野球ゲームに転生したと信じてる妹に実はNTRゲーだとバレぬよう本気で甲子園目指す

アーブ・ナイガン(訳 能見杉太)

第1話 大谷が存在するこの世界の方が実は野球ゲームなんじゃねーの?

 妹が死んだ。野球を辞めた。ヤフコメで大谷を叩いた。

 俺は、野球と大谷と白血病と、そして約束を守れない男が、大嫌いだ。


      *


 カーテンを閉め切った真っ暗な部屋。外から聞こえてくる棒振りガキ共の鳴き声が入ってこないよう、ヘッドホンで耳を塞ぐ。


 こんな真夏の真っ昼間っからよくやるよ、ホント。頭悪すぎな、あいつら。


 俺はあんな奴らとは違う。クーラーをガンガンに効かせた部屋で、賢く正しく優雅にゲームを嗜む。これこそが文明人ってもんだろ。


「って、あ……? ……マジかよ、おい」


 パソコンの前で思わずため息をつく。


 今日からプレイし始めたこのタイトル。その主要人物のうちの一人。その名前が、山田やまだ久吾きゅうご――下の名前が俺と同じだったのだ。

 これは冷める。現実逃避のための娯楽で一番見たくない二文字だ。


 いや、それだけならまだいい。そこまで珍しい名前でもない以上、こんな偶然もあるだろう。

 ただ、問題なのは――


『ねぇ、久吾。プロテイン、濃厚バナナヨーグルト味でいい?』

「ねぇ、久吾。昼飯って言ってんじゃん。冷やし中華。死ね」


「ひっ……!」


 前者はヘッドホンから聞こえてきた、女性キャラの甘えるような声。

 後者はヘッドホンを奪われた後、後ろから聞こえてきた、気だるげな声。


 とっさに振り返った俺の目に入ってきたのは、亜麻色ショートカットの女。よれた白Tにショートパンツというラフな服装で仁王立ちし、冷たい目で俺を見下ろしていた。


舞香まいか……え? お前、大学は?」


「いや夏休みだし。今日から」


 そうか、夏休みか。その発想はなかったわ。俺の場合、ガキの頃から練習や試合で休みなんてなかったようなもんだったしな。逆に今は年中休みだし。


「てか勝手に部屋入ってくんなよ、お前。飯とか適当に食うし」


「食ってないっしょ。何そのガリガリの体。ピークから三十キロくらい落ちてんでしょ。髪もボサボサでキモすぎだし。五厘でいい?」


「触んな。どうでもいいだろ、別に誰とも会わねーんだから」


 あの夏の日から二年。ギリギリ高校を卒業してから一年と四か月。ほぼ外にも出ずにニート生活を送ってきた。

 娘を喪ったショックからなのか、父親はいつの間にか失踪。まぁ、本気で探せば見つかるのかもしれないが、生活費などは振り込んでくれている以上、特に探すモチベーションがない。フリーライターとやららしいので、稼ぐすべには困ってないのだろう、たぶん。


 だから毎日顔を合わせるのなんて、この女、舞香くらいのものなのだ。実質誰とも会ってないのと同じだな、うん。


 だというのに舞香は、そんな俺の言葉に今もなお、綺麗な顔をいちいち曇らせてくる。あ、綺麗って認めちまった。


「誰ともって……ねぇ、マジで行かないつもりなの、明日」


「行くわけねーだろ。興味ねーし」


「興味なかったら『明日』だけで伝わるわけないっしょ。チェックしてんでしょ、あの子らの試合。すごかったじゃん、宮下君のチェンジアップ。あんたが教えたやつ、丸二年かけてあそこまで磨き上げたんだ」


「……落ち方自体は悪くねーけど、空振りしか狙ってねーだろ、あれ。ゴロ打たせてけば、あんなに球数増えねーって。そもそも準決でエースに完投させんなや、渡辺のじじぃ。相変わらず、その場しのぎの采配だよな。まともな二番手もいねーんだから、どうせ明日はボロ負けだろ」


「そんなに意見あんなら直接言いに行きなよ……。あのさ、気づいてる? 監督さんも宮下君も他の後輩君たちも、何度も訪ねてきてくれてるかんね? 今年こそ甲子園行くから、あんたにも見に来てほしいって」


 まぁ、そりゃ気付いてるに決まってんだろ。地元出た同期の奴らからだって何度も連絡来てるし。全部無視してるけど。


「知らねーよ。マジで野球とか興味ねーし。嫌いだし」


 俺のボソッとした呟きに、舞香は再度呆れたようにため息をつき、


「そんなもんやりながら言っても説得力ないけどね。未練タラタラじゃん」


「そんなもん……?」


 何を言ってんだ、こいつは。そんなもんって? 「そんな」という連体詞は聞き手のそばにあるものを指すときに使うんだぞ?

 聞き手、つまりは俺のそばにあるものなんて、このパソコンくらいで――


「あっ!」


「野球ゲームっしょ、それ。なに? 『久吾』? あんた、ゲームキャラに自分の名前付けるタイプだったっけ」


 俺の肩の上から顔を出すように、モニターを覗き込んでくる舞香。


 まずい、これは……! よりによって、こんなタイミングで……!


「違うんだ舞香これは何か知らぬ間にパソコンに入ってたやつであって、たぶんセールやってたとき適当にまとめ買いした中に混じってただけなやつで」


「てか、は? 『舞香』? なにこれ。このセリフの上に出てる名前って、この女の子の名前っしょ? え? は? あんたまさか」


「違う違う違う、勘違いするな。この女子マネの名前も、こっちの野球部員の名前も、デフォルトで決まってるやつだから! 俺が付けた名前じゃねーから!」


 モニターに映っていたのは、ユニフォームを着た久吾という名の野球部員。そして、金髪ショートカットの女子学生の立ち絵。

 画面下のウィンドウの『ねぇ、久吾。プロテイン、濃厚バナナヨーグルト味でいい?』という文言に添えられた『舞香』という二文字。


 つまりは、この女子学生――舞香ちゃんが久吾君に話しかけたセリフが示されているというわけだ。


「はあ。そなんだ。それはこれ以上なく嫌な偶然だね。それはそれはそれは……――って、騙されるわけないっしょ! 見せろバカ!」


「やめろって、ホントなんだって!」


 画面を必死に隠そうとする俺。そんな俺の手を無理矢理どかそうとする舞香。

 柔らかい双丘が背中に押し当てられる形になるが、気にしている場合じゃない。


「あんた、どうせアレでしょ! 私の名前つけたキャラに何か酷いことしようとしてるっしょ!? 野球ゲームじゃないっしょ、これホントは! 何!? 格ゲー!?」


「い、いや……あっ。うん。まぁ、格ゲー、か何か、かな? うん」


 嘘だ。もちろん嘘だ。


 だって、本当のことなんて言えるわけがない。バレるわけにいかない。


 俺がやっているこのゲームのタイトルは、『実況!パワフル系先輩野球部に僕の年上幼なじみ女子マネが……。甲子園に連れていくって約束してたのに……!』――通称『パワフル甲子園』。


 つまりは、うん。エロゲだ。タイトル通りの内容だ。つまりは、はい。NTRゲームだ。N・T・R! 寝取られだ。


 そして、この山田久吾は、主人公である後輩君から恋人を寝取る間男であって。舞香は……うん。めちゃくちゃにエロいことされる女の子のうちの一人というわけで。


 マジでバレるわけにいかねぇ!


「その反応はもう絶対嘘じゃん! 何なの!? 何が目的なの!?」


「ちょ、いったん落ち着けって。いやマジで。いやいやマジで普通に危ねぇから!」


 パソコンに手を伸ばす舞香は、もはやその体重の全てを俺の背中に預けていて。足は完全に床から浮いていて。

 そんな、しょせん五十数キロの重みなど、二年前の俺であれば、何も背負ってないのと同じようなもんだった。

 舞香もきっと、あの頃の感覚のまま、ガキの頃からずっとじゃれ合ってきた感覚のまま、当たり前のように俺の背中に飛びついているのだろう。


 が、今の俺はあの頃の俺じゃない。バーベルなんてもうずっと担いではいない。体重ももう、舞香と大差ないくらいだろう。


 つまりは、そう。支えられない。

 ましてや、両手で画面を隠したままの姿勢でなんて。


 今の俺にはもう――、一つ下の、実の妹を、おんぶしてやる力もないのだ!


 だから。

 だから、このままだと!


「見! せ! ろ! 見せろ、このクズ兄貴! ヘタレニート!」


「やめろ、暴れるな! おい、ちょっ――おい! あぁっ!」


 俺は物理法則に従うまま前方に倒れ――そしてディスプレイに頭から突っ込んだ。


 うーん、このまま死んでくれねぇかな、パソコンか俺のどっちか。そうすりゃ助かるのに。



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