恋人屋:婚約破棄の仕返し?その案件引き受けます

大井町 鶴

恋人屋:婚約破棄の仕返し?その案件引き受けます

「君にぜひともこの件を引き受けて欲しいんだが……」

「その案件、ぜひ引き受けさせてもらいます!」


この会話がされる3ヶ月前、ジルの父は病気で倒れてしまった。ジルの父はサンドの町で、平民に人気の床屋を経営している。ジルの母は早くに病で亡くなり、ジルが母代わりとなってまだ幼い妹のネルや弟のアザルの面倒を見ていた。


(こんなに借金を抱えていたなんて……!)


ジルは赤茶色の髪の毛をかき上げながら積み重なる請求書を見ていた。父の店は人気だったが、古くなった店舗の改装をしようと業者を探してきてお金を支払ったのがことの始まりだ。


父の選んだ業者はいわゆる悪徳業者でパイプの継ぎ目から水が漏れたり、床に段差ができたりなどの問題が起きた。そのため、補修工事のための費用がかかり、みるみるうちに借金を抱えてしまったのだ。


父は、ショックからか突然倒れ、ジルが稼がねばならない状況になってしまった。妹や弟はまだ働くには小さすぎて無理はさせられない。食べさせていくことはもちろん、しっかりと勉強をさせて食べていくのに困らない知識をつけさせる必要もある。


加えて父の療養も兼ねた費用が必要となり、ジルは劇場でヘアメイクの仕事をしている収入だけでは足りなくなっていた。


劇場での仕事の合間に父の店の常連さんの髪を切って整えたりもしていたが、1人であれこれと全部はできない。どうしたものかと頭を抱えて思い切って劇場の同僚に相談すると、とある男爵を紹介してくれるというではないか。


「え、愛人とか私イヤなんだけど?」

「そうじゃないわよ。あなた、ウィッグつくりもしているじゃない?ランタ男爵ってハゲを気にしているのよね。そこで、腕の良い専任のウィッグつくりをしてくれる人が必要だってワケ。ピッタリじゃない」

「なるほど。それなら問題ないわ」


というわけで、トントン拍子に劇場の常連だったランタ男爵を紹介してもらい、ジルが要望に沿ってウィッグつくりをすることになった。ウィッグはかなりの高額で買ってもらえることになっている。


型取りから調整に加えてサービスで肩もみなどをしてあげていると、ランタ男爵はジルがハゲである秘密を知っていることもあり、段々と気を許して悩みごともジルに話すようになった。


「うちの娘の婚約者がうちより格上の子爵令息なんだけどさ、ちょっとイヤなヤツなんだよね。うちの娘とデートをほとんどしないしさ。あちらはうちの金回りの良さに目をつけて婚約を申しこんできたくせに。いくら政略結婚とは言っても、うちの可愛い娘がないがしろにされているのは許せないんだよねえ」

「お貴族様は大変ですねえ」


相談内容を聞きながらテキパキと調整を進めていくジルとの会話も気に入ったようで、ランタ男爵は結構プライベートなことを話していた。


そんなある日、ランタ男爵はジルの前に現れると、ガマンならないといった様子で一気に起きた事態についてジルに話し出した。


「聞いてくれ!うちの可愛いニイナにアイツは婚約破棄を突きつけた!エイア伯爵のイマイチな見た目の令嬢に乗り換えたんだよ!最低だろ!?」

「あのランタ男爵、落ち着いて下さい。えーと、ニイナお嬢様に婚約を申しこんでいた男が格上のイマイチ令嬢と婚約するために婚約破棄を突きつけたんですか?こちらに何の落ち度もないのに?」

「うちの娘に落ち度なんてあるもんか。ウソをでっち上げて婚約解消ではなく婚約破棄を突きつけたんだ!許しがたい!イヤ絶対に許せん!」


事情を詳しく聞けば、ジルも思わず怒ってしまう内容だった。今度、裏切った子爵令息とイマイチな伯爵令嬢との婚約お披露目パーティーに、ランタ男爵の娘ニイナも出席するように言われているのだとか。しかもニイナは言われもない嫌がらせをしたことにされているらしい。


「貴族社会はタテ社会だからね。基本的には嫌でもパーティーに出席せねばならん。病気だと言えばその場はどうにかなるだろう。だが、いつかは顔を出さなきゃならない状況は変わらない。そこでだ、君に頼みたいことがある」

「え、私に何を頼むのです?」

「君はウィッグつくりが得意だろ?特に男のウィッグつくりには長けている。そして、それに加えて君は彫刻のように整った容姿をしている。舞台俳優として十分やっていけるのではないかと思っていた」

「そこまで褒めていただいてありがとうございます。ですが、それとお嬢様の件とどう関係あるのでしょう?」

「まあ、聞き給え。君はきっと男物の短髪ウィッグを被ったらハンサム男子に見えるに違いない!」

「はい?」

「パーティーに娘の新しいボーイフレンドとして出てくれ!娘はとても美人なんだ。子爵令息の好みとは違ったようだが、自分の知らない男と娘がいれば悔しい思いもさせられるだろう。娘の今後の立場も回復してやれる!報酬は今つくってもらっている私のウィッグの5倍を支払おうじゃないか」


今、ランタ男爵のためにつくっているウィッグも相当な報酬をもらえる予定だが、その5倍といったら、慎ましく暮らせば何年分にもなる。これはジルにとって魅力的過ぎた。


そこで冒頭の会話に戻る。


「君にぜひともこの件を引き受けて欲しいんだが……」

「その案件、ぜひ引き受けさせてもらいます!」


ランタ男爵に引き合わされたニイナは華やな美人顔ではないが、控えめな凛とした雰囲気の美人だった。ヘアメイクによって美人顔が際立つタイプの顔だ。


「あなたが私の恋人役を務めてくれるの?」

「はい。私は女性ですが、劇場でヘアメイクを担当しており、役者達の演技も日々目にしています。ご期待に沿えるように努めさせていただきます」

「ありがとう……私のヘアメイクも担当してもらえるんですってね」

「お任せください!ではまず、恋人を演じるにあたり、ニイナお嬢様の好みの男性像について教えていただけますか?」


ジルはランタ男爵の屋敷に持参してきた男物のウィッグを並べて順番に被っては好みの男性像をヒアリングしていく。ニイナが選んだウィッグは金髪の短髪ウィッグで、王子様の王道イメージのような男性像を求めているらしい。


「こちらのウィッグですね。洗練された大人タイプと甘えん坊な母性くすぐるタイプどんなタイプが……」


そこからもニイナが求める恋人像を反映させるべく、細かい話し合いをしていった。打ち合わせが終わるとすでに夕食となる時間になっており、ジルは慌てた。


「ジルの家の事情は聞いているわ。馬車であなたを送るから大丈夫。料理や薬も持たせるわね」

「とてもありがたいですが、そこまでしていただくわけには……」

「あなたは私のために一生懸命、協力してくれているでしょう?だから気にしないでいいのよ」


ニイナは心もやさしいステキな令嬢だった。


(こんなステキな令嬢に難癖つけて婚約破棄するヤツなんて許せない)


「では、ご厚意をありがたく頂戴します!そのかわりお嬢様の名誉を回復するために全力で演じさせていただきます!」


温かい料理と共に家に帰宅すると、妹や弟が見たこともないような豪華な料理に目を輝かせた。父も驚いていたが、ウィッグつくりがうまくいってお貴族様に良くしてもらっているのだと伝えると、どうにか納得してくれた。


(さすがに男装して恋人役を務めるだなんて父さんには言えないわ)


ジルはランタ男爵を紹介してくれた劇場で振付担当をしている同僚にダンスを習い、パーティーで急遽、ダンスをすることになっても対応できるように備えた。


「前から思っていたけど、あなたさあヘアメイクよりも舞台俳優に向いているんじゃない?」

「そんなこと言われると嬉しい。実はさ、舞台俳優にも憧れていたんだよね。こんなカタチで俳優デビューするとは思わなかったけど」


事情を話している同僚から褒められて嬉しい気分になる。ヘアメイクの仕事も気に入っているジルは、ランタ男爵から頼まれたこの案件ならどちらも両方できてラッキーだなと思っていた。


さてそんなことをして過ごしているうちに、パーティーの日がやってきた。頭の中で何度もシミュレーションをし、舞台の袖から俳優達を勉強していたジルはランタ男爵家の屋敷に着くと、ニイナのヘアメイクを仕上げて自分も男性に見えるようにヘアメイクを仕上げていく。仕上がった姿を鏡の前で見ると、なかなかのイケメンぶりに自分で思わずウットリとしてしまった。


「あらステキ!今のあなたみたいな姿の男性が現れたらすぐにでも婚約したいわ」

「お褒めに預かり光栄です」


ニイナの手を取り口づける。ジルはニイナに男性姿の自分に慣れてもらうために用意が出来上がったら男性として振る舞うと決めていた。


「あら、照れちゃうわ……」


頬を赤らめてうつむくニイナの姿に思わず気を良くしたジルは張り切る。


より恋人らしく見えるようにニイナの腰に手を回し、会場へと向かう馬車に乗り込んだ。この日のためにジルは男らしい仕草を研究していたからスッカリ気分は男になり切っている。


(私って意外と没入型なのね。やり切れそうな気が満々!)


2人を乗せた馬車が滞りなく会場に着くと、華やかなヘアメイクされた美しいニイナを連れたジルがさっそうと歩いて行く。ジルは長身でスラリとしており姿勢が良く見目も良いので、ニイナと並ぶと洗練されたカップルに見えた。


歩くごとにざわめきが起きる。“あの令嬢、あんなにキレイだったのか?”なんて声や“あの人、なんてステキな男性を連れているの?”なんて声がヒソヒソ声が聞こえてきた。ジルがニイナの耳元でささやく。


「我々の姿は思った以上に効果を上げているようです」

「ジル、耳元でささやいたらくすぐったいわ」

「今は、ジルではありませんよ。“アーツ”とお呼びください」


耳元でささやき合う2人はアツアツのカップルに見える。そんな時、本日の主役である子爵令息のガイツとイマイチ伯爵令嬢のポシェルがやって来た。


「お前!、オレに婚約破棄されたばかりで何で男を連れてきているんだ!」

「あなた、ゴード様に隠れてその美しい男性と付き合っていたの!?」


ポシェルが“美しい男性”などと言ったものだから、隣にいたゴードは目をクワッと見開きアーツことジルににじり寄った。


「お前、誰なんだ!?ニイナにたぶらかされたのか!?」

「言いがかりはやめて下さい。僕は町で偶然、ニイナ様をお見かけして声をかけたのです。悲しそうにしてらっしゃったのでね。こんな美人を婚約破棄するなんてもったいない」


ニイナの腰に添えた手に力をいれて引き寄せる。ニイナの顔が赤くなった。


「ニイナもやたらとキレイになっているじゃないか!どうしてオレの前ではキレイにしなかったんだ!ワザとか!?」

「そうではありません。アーツと出会ってから、おのずとキレイなりたいと思ったまでですわ」

「なんだと!」


気色ばんで場の雰囲気を悪くするゴードに、招待されていた客達が騒ぎ始めた。伯爵家の執事が飛んでやって来てゴード達を連れて行くとやっと静かになる。


そのまま会場でアーツとしてニイナとダンスをして2人で話を楽しむと、まわりから段々と話しかけられ、ニイナも自然と笑顔がこぼれた。


(良かった。ニイナ様の笑顔を見たかったんだ)


ジルはニイナの歓談する姿を見守っていたが、ノドが乾きを感じて飲み物が無いかまわりを見渡した。飲食コーナーは離れた場所にあり、飲み物を飲むためにはニイナから離れることになってしまう。諦めようかと思った時に声をかけられた。


「良かったらこれをどうぞ」


声のした方を見ると、ゴードをニイナから奪ったイマイチ令嬢ことポシェルがグラスを持って側に立っている。飲み物を渡されたが、何が入っているか分からない物は飲めない。遠慮すると、ポシェルが残念そうにグラスの中身を飲んだ。


「毒など入っておりませんのに、そんなに警戒なさらないでも。確かに私はニイナ様から婚約者を奪って悪いことをしましたわ。でも、早まったと思って後悔していたんですの」


目の前のポシェルは悲しそうにグラスの中身を一気に飲み干すとフラつく。


「ご令嬢、大丈夫ですか?」


反射的にポシェルを抱き留めた。婚約者であるはずのゴードの姿はどこに行ったのか見当たらない。


「すみません。疲れたので少し部屋で休みたいの。連れて行ってもらえませんか?」

「僕がついていくのは問題があるでしょう。婚約者の方を探して参りますので」

「いえ、大丈夫。執事も問題無いと言っているでしょう?」


執事らしき男が側に寄って来ると、ゴードには伝えておくからお嬢様を頼むだなんて言ってくる。ニイナを見ると男性からも話しかけられており、邪魔するのが悪い気がした。


「では、お部屋前までお付き合いします」


ジルは気分悪そうにしているポシェルをとりあえず部屋まで連れて行って放り込んで来ればいいやという気持ちで、ポシェルの手を取ると言われるままに部屋の方へと向かう。


「すみません、急に具合が悪くなってしまって……」

「いえ……健康は大事ですから」


何と返したら良いか分からず適当な返しをしていると、いつの間にかポシェルにガッチリとホールドされてポシェルの部屋前に辿り着いていた。


「では、ここで」

「待ってください!1人でベッドまで行けないわ。今にも倒れそう!」


(フラフラして確かに具合悪そう。あのグラスにやっぱり何か入っていたんじゃ.......)


フラつくポシェルを放置するわけにもいかず、おそるおそる部屋の扉を開けて入ると奥の方にベッドが見えた。仕方なくポシェルを半ば抱えるようにしてベッドまで連れて行く。


「もう少しです。頑張って歩きましょう」

「あなたは美しいだけでなく、心もやさしいのですね」

「え?」


気付くと、ポシェルの腕がジルの首に巻きついておりベッドに押し倒された。そのまま馬乗りになってのしかかられる。


(お、重い。この令嬢、ボリュームが!)


まさか女性から押し倒されるとは思っていなかったジルは内心、慌てた。


(れ、冷静にならないと.......)


「ず、ずいぶんと積極的ですね。気分が悪いのでしょう?」

「気分が悪いのではなくて、気分がているだけですわ。あのワインに媚薬が入ってましたの。あなたを手に入れたくて」


ポシェルの言葉にジルはゾッとした。


(何考えているの、この令嬢は!)


このままポシェルに襲われるワケにはいかない。女だとバレてしまう。ジルはポシェルの手を掴むとささやいた。


「魅力的な令嬢ならばこんな風に迫られなくてもこちらからその気になるものですよ」


ポシェルが期待したように見上げてくる姿に内心身震いしたが、何とか大人しくなったポシェルを自分からどかせるとベッドに座らせた。


「まずはお水でも飲みましょう。自分を大切にするべきだ」

「まあ」


普通に諫めたつもりだったが、ポシェルにはジルの言動が紳士的に映ったようだ。またジリジリとジルに近寄って来てヘッドボードまで追いつめられてしまう。


(うわーこの令嬢、メチャクチャ積極的!これはもう逃げるしかない!扉より窓の方が近いな。ここは2階だし飛び降りようか.......)


追い詰められ逃げるルートを思案していると、扉がいきなりバン!と開いた。


「貴様!オレの婚約者に何しているんだ!!」


怒りに染まったゴードが剣を持って立っている。


(剣!?冗談じゃない!殺されちゃう!)


命の危険を感じてすぐにポシェルを突き飛ばすと、窓を開けて庭に飛び降りる。幸い、高さがあまりなかったのでケガすることもなく無事、地面に着地できた。


「おい!貴様ー!」

「ゴード様やめて!騒ぎになったらあなたも恥をかくことになるのよ!」


意外と頭が回るらしいポシェルの言葉でゴードは叫ぶのを止めた。逃げるなら今だ!とばかりにジルは庭を走って行く。


(あー、なんてことに!オプション費用もらいたいところだわ!)


庭を走っていると、突然、剣を下げた男に捕えられた。


「おい、お前!ここで何をしている?ポシェルお嬢様の部屋から飛び降りて来たのを見たぞ!」

「じゃあ、このまま見逃してくれよ。婚約者のいるお嬢様にムリヤリ誘惑されたんだから」

「誘惑だと?……あのお嬢様ならあり得るが、イヤ、いかん!」


男はジルの手を掴むともう片方の手で肩を掴んで拘束しようとする。


(うわー!ど、どうすれば!)


バタバタと暴れて抵抗する。捕まったら計画はパーだし、どんな目に合うか分からない。


「こら、暴れるな!おい」


男がジルを抑えようとして身体を掴む。あ、と思った時には遅かった。手が胸に触れている。サラシを巻いているが、掴まれたらさすがに感触でバレてしまう。


「……ん? お前もしかして……女?」

「放してよ!」


そのまま走り去ろうとするが、男の力は強く腕を掴まれると近くにあるガゼボに連れて行かれた。


「どういうわけで男装してここにいる?それになぜお嬢様の部屋から飛び降りて来ることになるんだ?」


腕を掴まれたまま、逃げることもできない状況に仕方なく事情を話すことになった。


「......ああ、これでニイナ様やランタ男爵の恨みを晴らすのはもちろん、私の生活も成り立たなくなる……」


しょぼくれるジルを見て、使用人らしい男は口を開いた。


「そうでもない。オレが黙っていればいいんだろう?」

「え?」

「そう驚くな。お嬢様の男好きは有名なんだ。主の娘ではあるが、これがまたイケメンを見るとすぐに手を出そうとする……。オレにも手を出そうとするんだから始末に負えない」

「はあ」

「今度、婚約を結んだ相手はお嬢様にはなかなかお似合いだ。あの気性が荒そうな男ならお嬢様をしてくれるだろう」

「......ということは、私のことを見逃してくれると?」

「ああ。女だと分からず、その……悪かった」


ガバッと頭を下げる男は赤くなっている。何者なのかについて聞けば、この屋敷に最近、勤めだしたとか。へバリンという名で自分と同じ平民らしい。


「いえ……特殊な状況だったから。それよりもニイナ様が1人だから早く戻らないと」

「オレが会場まで近道を案内する」

「お願いします!」


急ぎ、へバリンの案内で会場に戻ると、ニイナはまだ楽しくおしゃべりしている最中だった。ホッと胸をなでおろす。


だが、あのゴードやポシェルがいつ戻って来るか分からない中、のんびりと会場で過ごすわけにはいかない。ニイナに急いで近づいた。


「ニイナ、帰ろう。失礼、ニイナは僕の恋人だから」


強引に連れ出すと、ニイナのまわりを取り囲んでいた令嬢達や令息達から“絵になる”、“オレも今度マネしてみよう”なんて声が聞こえた。


(とりあえず、怪しまれずに済んだみたい)


ニイナの肩を抱くと出口へと向かう。ポシェル達が姿を現すこともなく、無事に馬車寄せまで来ると屋敷へと戻った。


翌日、劇場でヘアメイクをしていると人に呼ばれていると言われて、ハテ?とジルは思いながら楽屋の出入り口に向かうと、ニイナとへバリンが立っていた。


「えーと、お嬢様とへバリンさんがどうして一緒に?」

「私はお礼を改めて言いたくて。へバリンさんはあなたに会いたいってうちまで訪ねて来たの」

「分かったような、分からないような……」

「とりあえず、へバリンさんと話してみて」


そういうと、ニイナは馬車に乗り込んで手を振って行ってしまった。


「えーと、全く話が見えないのですが……」

「突然、訪ねてきてすまない。仕事はいつ終わる?」

「今、最後の人のヘアメイクが終わったところだから片付けたら上がれます」

「じゃあ、待ってる」


ワケが分からず楽屋へと引き返したジルだったが、昼間に改めて見たへバリンの見目の良さに驚いていた。昨夜は月あかりもあまりなく、顔がよく分からなかった。会場まで送ってくれた時にチラリと顔を見たが、焦っていてしっかりと顔を確認できなかったのだ。


(あの人、あんなにカッコ良かったっけ?とうか……あの人は私の男装姿しか見ていないのに、普通に私のこと見ていたわね)


疑問に思いつつメイク道具を片付け挨拶をして楽屋を出ると、約束した通りへバリンが待っていた。


「荷物、重そうだな。いつも1人でそんなに抱えているのか?」

「商売道具だから。置きっぱなしにするわけにはいかなくて」


へバリンはジルの手からメイク道具を取り上げると、軽々と持ってくれる。


「あ、ありがとう。昨日のことも」

「ああ。あそこのカフェに入らないか?」


へバリンに促されて落ち着いた雰囲気のカフェに入る。お茶を頼むと、へバリンがケーキも食べようと注文してくれた。


「それで今日、君を訪ねて来た理由なんだが」

「ゴードと言う人に連れて来るように命令されたんですか?」

「ああ、それは言われているが無視していいだろう。それより、あの仕事、もうしないでくれないか?」

「え?ニイナお嬢様とランタ男爵には感謝されましたが?」


昨晩、屋敷に戻るとランタ男爵やニイナからとても感謝されたのだ。ニイナは色々な令息から口説かれたのだとか。近々、任務の報酬を銀行に振り込んでくれる保証もされている。


「君の過程状況はニイナ様に教えていただいた。オレも平民出身だから生きて行くことに困る状況は分かる。だが、あんなことをしてまで、君が頑張る必要は無いだろう」

「まあ、昨日の報酬分でしばらくは暮らせそうですが」

「金が無くなったらまた引き受けるのか?」

「いえ、それはもう……リスクありますから。だけど、家族にはきちんとした生活をさせてあげたいんです」

「では、オレと結婚しないか?」

「はい?」

「唐突だが、オレは君の家族を大切にする気持ちと度胸が気に入った。女性の姿の君もとてもキレイで美しい」


‟美しい”と言われて、ジルはドキドキする。


「お気持ちはとても嬉しいですが、その、あまりにも急ですし、何と返事をしたら良いか……」

「時間だけが問題ならば、これからオレを知っていけばいい」

「いえ、あなたは伯爵家で働いているのですよね?私が何かの拍子にそちらのお嬢様や婚約者と顔を合わせたらメイクをしていたとはいえ、勘付かれてしまうかもしれませんし」

「なるほど。だが、そうはならない。ポシェルの男癖の悪さを知ったゴードが始終、ポシェルを見張っているからほかのことに構うどころじゃないしな。ポシェルはこんなハズじゃなかったと嘆いているらしいぞ」

「少しは復讐できたってことですかね?」

「ああ。君のしたことは効果あったというわけだ」

「よかった」

「ちなみに、君はなぜオレがいきなりニイナ様の所に訪ねて行って話ができたと思う?」

「あ、言われてみればそうですね。ランタ男爵がフランクな方だからですか?」

「いや、それはオレの出生に関係ある。オレはエイア伯爵家の婚外子なんだ。母はメイドをしていた平民だが、一応オレには貴族の血が流れている。エイア伯爵家では男子がいないからオレを跡取りとして引き取るという話もあってあの屋敷にしばらくいたんだ」

「なら私はあなたに結婚を申しこまれる立場では無いと思いますが……」

「オレは今まで母と共に放って置かれていた。今更、家を継げだなんて言われても困る。だが、あの家はオレを必要としていて今まで放って置いた分、金を与えてまでオレとつながりを求めたいらしい」

「なぜ、急に放っていたのにあなたを必要とするのです?」

「よくある話だ。本妻が愛人の子を憎んだからだ。父は母とオレを気にしてたまに金を持ってやってきたが、本妻の制裁を恐れて本格的には手を差し伸べはしなかった。だが、母が病気になるとやっと父が動いたのさ」

「なるほど。なのに、あなたは家を継がないのですか?」

「本妻にいつ毒殺されるかと怯えて暮らすのはゴメンだね。オレは家を継がないで離れて暮らすと伝えたよ」

「そうなのですか……」

「悲しそうにしないでくれ。金はたくさんもらっている。オレは家族思いの君と家庭を築きたい」


手をギュッと握られてジルの心臓は早鐘を打つ。


「私には養わなくてはならない家族がいますがそれでもいいのですか?」

「ああ。むしろ、家族が多い方が嬉しいね」


家族も歓迎してくれるならばと、ジルは家にヘバリンを連れて行き、父や妹、弟に紹介した。出会った経緯を話すと父に叱られたが、同時に謝られた。


「ジルが幸せになってくれるのは嬉しいことだ。娘を宜しくお願いいたします」

「お父さん、妹さん、弟さんも一緒に暮らしてほしいのですが。お店も続けてもらって全く構いません。オレも剣の技術があるので仕事をしようと思います」

「お金があるのに働こうとは感心ですな」

「子供には働く姿を見せた方がいいと思っています。オレの母さんは援助をたまに受けていたとはいえ、働きながらオレを育ててくれましたから。ありがたみが分かるんです」


話を聞いたジルの父は涙ぐんだ。ジルもヘバリンの話にウルッとする。


というわけで、ジルとへバリンはささやかな結婚式を挙げた後もそれぞれ働きながら幸せな時間を過ごしている。妹や弟も教育を受けることができ、幸せそうだ。


「ねえ、へバリンのお母様とうちの父、やたらと仲良くない?」

「ああ、君の父の床屋さんを手伝ってるからね」

「それもそうだけどなんて言うか......恋人のような感じと言うか」

「う~ん、そんなのもアリだろう」

「......おおらかね。まあ私も父とお母様には幸せになってもらいたいけど。......幸せと言ったらね、実はもう1つ話があるんだけど」

「なに?」

「家族が増えそうよ」


へバリンは目を見開くとジルを抱きしめた。お腹にさっそく語りかけているへバリンの姿にジルはじんわりと心が温かくなる。


自分の家族を助けるために、人の困りごとの手助けをしたらこんなカタチで幸せが手に入るなんてと、ジルは手に入れた幸せを嚙み締めたのだった。

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恋人屋:婚約破棄の仕返し?その案件引き受けます 大井町 鶴 @kakitekisuto

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