第6話 あくまで二階。屋根裏に住むわけじゃないよ。黒猫もいない。いいね?


 マスターの案内で店の奥にある階段を上っていく。


「そういえば、ここで働いてから結構経つけど、初めて二階に行くかも」

「まぁ、仕事中は特に用はないからね。仕事用のモノとかもあまり置いてないし」


 階段を上りきると、玄関の土間のようになっているスペースがあり、そこで靴を脱げるようだ。


「スリッパは……すまん。自分の分しか用意してないし、あまり床を掃除してないんだ。

 靴下が汚れるのが気になるなら今日はちょっと靴を履いたままの方がいいかもね」


 二人はそれにうなずいて、靴を履いたまま上がりかまちを跨いだ。


「元々、ここは住居兼バーって感じでね。

 オレは近所に家があるから使ってないんだけど、前の持ち主はここに住んでたみたいだから、最低限のモノは揃ってるはずだよ」


 上がってすぐに広めのリビングだ。正面には小さな給湯室らしきモノが見える。

 左側の壁はテレビ台のようになっており、右奥の方には扉が三つある。一番奥の扉と二番目の扉の間には階段があるのが見えた。三階もあるようだ。


 さらに右奥へ伸びる廊下の突き当たりは曇りガラスになっているのを見るに、恐らくは小さなシャワールームというやつだろう。


「シャワールームはともかく、台所もないんですか?」


 リビングをキョロキョロと見回しながら、紅久衣が訊ねる。

 それに、マスターはうなずいた。


「その辺はトイレ含めて、どうにも一階にある店のモノを使ってたようだよ。

 一応、見ての通り、小さな給湯室みたいのはあるんだけどね。

 厨房は店の営業時間外なら、綺村さんも使っていいから。トイレは時間気にせず使っていいからね」

「ありがとうございます」


 リビングを抜けて一番奥の、シャワールームではない方の扉を開けると、そこは広めの和室になっていた。

 押し入れなどもあるので、以前の家主はここを寝室に使っていたのだろう。


「必要なら畳の交換手配するけど?」


 マスターの言葉に、紅久衣がしゃがみ込んで畳に触れる。


「痛んではいないようですし、この部屋はキレイですから大丈夫だと思います」


 リビングと違って明らかに手入れがされている部屋に、リヒトは不思議に思って訊ねた。


「マスター、ここ使ってました?」

「時々ね。窓開けてごろ寝するの気持ちいいんだよ、ここ。日当たりいいし」


 笑って口にするマスターの言葉に、紅久衣が目を輝かせる。


「ちょっと横になってもいいですか?」

「もちろん」


 マスターの許可を取った紅久衣は靴を脱いで和室に入ると、窓を開けて大の字に寝っ転がる。


「これはいいですね~……」

「だろう? 今日みたいな風の気持ちいい穏やかな日は最高なんだ。

 店が休みの日でも、わざわざここに来てぼーっとしたくなるくらいにはね」

「そんなお気に入りをいいんですか?」


 リヒトが訊ねると、マスターは笑ってうなずく。


「もともと持て余してたからね。ちゃんと使ってくれる人がいるならそれでいいんだよ」

「そういうもんですか?」

「そういうもんだよ」


 そう言ってマスターとリヒトの二人で紅久衣へと視線を向けると――


「スヤァ……」

「あれ? 彼女さんもう寝てるッ!?」

「紅久衣ちゃんおきてー!」

「……ハッ!?」


 リヒトの呼びかけに、紅久衣が慌てて身体を起こす。


「リヒトくん。ここやばいわ」

「とりあえず紅久衣ちゃんの涎がやばいから拭こう」


 紅久衣は慌てて口元を拭う。

 

「リヒトくんも味わった方がいいよ」

「それは今度にしようかな」


 推しスポットだこれ――とはしゃぎながら、紅久衣は部屋からでて靴を履く。


「それじゃあ、隣の部屋に行こうか」


 二人の様子を見守るように笑いながら、マスターは歩き出す。


 ハシゴのような急な階段はいったん置いておき、隣の部屋の扉を開ける。


「ここは洋室だね。以前の家主が残していった机なんかがそのまま残ってるから、書斎的な使い方が出来るんじゃないかな?」


 マスターの言う通り、そこは和室よりやや狭めの洋室だった。

 机やちょっとした本棚などが残っているのもあって、さらに狭く感じる。


 ただ置いてある家具のセンスは悪くなく、こぢんまりとしながらも、オシャレな感じがして良い部屋だ。


「ここも自由に使っていいよ」

「ほほう……ここにリヒトくんの家にあるマンガとかを持ってきて飾るのもありかな?」

「うちからの持ち出しは確定?」

「マンガやラノベばっかりあるオタクな書斎って、なんか素敵で憧れない?」

「気持ちは分かる」

「でしょー?」


 うなずくリヒトに、紅久衣はにまーっと嬉しそうに笑った。

 その二人の様子を見ていたマスターも、内心で安堵をする。


(いやぁ久慈福くんの彼女さんって聞いたからどんな子かと思ったけど、いい子じゃないか。

 久慈福くんとの相性も悪く無さそうだし、良かった良かった)


 なんだかんだでリヒトと付き合いの長いマスターは、ちょっとした保護者気分だった。

 完全に、パパが息子の連れてきた彼女を見る目である。もちろん、接客業で培ったポーカーフェイスによって、そんなことを考えているなど、マスターはおくびにも出さないのだが。


 リヒトと紅久衣の雑談が落ち着いたあたりのタイミングで、マスターは声を掛ける。


「さて、そろそろ次の部屋に行くかい?」

「お願いします」


 そうしてすぐ隣にある、最後の部屋の扉を開けた。


 そこは狭いながらも、棚やハンガーをかけられそうなバーが設置されていたりする場所だった。


 スーツやエプロンが掛かっているのは、マスターの私物だろう。


「こっちは納戸なんど――ウォークインクローゼットだね。

 多少オレの私物が置いてあるけど、あとで片付けるから好きに使って」

「あ、無理して片付けなくていいですよ」

「そう? まぁここは使わせて貰えると助かるよ」


 納戸の扉を閉めて、次は和室と洋室の間にある階段だ。

 結構な急勾配で、階段というよりハシゴに近い。


「この上は屋根裏。完全に物置になってるんだ。

 以前の家主の私物なんかも残っててね。ヒマなら片付けてくれると嬉しいが、無理して片付ける必要もないよ」


 言いながら、マスターが階段に足を掛けた時だ。


「お店の人いませんかー?」


 一階から女性の声が聞こえてくる。


「はいよー! すぐに下へ降りるので少しお待ちを!」


 それにマスターが大きめの声で返す。


「お客さんみたいだ。上はまぁ見たかったら見てくれていいけど、散らかってるし汚れてるからね。今度にするのも悪くないよ。

 あとは二人に任せる。掃除用具なんかは階段脇の棚にあるし、それで足りないなら自分たちで買い足すといい」


 一階へ戻っていくマスターを見送り、リヒトと紅久衣は顔を見合わせる。


「紅久衣ちゃんどうする?」

「まずリビングの掃除をしよう。靴がナシでも歩けるように。

 日が落ち始めたら、リヒトくんの家に帰る感じで」

「わかった。じゃあ掃除用具の確認かな」


 マスターの言う箱――ダンボールの中に入っていたのは箒とチリトリだけだった。


「お掃除シート系は欲しいかな。最悪、雑巾でもいいんだけど……箒で掃いてから拭きたいし」

「あとはゴミ袋かな。お店のを使うのは申し訳ないし」

「うん。それから――」


 必要なものを相談し、近くのホームセンターへと出かける算段を立てていく二人。


「買い物メモと、掃除するのにやりたいコトのリストも作ったし、これでいいかな?」

「うん。リヒトくん、こういうの作るの上手いね」

「Todoリストや欲しいものリストみたいなのを作るのって、やるコトがいっぱいある時に便利だよ」


 それじゃあ早速ホームセンターに向かおうか――なんて、思った矢先、どちらともなくお腹が鳴った。


「えーっと」

「あははは」


 二人して可愛く顔を赤くして、リヒトはおずおずと切り出す。


「……買い物前に、ここでランチ食べてく?」

「うん。賛成」


 そんなワケで、二人は下に降りると、マスターにアラビアータとコーヒーのセットを注文するのだった。

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