の名札が光っていた。


「航、準備はいいか?」


通信機から聞こえる声に、航は我に返った。


「ああ、問題ない」


彼は落ち着いた声で返事をしたが、内心は複雑な思いで揺れていた。今日から始まる任務は、彼のキャリアの中で最も長い宇宙航海になる。目的地の惑星ノヴァ・テラまで、地球時間で100年。しかし、相対性理論により、航たち乗組員にとっては約2年の旅になる。


航は、最新鋭の宇宙貨物船「クロノス・アロー」の船長だ。この船は、これまでにない高速で宇宙空間を移動できる。しかし、その代償として、地球との時間のずれはさらに大きくなる。


彼は最後にもう一度、地球を見つめた。青く輝く惑星。そこには、彼の家族が待っている。


妻の佳子、長女の美樹、長男の翔太、次女のさくら。出発前、家族は複雑な表情で別れを告げた。


「お父さん、私もいつか宇宙に行くんだ!」美樹の目は輝いていた。

「気をつけてね、パパ」翔太は力強く航の手を握った。

「早く帰ってきてよ」さくらは少し拗ねたように言った。


そして佳子は、黙って航を抱きしめた。言葉にはできない想いが、その抱擁に込められていた。


航は、胸が締め付けられる思いだった。彼が戻る頃には、子供たちは彼よりも年上になっているだろう。佳子は...もういないかもしれない。


「なぜ、こんな仕事を選んだんだ」


航は自問自答した。答えは簡単だった。家族のためだ。


15年前、地球は深刻なエネルギー危機に直面していた。そんな中、惑星ノヴァ・テラで新エネルギー源が発見された。しかし、その輸送には莫大な時間がかかる。多くの人々が二の足を踏む中、航は家族の未来のために手を挙げた。


「クロノス・アロー、発進準備完了」


航は操縦席に座り、出発の号令をかけた。巨大な宇宙船が、静かに動き出す。


窓の外に広がる宇宙の風景は、息を呑むほど美しかった。無数の星々が黒い天空に散りばめられ、遠くには銀河の渦が煌めいている。その壮大な景色の中で、地球がどんどん小さくなっていく。


航は、最後まで青い惑星から目を離さなかった。


「光速航行、開始」


レバーを引くと、周囲の景色が一変した。星々が光の筋となって流れ、「クロノス・アロー」は文字通り時空を貫く矢のように進んでいく。


船内では、時間がゆっくりと流れる。しかし、外の宇宙では、あっという間に年月が過ぎていく。航は、その不思議な感覚に慣れようとしていた。


任務中、航は常にプロフェッショナルな態度を保った。厳しい訓練と長年の経験が、彼の動きを的確なものにしている。しかし、夜、自室で一人になると、彼の心は激しく揺れ動いた。


彼は、ホログラム写真を見つめていた。そこには、出発前に撮った家族の笑顔が映っている。美樹の明るい笑顔、翔太の凛々しい表情、さくらのいたずらっぽい微笑み、そして佳子の優しい眼差し。


「みんな、元気でいるかな」


航は、静かにつぶやいた。返事はない。ただ、無限の静寂が彼を包み込む。


その静寂の中で、航は家族との思い出を反芻した。美樹が初めて歩いた日、翔太が野球で優勝した時、さくらがピアノの発表会で演奏した曲。そして、佳子との結婚式。幸せな記憶が、胸を締め付けた。


航海の日々は、淡々と過ぎていった。航は、乗組員たちと交流を深めながら、互いの不安を和らげようとした。彼らもまた、地球に大切な人を置いてきているのだ。


そんなある日、航は不思議な体験をした。


彼は、宇宙服を着て船外活動をしていた。漆黒の宇宙空間に浮かぶ「クロノス・アロー」は、まるで巨大な銀色の魚のようだった。その船体の微調整を行っていた航の耳に、突然、通信機のノイズが響いた。


次の瞬間、航の視界がぼやけた。彼は、無限の宇宙空間に一人で浮かんでいた。周りには何もない。ただ、遠くに一つの光が見える。


航はその光に向かって泳ぐように進んでいく。近づくにつれ、その光の正体が見えてきた。


それは、少女の姿をしたロボットだった。


銀色の長い髪、碧眼、白と青のワンピース。そのロボットは、にっこりと笑いながら、航に手を振っていた。


航は、言葉を失った。その姿は、まるで成長した美樹のようにも見えた。


「お父さん、頑張ってね」


ロボットの口から、美樹の声が聞こえた気がした。


「航!航!」


仲間の声で我に返ると、航は「クロノス・アロー」の船体にしがみついていた。何が起きたのか、彼にはわからなかった。しかし、心の中に温かいものが残っていた。


2年の航海を経て、ついに「クロノス・アロー」は惑星ノヴァ・テラに到着した。


航は緊張した面持ちで、ノヴァ・テラの大気圏に突入する準備を整えた。紫がかった空を通り抜け、艦は慎重に港へと降り立った。


ハッチが開き、航は初めてノヴァ・テラの地を踏んだ。少し軽い重力、甘い香りのする空気。そして、驚くほど地球に似た風景。


しかし、彼の目は港の一角に釘付けになった。


そこには、幻覚で見たのと同じ少女型ロボットが立っていたのだ。


「あれは...」


航は思わず声に出してしまった。現地のスタッフが説明してくれた。


「エターナル・ウェイブです。宇宙船の出迎えと見送りをする、この港のシンボルです」


航は、夢中でロボットに近づいていった。エターナル・ウェイブは、変わらぬ笑顔で手を振り続けている。


「こんにちは」


航は小さく声をかけた。もちろん、返事はない。でも、なぜか温かい気持ちになる。


「君は、ずっとここにいるんだね」


航は、ロボットの傍らに腰を下ろした。夕暮れの空を見上げながら、彼は静かに語り始めた。


「私には、家族がいるんだ。でも、私が戻る頃には、もう100年も経ってしまう。彼らは...もういないかもしれない」


エターナル・ウェイブは黙って手を振り続ける。その姿に、航は不思議な安らぎを感じた。


「でも、君は変わらないんだね。私がいつ来ても、ここで待っていてくれる」


航は微笑んだ。胸の中に、小さな光が灯ったような気がした。


「きっと、また来るよ」


そう言って、航はエターナル・ウェイブに向かって手を振った。ロボットは変わらぬ笑顔で手を振り返してくれた。


その瞬間、航は決意した。どれだけ時が経っても、自分はこの場所に、この存在に、必ず戻ってこようと。それが、彼の新たな希望となった。


荷物の積み下ろしを終え、「クロノス・アロー」は再び宇宙へと飛び立つ準備を整えた。


航の心には、覚悟が芽生えていた。地球に戻っても、もう家族は待っていないかもしれない。しかし、彼には新しい使命ができた。


時間を超越した存在、エターナル・ウェイブ。その不変の姿が、航に永遠の一瞬を教えてくれたのだ。


「クロノス・アロー」は、紫がかった大気圏を抜け、再び宇宙空間へ。光速航行に入ると、星々が光の筋となって流れていく。


航は操縦席に座りながら、胸ポケットの家族の写真に触れた。


「みんな、ありがとう。そして、また会おう」


彼の瞳には、決意の光が宿っていた。時空を超える長い旅路。航の人生は、新たな章を迎えようとしていた。


宇宙の深淵の中で、「クロノス・アロー」は一筋の光となって進んでいく。そして港では、少女型ロボットが、いつまでも変わらぬ笑顔で手を振り続けていた。


永遠の一瞬が、航の心に刻まれた。彼の新たな航海が、始まったのだ。


そして彼は知らなかった。この瞬間が、星野家の宿命の始まりだということを。時を超えて繋がる家族の物語が、ここから紡ぎ出されていくのだと。

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