いけにえの国
雨宮 隅
第1話 さすらいの神
ゆきしろの国。
その国の正式名称だ。
一年中、雪が降り雪に支配されし僻地。
10年に一度ほど、大雪によって国家としての機能を失い、多くの凍死者を出す厳しい大地。
しかし、もう何十年とその雪嵐は訪れていない。
その国には奇跡を可能にする神が住みついていたからだ。
神は強大な力を身に宿し、悪い存在だ。
神に善悪はない。
悪神しかいない。
それが常識だ。
例にも漏れず、ゆきしろの国に居座る神は年に一度、子供を生贄に要求し、対価として大寒波を遠ざけていた。
だから他国の人々はその国のことをこう呼んでいた。
いけにえの国、と。
*
その地を一人の神が訪れた。
見かけは十代後半の少女。
帽子も被らない肩までの髪は、不自然にも雪が付着していない。
黒眼、黒髪はこの国では珍しくないが、逆にこの地を訪れる者ではそのなりは少なかった。
「それ」は各地を放浪していた。
「それ」は神にはよくある気まぐれで気分屋で、目的もなく旅をしていたが、今回のいけにえの国への到来は明確な理由があった。
*
内部も攻撃する大自然が外敵を阻む。
いけにえの国を囲む山脈を越えるのは自殺行為に他ならない。
北は完全に行き止まり、その先に人間の住む場所はない。
南には数本の通り道があり、そのどこにも関所があった。
慣れない雪道をのろのろと歩んできた「それ」の前に、国の衛兵が立ち塞がった。
「君、いやに軽装だな。よくここまで来れたものだ。……その恰好どこかの学生か?」
国の学生が来ているブレザーとスカートに似た衣装を見て、彼は
「まあそんな所だよ、と濁してもいいんだけど、まどろっこしいのは好きじゃないんだよね」
フレンドリーな口調で、「それ」はさも事も無げに言う。
「私は神だよ」
「…………何だと?」
「この国の神、『いけにえの神』マサキに会いたい。どこにいるか教えてくれる? そうすれば自分で会いに行くから」
別に一報を入れてくれても構わないけど。
「お前が神だというのか? はいそうですかとは、にわかには信じられん」
「まどろっこしいのは嫌いなんだって、ほら」
「それ」が手の平を周囲に茂る森林に向けると、瞬く間に数本の木が発火した。
火は勢いよく燃え盛り、赤に慣れない緑を襲い、大きく広がろうとする。
「!!??」
「あら? 思ったより乾いてたか。自然は大切にしないとね。はい」
気の抜けた声と共に炎はまた一瞬で収まり、静寂が戻る。
黒焦げた木々のぷすぷすという音が響く。
「ここでは
たいしてすまなそうな表情で「それ」はうそぶく。
明らかな超常の力。
「見ごたえのあるイリュージョンでしょ。これで信じてくれたかな?」
「あ、ああ……」
認めざるを得ない。
目の前にいる少女は人智を超えた存在だ。
いやたぶん「これ」は少女の形をしているだけなのだ。
この国の神も、もう何十年と若い男の皮を被った悪魔であった。
改めて神の異質さを実感し、衛兵は空恐ろしくなる。
「いったい他所の神が何の用ですか」
「別に敬語じゃなくていいよ」
私はたいした存在じゃないと自覚してる。
「あなたたちにとっても悪い話じゃない。私は子供が大好きでね。特に男の子がね。ここの神は子供を生贄にすると聞いて、駆け付けたのさ。許せない、殺してやるって。ね?いい話でしょ?」
「でも生贄がないと雪嵐がまた……」
「私が止めるよ。もちろん生贄も要求しない」
ならば、何を要求するのか。
繰り返しになるが、神は悪しかいないのだ。
「私は神だけど、悪だけど、できるだけ真っ当にありたいと思ってる。それは行動で証明する。マサキは殺す。雪はちゃんと抑える」
信じて。
そう訴えてきた「それ」の両の目は、澄んでいた。
まるでただの一人の少女のように。
衛兵はいくらかの
「よろしくたのむ、……」
「カナだよ」
「カナ様、……お願いします」
「任された。それでマサキに伝言はできるの?」
「ああ……、『奴』はいつも同じ酒場で昼間から飲んだくれている。店に電話しておく」
「じゃあよろしく。『さすらいの神、カナが来た』とよろしく伝えておいてね」
「それ」は手の平をひらひら振って、再び雪道をのろのろと進んでいく。
その姿は雪に慣れない、ただのひ弱な女学生にしか見えない。
その小奇麗な入れ物の中には、いったい何が詰まっているのだろう。
想像だけで衛兵は背筋が寒くなって、その考えを打ち切った。
「今日も冷えるな……。明日は、どうだろうな」
二人の神が出会う。
その結果、何が起こるのか。
何かが起こるのは必至。
悪意と暴威のぶつかりあいは、人々と大地に何かしらの傷跡を刻むだろう。
この国に「あの」異物を入れるべきではなかったかもしれない。
彼はほんの少しだけそう思った。
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