イラスト展『HELLO,VEHICLE!』公式オリジナル小説「倉橋ちひろの憧憬」 ~私とクルマの出会い~

宮下愚弟

第1話 私とクルマとまどかさん

 こだわりが人間をつくる。

 それがお父さんの口癖だった。

 だとしたらお父さん、もしかしたらあなたの娘は人間ではないのかもしれません……なんて。

 私、倉橋くらはしちひろは思うんです。


 休日の都内、訪れたパティスリーで満席だと謝られた。

 待てば入れると言ってもらえたが断ってしまった。

 ショックだった。なによりショックだったのは、楽しみにしていたビワのケーキが食べられないことではなく、あっさりと諦められた自分自身に対してだった。

 店員さんが申し訳なさそうに見送ってくれる。


「またお越しください……!」


 会釈を返してパティスリーをあとにする。

 でもたぶん、「また」は無いと思う。

 お店は悪くない。ちっとも。

 ただ、なんというか、私は私に軽く失望をした。

 SNSで気になったお店に足を運んだのに、待たないといけないと伝えられて真っ先に思ったのは「ならいいか」だった。

 私、こだわり、無さすぎ。

 お父さんの言葉にしたがえば、私は人間としてまだ未完成ということになる。そうなのかな。そうかも。

 でも、みんなそんなものでしょう? 違うのかな。

 せっかく電車を乗り継いで来たのに何をしているんだろうか。

 スマホを取り出して帰り道を調べる。帰り道って言っても、来た道を戻るだけだけど。

 ならどうして調べるのかって?

 昔っから道を覚えるのが苦手だった。それだけ。

 ……だって、行きと帰りだと見えてる景色が違うんだから同じ道とは思えないでしょ? 他の人はどうしているんだろうか。


「左折して……道沿いを10分か」


 そうだった、思い出した。

 歩き始めて空を見上げる。五月の、まだ梅雨を知らない空を、鳥が軽やかに飛んでいく。

 自然とため息が出た。


「いいなあ、楽しそうで」


 私はと言えば、最近はなんだか張り合いがない。趣味のスイーツ巡りへカメラを持って出かけたというのに。


「あー……写真撮るの忘れた……」


 せめてお店の外観くらいは収めておこうと思ったんだけどな。

 最近はずっとこんな感じ。

 スイーツ巡りやカメラだって好きだけれど、さっきの私を振り返ると、そこまでハマりきれていないらしい。

 趣味にまったく身が入らなくて、どこか物足りない。

 仕事はそこそこ順調なんだけど。新卒で入った会社も、もう四年目。やることを覚えてきて、出来ることが増えてきて。充実してると言ってもいい。

 でも私生活の方は、ね。


「張り合いないなぁ」


 特大のひとりごとが飛び出る。私、ひとりごと言い過ぎかな。大学入学のときに上京してから、ずっとこうだ。

 歩いているとだんだん汗ばんでくる。五月とはいえ、昼下がりの陽射しはそこそこ暑い。

 駅が遠い。駅が来てほしい。

 そんな風に念じても何かが変わるわけじゃない。しかたなく、街路樹の影に隠れて涼みながら歩く。

 電車は安くて便利だけど、点から点への移動しかできないのが玉にキズだ。とってもお世話になってますけども。通勤とかで。


「もうちょい自由だと嬉しいんだけどなあ」


 と、こぼした私の横を車が走り抜ける。

 ああ、クルマか。

 悪くはないけど……。


「乗らないなあ、自分では」


 免許はあるけれど、もう何年も運転していない。タクシーを使う機会だって稀なのに。

 そういえばお父さんはクルマいじりが趣味だったっけ。

 小さい頃は助手席に乗せてもらってたけど……あれはなんてクルマだったんだっけか。

 歩きながら往来を眺めていると目が留まる。

 路肩に停められた一台のクルマ。

 珍しい。二人乗りのオープンカーだった。

 目を惹く真っ黄色の車体は色褪せずに輝いているのに、どうしてだろう、なぜか懐かしい雰囲気もある。

 少なくとも現代っぽいクルマでないのは確かだった。

 こだわって選んだんだろうな。


「……なんか、いいなぁ」


 好きなものがあって。

 こだわりを持っていて──


「おねーさん、クルマ好きなんすか~?」


 突然、背後から話しかけられる。

 振り返ると女性がいた。

 女性はパッと笑ってみせる。

 子供みたいだ、というのが第一印象だった。天真爛漫な笑顔や、ダボっとしたオーバーオールと黄色い半袖シャツがそう感じさせているのだろう。

 白いニット帽を被り、小さくて可愛らしい丸眼鏡をかけているので、より幼くみえる。

 でも、耳たぶにバチバチに空いたピアスと、爪の先を彩るネイルから、子供ではないと分かる。

 彼女はにゅっと顔を近づけてくる。


「クルマ、見てたから。気になったのかなーって」

「え……えと……」

「わ、ごめんなさい! あたしったら名乗りもしなくて」


 拝むように頭を下げてくる彼女は、上目遣いでこちらを見てきて。


「あたし、まどかっていいます!」


 元気よくそう名乗る。


 それが、まどかさんとの出会いだった。

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