わからせる義兄とわからされる義妹

「は?え、な、急にどうしたのよ」


黎は俺の突然の変化に戸惑ったような声をあげる。


「別に急な話しじゃない。ずっと前から思ってたことだ」


その様子に、俺は動揺せずに淡々と言葉を続けていく。


「なぁ、なんで俺に買いに行かせる?お前が欲しいならお前が買いに行けばいいだろ」


そもそもの前提がおかしい。

自分が欲しいのなら自分で買うべきだろう。

誰かに買ってもらいたいのであれば、ちゃんとしたお願いをするべきなんだ。

そんなの小さな子供だってわかることだ。


「はぁ!?そ、そんなのあんたが」


黎は酷く戸惑った様子をみせる。

そんなに言いにくいことなのか?


「もしかして……俺が引き取られたからか?」

「そ、そうよ!それよ!あんたのせいで、私はその……お母さんとの時間がなくなって、だから」


やはりか。

明確に黎の態度が変わったのは、引き取られて少し経ってからだった。それまではぎこちないながらも、今みたいな理不尽さはなかった。


引き取られて俺と過ごす中で段々と不満が溜まってしまい、今に至るといった感じなのだろう。


「それに関しては申し訳ないと思ってる。だからこれまでお前の理不尽なお願いもきいてきた」


たった一人の母を亡くした俺には黎の気持ちは少なからず理解できたし、こうなってしまったのは俺の存在と続けていた態度も原因の一端ではあるのだろう。




「でも、それももう終わりだ」




何故なら、それが黎の行動を良しとする理由にはならない。

それとこれとは話しは別、お前はやり過ぎたんだ。


俺は黎を鋭く睨む。


「な、なによ。そんな怖い顔して……それになんでそんなこと言ってっ」


黎は俺の言葉に驚きつつも、視線の鋭さに怯えたように一歩下がる。


「そもそもの話し、俺はお前の兄であって、何でも頼みを引き受ける召使いじゃない」

「め、召使いって……別にそんな風に思ってたわけじゃ」


どの口がそんなことを言うのか。

あれだけ身勝手に頼みを引き受けさせておいて、自分はそんな風に思っていなかったなんて通るはずがない。


「今までのお前の行動を思い返してみればわかるだろ。お前は俺を召使いみたいに扱ってたんだよ!」


まるで自分は悪くないと言いたげな態度に、思わず語気が強くなる。


「っ」


そんな俺の様子に焦ったのか、黎は目を左右に泳がせ始めた。


「会えば開口一番暴言、二言目には頼み事。これの何処が召使いじゃないっていうんだ?」

「それ、はっ、で、でもっ」

「しかもそれが一年以上だ」

「ぁぅ、わた、しは」


ここで初めて、黎は視線を下に向けた。

両手は何かに堪えるように拳を握り、ブルブル震えている。




「なぁ、黎。お前は俺がどんな気持ちで過ごしていたのか気付いていたか?」




自分でも驚くほど低い声が出た。

そんな俺の声に下を向いたまま体を震わせる黎。


この様子を見ていればわかる。

黎は明らかに俺がここまで悩んでいたなんて気付かなかったのだろう。


まるで大人に叱られる小さな子供のように震えて縮こまる姿に、さっきまで感じていた激しい怒りの感情は急激に沈んでいく。

代わりに今の黎の姿が哀れに感じた。



「……俺はもうお前にうんざりしてる」



でも、ここで止めれば今までと同じだ。

ちゃんと相手をわからせて、関係を断ち切ると決めたからには躊躇なんてしない。


「そんなに俺が兄でいることが嫌ならもう辞めてやるよ」

「なっ」


俺の言葉に心底驚いたのだろう。

黎は下げていた頭を上げて、驚愕するように目を丸めてこちらを見てくる。


「ちょうど昨日お世話になった人から、居候しないかって誘われてもいたからな。このままお前と一緒にいてもお互い不快に思うだけだろ。ならいっそ」


別々になった方がいいと続けようとした。



「――ま、待って!」



「……なんだよ」


突然声をあげる黎に驚きつつも応える。


「お母さんからは友達って聞いてたけど……その言い方って、その、友達じゃないよね?」

「あ」


しまった。

その設定を忘れてた。


でもなんで、今そんなことを気にするんだ。


「……ねぇ、昨日あんたと一緒にいたのってどこの誰」


先程の弱々しい雰囲気とは違い、色彩を感じさせない暗い瞳は何処か危険な雰囲気を感じさせる。


「それはっ」


黎の変化に思わずたじろぐ。


美玖さんのことを伝えるべきか?と考える。


「(だめだっ)」


寸前のところで思い直した。


今の黎はヤバい。

美玖さんのことを伝えたら何しでかすかわからない。


「(恩人を売るなんてこと、できるわけないっ!)」


そもそも俺は何もやましいことなんてしてないのに、なんで浮気を問い詰められる男みたいな気分を味わわなければならないんだっ。


「俺が誰とどう付き合おうが、これから赤の他人になるお前には関係ないだろ!」

「わ、私はあんたのことを心配して!」

「俺のことを心配?」

「そうよ!あんたは昔から女運が悪かったからどうせそいつも」


今の黎の発言は、同じ心配でも美玖さんとは大違いだ。

相手を想って告げた言葉と自分を守るために告げられた言葉――同じ筈がないか。


なにより――



「助けてくれたあの人のことをこれ以上侮辱することは俺が許さないっ!」



こいつは言うに事欠いて俺を助けてくれた美玖さんのことを侮辱した。

いよいよもって、俺は黎のことを軽蔑し始めている。


「ぇ、ぁ、お兄、ちゃん?」


お兄ちゃんか。

まさかこんな時にその言葉を聞くことになるとはな。


ずっと聞きたかった懐かしい言葉。

でも、今となってはもうどうでも良くなった。


いや、むしろ過去を汚されているとさえ思えてしまう。


「その呼び方はやめろ。お前みたいなやつに兄なんて呼ばれる理由はない。俺のことをそう呼んでいいのはだけだ」

「……っ」


黎ちゃん――それはかつて俺と黎がまだ兄妹になる前に呼び合っていた名称。黎が俺に懐き、俺も黎のことを本当の兄妹みたいに思い接していた頃の残滓。


「お前は俺の妹だった黎ちゃんじゃない。ただ同じ名前をしているだけの赤の他人だ」

「――ぁ」


俺の告げた言葉に、黎は両目を見開き雫をこぼれ落とす。


「なん、で」


絞り出すように漏れた声。


なんでって、そんなの決まってる。


「お前自身が招いた結果だろ?今更そんなこと言われても俺はもうお前のことを昔みたいに大切には想えないよ」


吐き捨てるように告げた言葉に、黎はまるで電池が切れたように力が抜けて膝をついた。


「――」

「……じゃあな」


力なくうな垂れる黎の様子を尻目に、俺は階段を上り始める。


「一先ず美玖さんに連絡しないとな」


数時間前に考えるって保留にしたばかりなのに、こんなに早く撤回することになるなんて。

呆れられないといいけど。


「あ……桜さんにも伝えておいた方がいい、よな?」


お世話になっている桜さんには直接話さないといけない事柄だし、『話したいことがある』と後でメッセージを送っておこう。

きっと、近いうちに時間を作ってくれる……はずだ。


今後の計画を思案しながら、部屋に向かって階段を上っていく。



「はぁ……ままならないな」



わからせてスッキリしたはずなのに、最後の黎の姿を思い出すと微かに胸が痛んだ。






――――――SIDE:水無月黎――――――


お兄ちゃんの背中が遠ざかっていく。

今まで直ぐ近くにあったはずなのに、今は手を伸ばそうとしても届く気がしない。


「ぁ、お兄、ちゃん」


背中に声をかけるも、お兄ちゃんは全く気付く様子もなく、二階に上がっていった。


その姿に、今まで私の中にあった何かがぽっかり空いていく。


この部分にあったものは、きっと、お兄ちゃんとの繋がり。

それが今では綺麗に無くなり、空洞となっている。


「わた、しは……っぁ、ああ……お兄ちゃん、なんだか寒い、寒いよぉ」


お兄ちゃんの背中が見えなくなると、体が急に寒さで震えだした。

自分で自分を抱きしめていないと、凍えてしまいそうな気さえしてくる。


心がどうしようもなく……寒い。



『なぁ、お前は俺がどんな気持ちで過ごしていたのか気付いていたか?』



不意に先程まで話していたお兄ちゃんとの会話を思い出す。


もしかしてお兄ちゃんはこんな冷たくて孤独な気持ちのまま、ずっと一人でいたの?


「わた、しは……っぅ」


ただ、私の方をみて欲しかった。

例えこの気持ちが届かなくても、それでもみたいにって!

にはそれぐらいしかできないからっ!だから私はっ!!



『……俺はもうお前にうんざりしてる』



あんなにも温かかった瞳が、今は冷たく私のことを射貫いていた。

お兄ちゃんが告げた言葉通り、あの瞳には私への好意は一欠片もない。


「そんなのっ、でも、でもっ!私はお兄ちゃんのことをっ」



『その呼び方はやめろ。お前みたいなやつに兄なんて呼ばれる理由はない。俺のことをそう呼んでいいのは黎ちゃんだけだ』



「――ぁ」


心が壊れそうになる。

お兄ちゃんのあの言葉は、今の私を完全に否定するものだから。




『えへへ、ありがとう春人お兄ちゃんっ!大好きだよっ!!』




止めどなく流れる涙と共に、遠い記憶の彼方――まだ仲の良かった頃の無邪気な自分の姿を思い出す。


今とは違い、素直に自分の好きって気持ちを伝えていた私。




『僕も黎のことが大好きだよ』




そしてお兄ちゃんからも愛されていた私。


「ぁあ」


でも、あの宝石のような思い出には決して届かない。



『お前自身が招いた結果だろ?今更そんなこと言われても俺はもうお前のことを昔みたいに大切には想えないよ』



をした私は、自分自身の手で幸福を手放したのだから。



「わた、しは……どうしたら……っ……」



その問いに対する答えを、私は知らない――

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