第18話 「惚れた弱み」は「惚れた強み」


 恵琉からの想定外の問いにリヒトは吹きかけたのだが、一方で紅久衣は真面目な顔をして考え込んでいる。


「紅久衣ちゃん? どうしたの?」

「いや、うん……前はスルーされちゃった話だけど、結構アリかな、って」

「……何が?」

「え? リヒトくんと一緒に暮らすの」

「え?」


 どうしよう。どうすればいい?

 紅久衣から、さらなる想定外の言葉を掛けられて、テンパったリヒトは助けを求めるようにマスターへと視線を向ける。


 するとマスターはコーヒーを啜りながら軽く肩を竦めた。


「うるさくしないなら、別に久慈福くんも一緒に住んで構わないよ」

「…………」


 どうやら味方はいないらしい。

 そもそもこの場合の味方とは何を指すのか、リヒトもよく分かっていないのだが。


「リヒトくんは、わたしと一緒に暮らすのはイヤ?」

「……うっ、く」


 紅久衣の、若干わざとらしい上目遣い。

 リヒトには効果がバツグンだ。


「カノジョさんと同棲とかかなり贅沢な話だと思うんだけど、ヒト兄は逃げちゃう?」

「……ぐ、恵琉ちゃん、その言い方はズルい……」


 揺れ動くリヒトを見ながら、紅久衣はニヤっと笑う。


「うーん。もう一息?」

「ふっふっふ、それなら……」


 紅久衣が可愛く首を傾げると、恵琉が小悪魔っぽい笑みを浮かべた。

 左手を口元に当てて、囁くように戯けたように恵琉が言う。


「ざーこざーこ。クソざこヒト兄~♪ ヒト兄ってば決断力ゼロのクソざこさーん」

「恵琉ちゃん。そこまでいくと暴言だと思う。相手によっては気をつけないと酷い反撃されちゃうかもしれないから気をつけてね」

「え? ここで正気に戻ってお説教するの違くないッ!?」


 スンと正気に戻ったリヒトからダメ出しされて、恵琉が口を尖らせる。

 そんなやりとりを見ていたマスターが小さく嘆息しながら、リヒトに訊ねる。


「実際問題、久慈福くんはどうしたいんだい?

 どんな理由で躊躇ためらっていて、同棲するにあたってどんな問題を考えているのかな?

 それがあるから、困っているんじゃないの?」

「え?」


 マスターからの真面目な問いに、リヒトは目をしばたたいたあとで、悩みはじめる。


 言われてみると、自分はどうしてこんなにテンパっているのだろうか。


 紅久衣と一緒に暮らすのがイヤ? NOだ。

 アントワープの二階という立地がイヤ? これもNOだ。

 女の子と一緒に過ごした経験が少なくて、同棲するのに尻込みしている? これはYESかもしれない。


 ストーカー問題? それに関しては、お互い様なのでノーカン。

 なんなら紅久衣に寄ってくる厄介事も、自分の厄介事ともどもブン殴ってしまえば、彼女を守ることにも繋がるので好都合だろう。


 ――そうやって一つ一つ自問自答していった結果、何となく見えてきた気がした。


「女の子と一緒に過ごす経験が少なくて、同棲できるかどうか不安……とかかも?」


 自分でもハッキリとした原因が分からなかったリヒトは、とりあえずで思いついたそれを口にする。


「なるほど。でも、そんなのは久慈福くんじゃなくてもそうじゃないかな?」

「……うーん、それを言われると……」

「綺村さんはどうなんだい?」

「わたしも同じような不安はありますよ。あんまり男の子と関わった経験ないですし。

 一応、ちっちゃい頃は施設とかで、一緒に過ごしてましたけど、それってノーカンでしょう?」

「……綺村さんも結構ハードなバックボーンがありそうだね。悩みがあったら相談してくれていいからね? こんなぼんやりしたジジイでよければさ」

「ありがとうございます」


 そんなワケで、リヒトの悩みそのものは、大したことないのでは――という方向になってきた。


 地の文的にはとっとと同棲しちまえよ! って感じなんだけど。

 そもそも結婚前提のお付き合いなんだし、同棲して新婚体験会した方がいいと思うんだけどさ。読者くんたちはどう思う?

 もちろん。リヒトくん本人からしてみれば、大いに悩む重要決断シーンだから、そう簡単なことは言えないんだけどさ。


「つまるところやっぱりヒト兄の気持ち一つってワケじゃん」

「うっ……そう、みたいだね」


 何故だろう。すごい勢いで、外堀が埋められている気がする――などと思いつつも、リヒトは真面目に考える。


 冷静に考えてみても、あるのは漠然とした不安感や、紅久衣への漠然とした申し訳なさのようなものだ。


 これらは結局のところ、女の子と同棲するというシチュエーションへの、気恥ずかしさと、自分如きが――という自己肯定感の低さから生じている不安感にすぎない気がしてくる。


 あとは――


「もしかてボク、一緒に暮らすコトで紅久衣ちゃんに嫌われる可能性を、自分で思っている以上に怖がってるのかも?」


 そう口にすると、紅久衣は綺麗な笑みを浮かべて、リヒトの手を取った。

 その顔には先ほどまでのイタズラっぽさはない。


 リヒトを安心させるような、あるいは自分にも言い聞かせるような、そんな笑みだ。


「それはわたしも同じ。一緒に暮らすって、一晩過ごすのと違って、ずっと余所行きモードでは居られないし疲れちゃうから、素の姿とかそういうのがいっぱい見えちゃうだろうしね」


 それに何より――と、紅久衣の笑みが儚げなモノに変わっていく。


「わたしたちは、別れの経験が強いから、余計怖いんだと思う」

「あ……」


 リヒトは、その言葉で腑に落ちるものがあった。


(そうか……ボクは、紅久衣ちゃんを失うコトが怖いんだ……)


 事故にあって両親を失った時の記憶は、リヒトの中に色濃く残っている。

 またあの喪失感を味わうかも知れないと、そう考えてしまい、それを恐れている。


「それを踏まえても、わたしはリヒトくんと一緒に生活したいなって思ったんだ。

 まだ今日で二日目のお付き合いとはいえ、リヒトくんの良さをいっぱい見せてもらったからね」


 紅久衣はえへへと笑い、告げる。


「ぶっちゃけ、惚れちゃってます。惚れた弱みって感じで、一緒に居たいと口にしてます。願わくばこの気持ちが一時いっときのモノであって欲しくないと思うほどに」

「…………ッ!?」


 横で見ていた恵琉が、指を広げた両手で顔を覆い、指の隙間からこちらを見ながら、「きゃー」とはしゃいだ。


 そんなことが気にならないくらい、リヒトは息を呑み、真っ直ぐな視線を向けてくる紅久衣を見つめ返す。


 そして、リヒトはやがて折れたような、何かを認めるような様子でふにゃふにゃと笑みを浮かべた。


「ズルいよ紅久衣ちゃん……それは。ボクだってこの短い間に、ずっとキミの横顔に見惚れちゃってたんだ。惚れた弱みって言うなら……うん。ボクも同じ。ボクも、この感情が一時のモノで欲しくない。

 だから――というのも変かもだけど……その言葉に誘われて、流されちゃっていいのかもしれない」

「――って、コトは?」

「うん。一緒に暮らそう。紅久衣ちゃん」

「……ッ、やった!」


 破顔する紅久衣の姿に嬉しくなりながら、リヒトは彼女から手を離すと丁寧にお辞儀をした。


「ふつつかで頼りないボクだと思いますが、よろしくお願いします」


 それに対して、紅久衣も同じように丁寧なお辞儀を返す。


「こちらこそ、ふつつかで怪しい女かと思いますが、よろしくお願いします」


 そんな二人のやりとりに、「なにそれ」と恵琉が吹き出した。

 それをキッカケに、リヒトも紅久衣も、どちらともなく笑い出す。


「うん。円満にまとまったようで良かったよ」


 マスターもどこか安堵したようすでコーヒーを啜っている。


「とりあえず今日はこっちに布団とかないからボクの家に戻るとして、明日からちゃんと引っ越す準備しないとだね」

「そうだね。こっちの片付けは、あとは屋根裏だけだし、生活できる範囲はだいたい片付いたものね」


 一度決まってしまえば、ポンポンと話がまとまっていく。

 恵琉の言うとおり――というワケでもないが、本当にリヒトの気持ち一つが、問題だったのだろう。


「あ、そうだマスター。家賃は?」

「ん? 別にいらないよ?」

「それは紅久衣ちゃんだけが住む場合でしょう? ボクも一緒に住むから、取った方がいいと思いますけど」

「久慈福くんは気にしすぎ。まぁそれでもキミが気にするっていうなら、うちでのバイト代から、多少天引きって感じいいかい?」

「はい。じゃあそれで!」


 さらっと家賃について決めた横で、紅久衣がどこか納得いかなそうに口を尖らせる。


「うーん、このままだとわたし、リヒトくんのヒモっぽい……」


 独りごちたその言葉を耳ざとく聞いていた恵琉が、にぱっと笑うと、紅久衣に抱きついた。


「グイ姉、グイ姉。グイ姉も一緒にここで働けば? グイ姉の都合もあるから無理にとは言わないけど。そうすれば、ヒト兄と一緒に天引きしてもらって、家賃折半って感じになるじゃん?」

「あ。それいいかも」


 恵琉の言葉に一つうなずき、紅久衣は恵琉に抱きつかれたままマスターに向き直った。 


「あの、マスター。わたしも雇ってくれません? 今無職なんで出ようと思えば毎日出れますし、家賃もお給料から天引きして頂ければ」


 ふむ――とマスターが小さく息を吐く。


「久慈福くんは色々掛け持ちしてるらしいし、恵琉も毎日これるワケじゃないから……うん、ちょうどいいかもな。それなら、引っ越し作業終わって落ち着いた頃から、お願いできるかい?」

「わかりました。ありがとうございます」

「詳細は落ち着いてから決めようか。まずは引っ越し、終わらせちゃって」

「はい」


 そんなワケで、トントン拍子に色々と決まっていく。

 リヒト的にはすごい早さで自分の周囲の環境が変わっていくのに驚いている状況だ。


 ただそれでも、あまり悪い気分はしない。むしろ良い気分だ。


「惚れた弱みって言うけど、案外惚れた強みなのかもなぁ……」


 環境の変化が激しいとちょっと怖くなる。

 だけど、紅久衣が一緒なら、何となる気がするのだ。


 紅久衣が一緒だから、心が強くなってる気さえしてくる。


「紅久衣ちゃん」

「なに?」

「改めて、これからよろしくね?」

「ええ。こちらこそ、リヒトくん!」


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