新しい自分に変わった日

「ぅ……う~ん……」


何かが焼ける音と共に、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。


「なに……が……」


次第に意識が浮上していく。


「うぁ?」


目を開くといつもの部屋とはまるで違うことに気付いた。


見るからに女性モノの小物があり、部屋も自室よりも広く、そもそもソファーベッドで眠っていたことにも違和感を覚える。




「あ、春人くん。おはよう」




突然聞こえてきた声の方へと視線を向けた。


そこにはエプロン姿のお姉さんが立って――って!



「あぁあああ!!」



「うわっ!どうしたの急に!?」


そうだ、思い出した!

俺は昨日美玖さんに拾われて、それでいろいろ話して!


うわぁ、あんな親身に相談に乗ってもらってアドバイスもしてくれたのに、一瞬ド忘れしてたなんて恥ずかしすぎる。


というか俺、低血圧じゃないから目覚めはいい方なのに、なんで今日に限って!


「す、すみません。寝ぼけてたみたいで」

「あー、なるほど。確かに春人くん、すっごいグッスリ寝てたもんね。今なんてもうお昼過ぎだし」

「へ」


昼過ぎ?俺半日近く寝てたのか!?


「重ね重ねすみません!そのっ、直ぐに帰り」

「ストーーープ!ほら、落ち着いて」

「あ、は、はい」


いけない。

驚きの連続で珍しく我を忘れてた。


「はい、これでも飲んで」


美玖さんはマグカップにお茶を入れて差し出してきた。

俺は会釈をしながら、マグカップを受け取る。


「ん――ごく、ごくっ」


そのまま、一気に飲み干した。


「……ふぅ……落ち着きました」


一息ついた俺は、料理を作っている美玖さんの方へと向き合った。


「美玖さん、ありがとうございます……その、お茶もですが、こんな時間まで置いていただいて」


朝一で帰るつもりだったのに、まさかこんな時間まで寝てるなんて思いもしなかった。


目覚めに関してはここ数年で一番スッキリしたもので、久し振りに良く寝られたと感じるものではあったけど、あくまで俺は美玖さんの好意で泊めてもらっただけだ。流石に昼過ぎまで寝てるのは失礼すぎるだろ。


「気にしないで。今日はちょうど仕事もお休みだったし、春人くんの寝顔を見ながら穏やかな休日を過ごしてたよ?」

「俺の寝顔って」


俺の寝顔、ずっと見られたのか?


「すっごい可愛らしい寝顔だったよー」

「うっ、やめてくださいっ」


流石に恥ずかしすぎるんだけど。


「あはは!ちょうどご飯も出来るし、一緒に食べよ」

「は、はい。その、いただきます」


明らかに俺の分まで用意している様子に、断るのも失礼だと感じた俺は素直にテーブルの椅子に腰掛けるのだった。




◆◆◆




「ごちそうさまです」

「お粗末様。どうだった?」


美玖さんが出した食事は麦と白米のご飯にお味噌汁。焼き魚、卵焼き、お浸しといった病み上がりでも問題なく食べられる優しい味付けのものだった。


「とても美味しかったです」


料理からも美玖さんの心遣いが感じられて、本当に頭が上がらない。


「美玖さんと恋人になれる人は幸せですね」

「――」


あれ、どうしたんだ?美玖さんが驚いたように固まって。


「美玖さん?」

「あ、ううん!なんでもない……なんでも……こういうところは、もうー(ぼそ)」

「え、何かいいましたか?最後の方声が小さくて聞き取れなかったんですが」

「なんでもないよ!それよりも、春人くんはこの後どうするの?」

「そうですね……一応は家に帰ろうと思ってます」


そうは言ったけど、実際のところどうしようか今でも悩んでる。


今までみたいな曖昧な態度を取らないことは既に決めているけど、なら具体的にどうするかはまだ未定だ。

そもそも俺はあの家に帰りたいと思っているのか?


桜さんに心配を掛けたくないという気持ちにもちろん変化はない。


ただ、問題はあのわがままな義妹の黎だ。

絶対アイスのことでネチネチ言ってくる。昨日買ったアイスは夏場に外で寝てたから当然溶けてもうないし、開口一番暴言を吐かれる可能性もあるだろう。


そう思うと気は進まない。


「正直言うとね、一日だけど春人くんと過ごせた時間は楽しかったんだ」

「それは俺もです」


こんなに年相応の素の自分でいられることなんて、母が死んでから今までなかった。

それに美玖さんが思ってる以上に俺は美玖さんに救われたと考えている。


「春人君の意見は尊重するけど、私の個人的な意見としては春人くんを傷付ける相手がいる場所へ戻ってほしくないって考えてる」

「美玖さん……」

「だからね、君が望むならウチに居候してもらってもいいって思ってるんだ」

「――え、それはその」


有り難いけど、世間体的にいいのか?


「あ、心配しなくても普段私はお仕事で家にいないことが多いから、ある意味一人暮らしに近い環境で過ごせると思うよ」


そうは言われても直ぐに了承できることじゃない。


「その、少し考えてもいいですか?流石に今ここで返答できる内容でもないので」

「うん、もちろん。必要になったら連絡してくれたらいいからっと、そうだ。連絡先交換しよ?」

「あ、そうですね」


互いにメッセージアプリを開き、俺はQRコードを表示し、美玖さんはカメラでQRコードを読み取る。


「うん、登録完了。もしも何かあれば気軽に連絡していいからね」

「はい。もしも何かあれば連絡します」

「うん。それじゃあ……そろそろ帰る?」

「あー……いえ。その前に食器の片付けはしときます」

「いいの?」

「はい。これくらいはしないと流石に申し訳ないので」


俺は椅子から立ち上がると、美玖さんの分のおぼんも持って流しへと運んだ。




◆◆◆




食器を洗った俺は、パジャマを脱いで制服に着替えていた。


「あ、これ……」


シャツは皺一つない綺麗な状態でハンガーに掛かっており、微かに香る柔軟剤のいい匂いがわざわざ洗濯してくれたことを教えてくれる。


「感謝してもしきれないな」


着替えを終えて、パジャマを折り畳む。

そして、ドアの向こうで待っている美玖さんを呼んだ。


「美玖さん、着替え終わりました」

「了解!おー、やっぱり制服姿がきまってるねぇ」

「そうですか?今までそんなこと考えたこともなかったなぁ」


周りに対してばかり意識が向いてたからなぁ。

今後はもう少し自分のことにも意識を向けないと。


「あ、そうだ。シャツ洗ってくれたんですね。ありがとうございます」

「ううん。勝手に洗っちゃったけど、大丈夫だった?」

「はい!何というか、汚れも落ちて心機一転って気分です」

「なら良かったぁ」


心底安心した様子だ。

そんなに心配する必要はないと思うけど、人によっては勝手に洗われるのが不快に感じることもあるか。


「このパジャマはどうしますか?」


手に脱いで折り畳んだパジャマを持ちながら尋ねる。


「あ、もらうね」


美玖さんは俺からパジャマを受け取ると、何故か胸元に抱えた。


「これは後で私の方で洗っておくから心配しないで!」


後、声も少し嬉しそうだ。

パジャマが戻ってきて嬉しいのか?


「あ、はい、わかりました。では、そろそろ」


床に置いていたスクールバッグを持って玄関に向かう。


玄関で靴を履いていると、後ろから美玖さんが心配そうに声を掛けてきた。


「本当に何かあれば気軽に相談していいからね?もちろん、何もなくても連絡待ってるから!」


こうも気に掛けてくれるのは嬉しいけど、流石に心配しすぎじゃないか?

俺、そんなに情けなく見えるかな。


……いや、昨日までの俺なら、こんなふうに心配されるのも無理ないか。

なら、これからはその心配を少しでも払拭できるよう行動しよう。


「はい、一先ずは家に着いたら念のために連絡しますね」


「絶対だからね!忘れちゃダメだよ!!」


美玖さんは俺の言葉に顔をグイッと近づけて念を押してくる。


「わかりました!わかりましたからっ!!」


顔が近い近いっ!


綺麗な顔が突然目の前いっぱいに迫ってきたことにドギマギしながら慌てて距離を取る。


「後、そのさ……」


美玖さんが何か言いたそうにモジモジしている。

他に言うべきことなんてあっただろうか……って、あ。




「また、遊びにきてもいいですか?」




「――え」

「居心地が良かったから、また来たいなぁって思ったんですが……ダメ、ですか?」

「ううん!大丈夫っ、全然大丈夫だよ!!」


さっきまでの様子とは違って、花が咲いたような素敵な笑顔。

どうやら俺の選択は正しかったようだ……良かった。


「……それじゃあ、名残惜しいですが美玖さん、また」

「うん、またね!」


手を振る美玖さんに俺も手を振り返して、玄関のドアを開いた。


「あつぅ」


季節は7月。例年通り日差しは強く、気温も高い。更に湿度も若干高くジメジメと熱さが肌にまとわりつくため、じっとしているだけで汗がにじみそうになる。


「さぁ、いくか」


だけど、不思議と俺の足取りは軽やかだった。






――――――――――

読んでくださる皆様のお陰で、本作のPV数が10,000を突破しました!

これも応援してくださる皆様がいてこそです。

10,000PV突破を記念して、キャラクターデザインの制作を行います。

詳細は後日SNSや近況ノートでご報告いたしますので、今しばらくお待ちください。


また、長いプロローグを経て、次回から本格的に物語が動き始めます。

春人のわからせ開始っ!

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