のっとRE:スタッフ生活~ヤンデレと化したVドル達が俺に執着しすぎてやめさせてくれませんダレかたすけて……~

龍威ユウ

第1話:スタッフ、事務所辞めるってよ

 別れというものは、いきなり音沙汰もやってくる。


 それは別段、不思議なことではない。


 生きている以上、別れもあれば新しい出会いもある。


 今日の空模様は、雲一つない快晴だった。


 燦燦と輝く陽光はまぶしくも、とても暖かくその下では小鳥達が優雅にすいすいと泳いでいる。


 時折頬をそっと、優しく撫でていく微風は大変心地良く、春の甘い香りも一緒になって運んできた。



「うん、今日は絶好の退職・・日よりだ」



 と、祓御虎狛ふつみコハクは満足そうに頷いた。


 本日をもって、長年勤めてきた職場を退職する。


 退職理由に、職場への不満は一切ない。


 みなが一つとなって和気藹々と苦楽を共にしてきた。


 その在りようは、ある意味家族のようだった、とそう表現してもなんら違和感がないほどに。


 最初は小さな企業だったのが、今となっては誰もが知るほどの知名度と人気を誇っている。


 立派になったものだなぁ、とコハクはしみじみと思った。


(とは言っても、俺もここまで成長するとは思ってもみなかったけど)


 コハクが入社した理由は、同じく面接を受けた者からすればさぞ不純であったに違いない。


 すべては、金のためだった。


 生きていくためにはどうしても、金が必要不可欠となってくる。


 そう意味では給料は極めてよかった。福利厚生についても特に問題もない。


 自宅からそれなりに近く、徒歩でいける距離というのも極めて大きい。


 だからこそ、退職することに未練がないといえばそれは嘘となってしまう。


(また貧乏暮らしになるのかなぁ。それだけは嫌だなぁ)


 と、コハクはすこぶる本気でそう思った。


 もう、毎日麦ごはんだけという生活には戻りたくない。



「……スタッフさん」



 切にそう祈るコハクの元に、その少女はやってきた。


 腰まで届く栗色の髪に、宇宙を彷彿とする天鵞絨びろーど色の瞳が特徴的だ。


 あどけなさが残る顔ではあるが、誰もがうらやみ見惚れてしまう美しさが彼女にはある。


 トップアイドルなんだからかわいくて当たり前か、とコハクはそんなことを、ふと思った。



「ギンガさん、どうかしましたか?」



 天野ギンガ……これは彼女の本名ではない。


 しかし、職場ここでは彼女はそう皆から呼び慕われている。



「本当に、辞めてしまうんですか……?」



 そう尋ねるギンガの瞳からは、今にも大粒の涙がこぼれ落ちそうだ。



「……えぇ、本日をもって俺はこの職場を辞めます。ギンガさん、今までお世話になりました」


「ううん、そんなことないよ。ずっとお世話になってたのは……私の方だもん」



 と、ギンガがかぶりを振った。



「……なんだか、不思議な気分ですね。あれだけ小さくて、活動範囲も大きくなかったのに今じゃ武道館でライブとか普通にしてるんですから」


「それは、スタッフさんや他の人ががんばってくれたから」


「いやいや、俺たちはあくまでも裏方ですから。夢を現実にしたのは他の誰でもない――ギンガさん、それに他のみんなの努力があってこそですよ」


「スタッフさん……」


「ギンガさん、もっと胸を張って誇ってください。例えVドルであっても、あなたはもう立派なアイドルなんだから」



 Vドル……Virtualアイドルを略した呼称である。


 ここ、ドリームスターライブプロダクションはVtuberアイドル事務所として主に活動している。


 ギンガは一期生であり、付き合いについては当然他の誰よりもずっと長い。


 それこそ当初は、スタッフ不足などの理由からマネージャー業務も兼任していたこともある。



「あの時はマジで、なにもかもが激闘だったなぁ」


「そう、だったね。でも、忙しくて大変だったけどわたしはすっごく楽しかった」


「それについては俺も否定しません……本当に楽しかった」


「あの時のスタッフさん、いつも忙しそうにしてたもんね。仕事以外にも何かしている感じだったし」


「それについては、まぁ。色々とあったんですよ……色々と、ね」


「……どうしても辞めちゃうの?」


「……はい。どうしても辞めちゃいます。辞めないといけない、それだけの理由が俺にはできてしまったんで」



 許されるのであれば、このままずっと続けていたかった。


 それが叶わない状況が起きてしまったから、コハクはドリームスターライブプロダクションを離れなければならない。


 未練もあれば後悔もある。だがそれでも、成すべきことがコハクにはあった。



(家のことがなかったら、残ってたんだけどなぁ。まぁ、しゃーないか)



 と、コハクは自嘲気味に小さく笑った。



「――、やっぱり無理だよ。わたし、スタッフさんに……コハクさんに辞めてほしくない」


「ちょ、ちょっとギンガさん……!?」



 小さな体いっぱいを使って強く抱擁するギンガに、コハクは困惑を隠せなかった。


 それと同時に、一つの不安が彼の胸中でたちまち大きくなっていく。


(やばいぞ、こんなところ誰かに見られたら……!)


 と、コハクは大いに焦った。



「あ、あのギンガさん? 離れてもらえませんかね?」


「やだ!」


「いや、やだって言われてももう決まったことですし……」


「どうして? どうして辞めちゃうの!? どうしてずっと傍にいてくれないの!?」


「だから家の事情というかなんちゅーか本中華……」


「こんな時に面白くないダジャレ言わないで!」


「……いや、そこまではっきり言わなくても……」


「だって……好きな人と離れたくないんだもん」


「え……?」



 と、コハクは目を丸くした。


(ギンガのやつ……今なんていった?)


 もう一度、直接本人に尋ねてみることにする。


 おそらく先程のは自分の聞き間違えだろう、とコハクは自らにそう言い聞かせた。



「えっと……すいません。なんて言ったかもう一度だけ言ってくれますか?」


「好きな人と、離れたくない……」


「聞き間違えじゃなかったかぁ……」



 と、コハクは静かに天を仰いだ。


 それに伴って一つの疑問が、コハクの胸中にて芽生える。


 果たしてそれは、いつ好きになったのかというものであった。


 ギンガとの仲は確かに良好である。この事実について嘘偽りは一切ない。


 仲がよくなければ円滑な活動はきっと、できなかっただろう。


 しかし、付き合いこそ長いものの互いに恋愛としての好意を伝えたことは一度としてない。


 特にコハクに至っては、ギンガを始めとするメンバーをそのような目で見ていなかった。



「……いったい、それはいつ頃から?」


「いつだったかなんて、よく憶えてないよ……。でも、スタッフさんといっしょに頑張ってきて、相談とかたくさん乗ってくれて、それでいつの間にか本気で好きになってたの」


「ギンガさん、それは……」


「わたしは、いつだって本気だよ? ゲームでも、ライブでも、雑談だって全部本気。だからスタッフさんへの想いも嘘とか勘違いなんかじゃない……本気なの」



 涙で潤んだギンガの瞳は、しかし揺るぎない強い意志をそこに宿していた。



「好き……大好きです、スタッフさん。わたしは――天野ギンガはスタッフさんを心から愛してます」


「…………」



 いくらVドルであろうとも、恋愛については禁忌とされている。


 ましてやそれが職場内のスタッフならば余計だ。


 いくら秘密を隠そうとしても、いつか必ずバレてしまう時がくる。


 ギンガにはもっと、Vドルとして輝いてほしいし活躍してほしい。


 そう心から思うからこそ、さしものコハクも、是が非でもスキャンダルだけは避けねばならなかった。



「だからお願い……スタッフさん。辞めないでよ……」


「……ギンガ。すまないがこればかりは譲れそうにない」


「やだよぉ……離れたくないよぉ……」


「今生の別れじゃないんだ。生きていれば、またきっとどこかで会えるだろう――多分」


「多分じゃやだぁ……」



 ぼろぼろと大粒の涙をこぼしぐずる姿は、外見相応だった。


 とは言え、ここで彼女に同情するような真似をコハクは決してしない。


 まったく寂しくないわけではない。だが、自分にはどうしてもやるべきことがある。


 すべてはそれを成すために――コハクは優しく、ギンガをそっと離した。


 幸いなことに、ギンガが抵抗することはなくあっさりと身体から離れた。



「……それじゃあ、俺はもうそろそろ行く――元気でやれよ、ギンガ」



 と、ここでコハクはふと時計の方を見やった。


 時刻は後数分で、午前8時になろうとしている。


 始業時間までに荷物の整理をしてさっさとドリームスターライブプロダクションから立ち去る算段だった。


 つい先日、ドリームスターライブプロダクションは大きなライブを終えた。


 辞めるにはちょうどいい区切りであったし、しばらくは大きなイベントも特にないので悪影響を及ぼす心配もない。


 そうした予定が、天野ギンガという予期せぬ存在によって台無しになってしまった次第である。



「……スタッフさん!」


「――、あっ! 社長おはようございます!」


「え?」



 ギンガがくるり、と振り返った。


 それを見計らってコハクは窓の方へと足をかける。


 社長の姿はそこにはいない。つまりギンガの気を逸らすための嘘だった。


(最後の最後で嘘を吐いたのは俺としても気が引けたけど……まぁ、許してくれ)


 と、コハクはそのまま外へと飛び出した。



「あっ! スタッフさん!」



 涙でぐしゃぐしゃになっていた顔から、血の気がさぁっと引いていく。


 それもそのはず。コハクたちがいるその部屋は、事務所の五階である。


 五階の高さから人間が飛び降りればどうなるか、その結末は幼い子供でさえも容易に想像がつこう。


 あくまでも、対象が普通の人間であったならば、の話に限定されるが。



「よっ、ほっと……!」



 コハクは、まだ生きていた。


 わずかな突出部や配管、それらすべてを利用してあっという間に地上へと降りていく。


 常人離れした身体能力と運動神経は、コハクが持つ数少ない武器の一つと言えよう。


 それらを己が逃走のために用いたのは、今回がはじめてのことだった。



「――、じゃあなギンガ。お前ならきっと、大丈夫だ」



 窓から下を覗くギンガに、コハクはほんの少しだけ微笑むと踵を返し走った。

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