第10話 かいものクエスト~失われし服を求めて~
「あ……」
夕飯を食べ終わって、まったりした時間が流れてる中、ふと紅久衣が小さく声を上げた。
「どうしたの?」
「着替えのコト忘れてたな……って」
アパートごとクローゼットが燃えてしまったので、紅久衣の手持ちはゼロだ。
昼間は色々と動いててすっかり忘れてしまっていた。
「そういえばそうだね」
などと答えつつ、ここへ来てリヒトはようやく、紅久衣が自分の家に泊まるという実感が湧いてきた。
つまりは、この部屋のどこかで紅久衣ちゃんが着替えるの……? みたいな謎のドキドキ感が湧いてくるのだが、それをなんとか心の端へと追いやって冷静に訊ねる。
「今から駅前行く? 駅ビルの
「嫌じゃないけど。個人的にはその隣のマグマードモールで買いたいところね」
「マグマードは……着く頃にはレストラン街以外は閉まってる時間だね」
「だよねー」
もうすぐ二十時になりそうな時間だ。
駅前まで十五分ほど。
リヒトからすると入るのに気後れするブティックやアクセサリーショップなどの多い駅ビルのマグマードモールに入っているテナントは一部除いて二十時まで。
もう片方のリヒトが行き馴れた駅ビルである
「今から間に合わせの服を
うーむ……と悩む紅久衣に、リヒトはふと思うことがあって、恐る恐る訊ねる。
「そういえば、紅久衣ちゃんって、今の手持ちはいくらあるの?」
「あ」
失念していたとばかりに財布を取り出して、紅久衣は中身を確認しーー
「現金は五千円しかないや……」
「一式揃えるとなると
「……まぁ最悪、下着さえ買えればいいんだけど」
いくらファストファッションのお店とはいえ、下着を含めた必要な上下一式を五千円で揃えるのは厳しいだろう。
少しだけ考えて、紅久衣は小さくうなずいて、動くべき方向を定めた。
「よし。とりあえずは
あんまり使いたくなかったけど、クレジットカードも持ってるし。むしろ何らかの理由で現金が使えない時の為に作ったやつだから、いつ使うの? 今でしょ! って感じで」
「キャッシュレスって結構便利だと思うけど、使ってないの?」
「ああいうのって現金が信用できない国のモノでしょ?」
「間違ってはいないと思うけど、極論だと思う」
「個人的にはいつの時代もゲンナマ最強だと思ってるから」
「まぁ日本だと特にそうかもだけど」
「それじゃあ、夜のお買い物に出かけましょ?」
何はともあれ、二人は夜のお散歩デートに繰り出すのだった。
リヒトの家から駅前に出るなら、途中にある大きめの公園を突っ切るのが一番早い。
とはいえ、昼間は賑やかなこの公園も、この時間となると
「こんな薄暗い公園を通るなんて、リヒトくんは何を考えているのかな? あるいは期待してる?」
ニヤニヤと笑いながら訊ねてくる紅久衣に、リヒトは慌てて手を振った。
「あ、ごめんッ! そんなコト考えてなかった! そっか、女の子と二人で歩くにはちょっと怖い道だもんね。気が利かなくて申し訳ない」
「あ、待ってッ、こっちこそごめんッ! ちょっとからかうつもりだったのに、そんなマジに取られちゃうなんて思ってなかった!」
お互いに慌てて謝罪しあって、いったん息を吐き合う。
「わたしだって近所に住んでるんだから、この公園突っ切るのが一番早いのは分かってるから大丈夫」
「いやでもほら、二人きりで薄暗い公園に入ったらそういう誤解されちゃうくらいのコトはボクも想像するべきだったから」
ともあれ、このままだと謝罪合戦がいつまでも終わらないと二人は早々に判断すると、お互いに言葉を切って、どちらともなく空を見上げる。
「あ、すごい。街灯が少ないから、綺麗に夜空が見えるんだ、ここ」
「ほんとだ。ずっと近所に住んでるのに気がつかなかった」
「わたしもよ」
二人で静かに空を見上げていたのだが、ふとリヒトは横にいる紅久衣に視線を向ける。
空を見上げる横顔は、薄暗い夜の公園の中でも不思議と輝いて見えた。
(なんとなく……月が綺麗ですねって翻訳された理由が分かる気がする)
同時に、そういえばこうやって誰かと夜空を見上げたのっていつ以来だっけ? などと首を傾げる。
「リヒトくん? どうした?」
「ああ、うん……」
綺麗なキミの横顔に見とれたーーと言えるほどには、リヒトの勇気も度胸も、まだ足りてないのは相変わらずだった。
それを誤魔化すーーというワケではないのだが、なんとなく口にする。
「こうやって誰かと一緒に空を見るなんていつ以来だったかな……って」
「そんな大袈裟な話なの?」
「えーっと……」
どうしようかな……と、少しだけ逡巡するが、リヒトは恐る恐る口にする。
「ちっちゃい頃に両親を事故で亡くしてさ、僕も重傷だったからずっと病院で。
意識が戻ったあとも、身体がズタボロだったから、ケガが回復したあとも、ずっとリハビリする為の施設みたいなところに居たし、そこを出たあとも一時的に拠点を孤児院的な施設に置いたりもして……そこもすぐに出て一人暮らしになって、今みたいな生活を始めたようなものだったからね」
「会ってまだ一日の女にそんな話しちゃっていいの?」
「あー……早めにしておこうかなって」
自分が孤児のような存在だと言うと、勝手に距離を置こうとする人が現れる。あるいは編に気を遣って、扱いに困りだし足りとか。
実際、いくつかのバイト先でそういうのを経験している。
だから、これを口にするのはリヒトなりに結構な賭けだった。
流れで話し始めてしまったもののーー今後、紅久衣と長く付き合っていくのであれば、どうせ話す内容だ。今のうちに明かすのもアリだろう。
「そうなのね……。
でも、身内と空を見てないって話に繋がらないんじゃないの?」
あえて施設などの方には触れずにそちらを訊ねてくる紅久衣。
リヒトは不思議に思いつつも、素直に答える。
「そりゃあリハビリセンターや病院、施設でそれなりに仲良くなった人とかは居たけど、それが友達や家族かというと微妙だし、だからこう……身内? っていうのかな。そう呼べる人は全然いなかったもんで、だから紅久衣ちゃんと夜空を見てたら、なんか久々どころか懐かしい気持ちになっちゃったんだ」
「じゃあ、本当に家族と一緒に居た頃以来なのね。なら、光栄かもしれないわ。こんなすぐに身内扱いしてくれるコトも含めてね」
「そう思ってくれるのは嬉しいな」
紅久衣はリヒトの出自については何も触れず、ただ空の話題だけを拾って返してきた。
それが、リヒトには無性に嬉しく感じる。
「それにしても施設かー……」
困ったように紅久衣が頭を掻く。
やっぱり、以前のバイト先の人と同じように距離を取られてしまうのだろうか?
リヒトが勝手に怖がっていると、紅久衣は困った顔のまま口にする。
「まぁわたしも似たようなモンだから、気にしないでいいよ」
「……そうなんだ」
「うん。そうなの。ただ、ロクな施設じゃなかったから……」
そういうやりとりの中で、紅久衣も昔のことを少しだけ思い出す。
暗くて狭い部屋の片隅で、ずっと泣いていたことだ。
いつしか涙は出なくなったものの、泣かなくなったワケではない。
「紅久衣ちゃん? どうしたの? なんか怖い顔というか泣きそうにも見える顔してるけど」
「ああーーうん、ごめん。施設の思い出ってイヤなコトが多いのよ。勝手に思い出して勝手に腹を立ててた」
「そっか。じゃあ、こういう話はナシで行こうか」
紅久衣がどういう過去を持っているのかリヒトには分からないが、あんな辛そうな顔をするなら、あまり話題にしない方がいいだろう。
「さてリヒトくん。あんまりここでのんびりお喋りしている時間もないわ!」
「そういえばそうだった。駅前に急ごうか」
ホームセンターの時と違って、目的を忘れなかったことを二人で讃え会いながら歩き出す。
気づけば話題はマンガやゲームの話になっており、お互いの過去のことについては、特に意識しないようになっていた。
そうして、やってきました目的地の駅ビルです。
時刻は二十時四十七分。
『お客様 各位
平素よりお世話になっております。
本日はビル機能のメンテナンスの為、全館十八時までの営業となります。
また同じ理由で明日は終日休館。明後日より通常営業に戻ります。
ご迷惑をおかけしますがご了承ください』
「……マジか」
「……マジみたいだ」
意気揚々と出てきてこれである。こういう時って意外とショックによるダメージが大きいものだ。具体的には1マナで2点くらいのダメージは入る。
「リヒトくん。この辺りで他に服とか買えそうなところに心当たりある? せめて下着の替えくらいは……」
「んー……路地裏のジーンズフレンド?」
問われて首を捻ったリヒトは、なんとか思いついた店名を口にした。
名前の通り、ジーンズがメインのお店だが、それ以外の服の取り扱いもある。
ここ二年くらいずっと閉店セールをやっているので印象に残っていたとも言う。
「あそこは十九時までね。それに開いてても、あそこって下着は扱ってないからなぁ……」
「そうなんだ……あ! それなら、ノーサインは?」
生活雑貨を多数取り扱っており、商品はシンプルなデザインを重視している自称ノーブランドがブランドの店舗チェーンの名前をあげると、紅久衣は首を横に振る。
「確かに下着は売ってるけど
「そうでした」
なかなか難しい。
他にどこかっただろうかーーリヒトが首を捻っていると、紅久衣が何か思いついたようだ。
「そっか。ノーサインだ」
「でも今閉まってるって……」
「ふふふ。我ながら失念してた。リヒトくん、バンディマートを探しましょう!」
「え? コンビニなの?」
「コンビニ侮るコト無かれ、よ!」
そんなワケで夜のお散歩デートはまだまだ続くようである。
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