聖女はゲス王子から逃げることを決意した

大井町 鶴

聖女はゲス王子から逃げることを決意した

「いい香りだ。こちらはどんな香りがする?」


私の首元に顔をうずめて身体を嗅ぐ男が目の前にいる。男は私の胸元に視線をやっており、今にも触れようとしている。気持ち悪い。身の毛がよだつ。私は今、ゲス王子にこの身を狙われていた。


「おやめ下さい。ほかの者に見られます...!」

「人払いをしているから心配無い」

「それでも、王太子妃様に知られれば大変なことになります!」

「妃のことは言うな。私はあの者が好きにはなれん。気位ばかり高くてワガママだ」

「だからと言って私にこのようなことをするのは違うかと...」

「私に意見するのか?聖女は王家が守るからこそ価値も上がる。私のモノにして何が悪い。能力が失われるわけではないのだ。側室になれば実家にもっと金を援助してやるぞ」


援助...私は貧乏子爵家の娘だ。金銭感覚の無い両親のせいで我が家は借金まみれ。生活に苦しんでいた。そんな時に国が行っている聖女判定で私が聖女として選ばれたのだ。


両親はとても喜んだ。なぜなら、聖女になることで国から多大な援助金が得られるから。私の家の借金も返すことができるし、何なら私が側室になればもっとお金がもらえる…らしい。


らしいというのは、表立って側室を持つのは王太子妃様が許さないからだ。隣国の王女である彼女の逆鱗に触れれば、私なんてすぐに処分されてしまうだろう。今までも、王太子妃のまわりでは若い女性が死ぬ事件が起きていて、私は恐ろしくてたまらなかった。


今まではそれとなく私が普段暮らす教会の神父様が守ってくれていたけど、こう城を訪問する度に迫られては防ぐのも難しくなってきている。


ちなみに、城に呼ばれるのは治療ではなくて主に“癒し”というヒーリング効果が得られる光魔法を王族の方々に施術するため。戦いにも出ない彼等にはそもそも大した治療も必要の無いのだ。たまに治療らしきことがあっても肩こり解消程度。


王太子が首元にうずめた顔を離して私の唇に移動しているのが分かる。私に触れている王太子の金髪がうっとうしい。


「本当におやめになって下さい。お願いです」

「そんなことを言われて止める者などいない。誘っているようだ」


(全然分かって下さらない!扉のところには神父様が控えて下さってるはず!)


私は、側のテーブルに置かれていたティーカップを払い除けた。床に落ちたティーカップが派手に割れる。


途端に扉がノックされて、神父様の声がした。


「物が割れるような音がしましたが、いかがなされましたでしょう?」


ティーカップを払い落とした私を見て王太子は忌々しそうに私を見たが、私から身を離すと答えた。


「何でもない。聖女は体調を崩したようだ。城で静養させることにする」


従者と共に部屋に入って来た神父様は、王太子の言葉に驚いて言った。


「聖女は教会で神に祈りを捧げなければなりませんので」

「祈るだけならば城でもできるだろう?無理して教会に戻る方が負担になる。私は一度、仕事に戻るがまた今夜、聖女の様子を見に来る。安静にしているがいい」


そう言うと、王太子は部屋を出て行った。


神父様と2人になると、神父様は私をとても心配してくれた。


「聖女クラリスよ、あなたをこれ以上守るのは難しい。王太子殿下はあなたを何としても自分のものになさるつもりだ。これは神への冒涜ほかならない」

「神父様、ここでそんなことを言っては危険です......私は決意しました。私はここから逃げることにしますわ」

「…あの魔法を使おうと?ここには多くの使用人や兵士がいるのですぞ」

「ならば、その使用人のフリをしましょう。私は一時的とはいえ、幻覚魔法が使えます。フードを被ってしまえば私だと認識することも難しいでしょう」

「時間が経てばすぐに知られてしまいますぞ」

「もう決めたのです。私はやすやすと王太子殿下のモノになんてなりませんわ。神父様にはご迷惑をおかけしてしまいますが」

「私は老い先が短い。気になされますな」


そんな会話がなされた後、私達は速やかに行動を起こすことにした。身の危険を感じるようになってからいつも携帯するようにしていた幻覚効果のある香を焚く。香を焚けば私がこの部屋にいなくてもすぐに私がいないことを認識しづらくなるだろう。着てきたフードを目深に被ると、自身にも幻覚魔法をかけて神父様の後に続いて部屋の外に出た。


使用人や兵士と行き交うけれど、フードを被った私は幻覚魔法のせいで神父様の付き人か使用人だとしか認識されていない。面白いくらい順調に城を抜け出すことができた。


(幻覚魔法があって助かったわ!まさか教会秘伝の魔法が代々の聖女に受け継がれていたなんてね)


聖女を狙う悪いヤツはいつの時代にもいた。教会はそんな聖女を守るために独自の魔法を代々の聖女に伝えていたのだ。ただ、あくまで緊急的に使うものなので、一時的な効果しか得られない。もう少ししたら私がいなくなったことを知られてしまうだろう。


城を出て正門からしばらく離れた所まで来ると、私は神父様に向き直った。


「神父様、ここでお別れしましょう。ここからは自分でどうにかいたしますわ」

「どうやって暮らしていくつもりです?あなたには今、私が持っているお金を渡しても数日しか暮らせない」

「考えがあるのです。でも、それを伝えてしまったらあなたも危なくなります。あなたは私に脅されて逃亡を手伝ったことにして下さい」

「そんなことは…もし、あなたが逃げ延びたとして実家のことはどうなさいます?取り潰されてしまうかもしれませんぞ」

「私を身売りして喜んでいる家族に未練はありません。相応の罰を受けてもらいます」


今までは家のことを考えて聖女になり親孝行してきた。だけど、王太子が私を気に入っていることが分かると、側室になるように言ってきたのだ。家のために尽くしてきたのにこれ以上犠牲になれというのか。もともとは散財した彼等が悪い。身勝手さを許せなかった。


「分かりました。あなたの行く末を祈っております」

「神父様、色々とありがとうございました。お元気で」


私は神父様と別れると街中に紛れ込んだ。念のため、後ろを振り返って追手がいないかどうかを確認する。まだ、気づかれてはいないようだ。私は安心して馴染みの裁縫屋に向かうことにした。


「コナおばさん、こんにちは!元気にしてた?」

「あら、クーラじゃないか!久しぶりだね、今までどうしていたんだい?」


裁縫屋のおかみであるコナさんが私の手を握ってくれた。私も手を握り合って再会を喜ぶ。ここの裁縫屋さんへは子爵令嬢時代から身分を偽って平民の少女クーラとして通っていたのだ。貧乏子爵家の生活を助けるために、私の作った刺繍作品を売っていた。


「えーとね、その…両親が亡くなってしまって色々と整理していたの。それで、自分でどうにか身を立てていかなくちゃいけなくなって。本格的に働きたいんだけど、ここで雇ってもらえないかな?刺繍以外のことも手伝うからどうにかお願い!」


ここで雇ってもらえなかったら私はどうやって生きて行けばいいか正直分からない。手を組んで祈るように頼みこむ。


「いいよ!丁度ね、大口の仕事を頼まれていて人手が足りなかったんだよ。あんたがいれば刺繍の仕事も受けられるし。ぜひ、ここで働いて力になっておくれ」

「ありがとう!私、必ず役に立つから!…それでね、家も借金のカタにとられてしまって、住むところも無くなってしまったの。住み込みで働けるかな?」

「苦労したんだね。いいよ、あんたがいてくれればあたしも楽しいからね」


ウソみたいに簡単に就職先と住居が無事に確保できた。ウソをついたのは心苦しかったけど、背に腹は代えられない。その分、役に立つことで恩返ししていこうと思う。


コナおばさんには息子さんがいて今は巣立ったから部屋が空いているそうだ。部屋に入ってみると、男の人の部屋だからか余計なものはなくてさっぱりとした部屋だった。


シーツや枕カバーを新しいものに整えて一息つくと、先ほどまでの慌ただしい逃亡劇が思い出された。


(今頃、お城に私がいないことが分かって騒ぎになっているかもしれないな。王太子殿下は怒り狂ってるかも…)


きっと怒った王太子殿下は聖女である私を探すために兵士を使って城下を探させるだろう。絶対に捕まるわけにはいかない。


(コナおばさんに表に出ないで働けるように頼んでみよう)


夕食時にコナおばさんに表ではなく裏で作業に集中して働きたいと言うと、すんなりOKが出た。


「あんた、器量がいいからホントは店に出た方がいいと思うけど、作業に集中してもらえるならこちらも助かるしいいよ」


コナおばさんの了解を得た私は、裏で裁縫のお手伝いをしたり、ハンカチに刺繍をする仕事をしたりして日々を過ごすことになった。ハンカチの刺繍の評判が良くなると、徐々にワンピースやドレスの刺繍も頼まれるようになって私もやりがいを感じた。


「それにしても、あんた若いのに休みの日もほとんど家から出ないね。健康に良く無いよ」

「そ、そうかしら?私、作業に夢中になると家にこもるタイプだから…」

「あんた、地味だねぇ。ああそう、地味と言えば!」


コナおばさんが何かを思い出したようだ。


「あたしに息子がいるって話しただろ?今度、休みをもらえたからうちに戻って来るんだよ。息子がいる間、あんたの使っている部屋を使わせたいから、あんたはあたしと同じ部屋を使ってもらえるかい?」

「え、息子さんが?では、部屋をキレイにしておくね。いつ帰る予定なの?」

「今日だよ。すっかり忘れた」

「え、今日!?」


いきなり今日、息子さんが帰宅する日だと聞いて慌てた。だって時間はもう昼だ。休みの日ならもう戻って来てもおかしくない。


「ただいま」

太く低い声が聞こえた。玄関扉の方を見ると、190センチ以上はあろうかというガタイのいい男性が立っていた。


「おや、もう帰って来たのかい」

「…その人は?」

「クーラだよ。うちに住み込みで働いてもらっているんだよ。あんたの部屋を使ってもらっていたからこれから準備しようって話していたところだよ」

「オレの部屋を…?」


巨体の男性は私が自分の部屋を使っていたと聞いて眉間にシワを寄せている。怒ってる??


「あの、すみません。勝手に使わせてもらってしまって。すぐに用意しますから」

「いや…その驚いただけだ」


私は急いで部屋の片づけをしに2階に上がった。私物を移動し、シーツや枕カバーを替えて整えていると、扉のところに巨体の息子さんが立っていた。


「手伝うことはあるか?追い出すようで申し訳ない」

「いいえ、私がコナおばさんに頼んで置いてもらったので。すみません、勝手に使わせてもらって」

「いや、いい。君に頼る者がいないと母から聞いた」

「ええ…」


私は天涯孤独の設定になっている。ウソをついていて心苦しい。後で神様に懺悔しなくては。


「あの、お名前は何とおっしゃるのですか?」

「オレはハイラスという。普段は城の騎士をしている」

「騎士!?」


ハイラスが騎士だと聞いて驚いてしまう。そう言えば、こんなにガタイの良い人に適任な職業だ。


「騎士が何か?」

「い、いえ。恵まれた体格をお持ちですからさぞ活躍されているのでしょうね」

「平民から騎士になれたのも、この体格のおかげだろう」


(こんな近くに騎士がいるなんて…)


私が聖女として任命されてから、私は国の宝という位置付けから人目には触れないようにいつもショールを被らされていた。だから、私の顔を知っているのは王族と神父様くらい。聖女に選ばれたことは秘密にするように言われている。それでもこちらとしては身構えてしまう。


「オレは図体もデカいし、子供や女性から怖がられる。怖くないか?」


ハイラスは日に焼けて筋肉隆々の厳ついボディの持ち主だ。寡黙な感じで表情が険しいから、確かにこの人ににらまれたら怖いだろう。だけど、よく見ると鼻筋が通っているし、整ってる顔と言える。あの金髪に青い目の見た目だけは整っているゲス王子と比べてみたら、ゴツいぐらい気にならない。


「ちょっと大きくてビックリしましたけど、もう慣れましたから」


彼が騎士と聞いて、ふと城の状態が気になった。彼が騎士ならば情報を聞くことができるだろうか。


「普段はお城で騎士をしているんですよね?お城の様子ってどんな感じなんです?」

「普段は鍛錬が主だが、最近は人探しだな」

「人探し?」

「ああ」


人探しって聖女を探しているということだろうか。だとしたら、目の前のこの人は私を探しているということ?顔を知られていないから私に気付いてはいないようだけど、非常にマズイ。


「誰を探しているのですか?」

「言うことはできない」

「守秘義務がありますものね」


そんな会話をした後は、私はいつものように刺繍や裁縫の仕事をしながら、家の家事も手伝いをして過ごした。ハイラス様は実家に帰って来ているからか、近所に買い物に行くくらいで、ほとんど家で過ごしていた。


ハイラス様が買い物に行くと、コナおばさんや私にお菓子のお土産を買ってきてくれるのが嬉しかった。私はハイラス様から人探しを命じられていると聞いて、いつも以上に外出しないようにしていたのでなおさらだ。


3日間のハイラス様の休みが終わる夜、ささやかながらごちそうを作ってパーティーをした。再び城に戻る息子をコナおばさんが寂しそうに見ている。そんな母を見てハイラス様はコナおばさんの背中をさすっていた。いい親子だなと思った。


寝ようと思って部屋に戻ろうとすると、ハイラスから裏庭に誘われた。こんな時間に…と思ったけど、彼が誠実な人だとはもう分かっていたから付き合うことにした。


「明日は城に戻る」

「ええ。そうですね」

「…母を支えてくれてありがたく思う」

「いえ、私こそ支えてもらっています」

「オレは…」

「はい、何でしょう?」


ハイラス様は何かを言いたげだったけど、それ以上言葉を発することなく黙ったままだ。


「…明日は早くに発つ。息災でいてくれ」

「はい。ハイラス様も気を付けてくださいね」

「ああ」


翌日の朝早くにコナおばさんと私はハイラス様を見送った。彼が昨夜、何を私に言いたかったのかは分からない。もしかして、数日一緒に過ごす間に私が聖女だと気づいたのだろうか。証拠が無くて決定的に問い詰められなかったとか…。気にはなったがいつも通り仕事に勤しんだ。


時は流れ、私が逃亡してから早くも半年が経った。あれからハイラス様は1度こちらに戻ってきたぐらいで特にこれといったことは無かった。やはり何か言いたげだったが、私を捕まえようとする様子は無かったので、安心していた。


逃亡から半年経つと、私は新たな情報を知りたくなり、神父様の所を訪ねようか迷っていた。ハイラス様の話では最近は人探しの任務を解かれたようだ。神父様を尋ねるには丁度いいタイミングだ。借りたお金も返したい。


私は家を出ると、フードを被って幻覚魔法を自分にかけた。念のためメガネもかける。


教会は街の中央にある。コナおばさんのお店は街の中でも下町の方にあり、普段は平民しか住んでいない場所だ。教会は聖女を住まわせるにふさわしい荘厳な作りで、街のシンボルとなっている。教会のまわりには王家御用達のお店などが立ち並び、キケンな地帯ではあった。


(半年ぶりだけど、あまり変わらないわね)


教会に通う人の一般人のフリをして懐かしい教会に足を踏み入れた。


(神父様は…無事だったかしら)


神父様と別れる時にお金と共に十字架のネックレスも渡されていた。これを密かに渡せば神父様と会えることになっている。


懺悔室に入りカーテンを閉めると、しばらくして神父側の小部屋に人が入るのを感じた。私が静かに神父様の十字架のネックレスを差し出すと、ハッとした様子で人が出て行った。再び、小部屋に人が入ってくると懐かしい声が聞こえた。


「聖女クラリス、無事でいてくれましたか。不自由していませんか?」

「ええ。ある場所に落ち着くことができました。最近の状況を知りたくて訪ねて来ました。後、お借りしたお金を返しに」


私がお金の入った袋を差し出すと、すぐに突き返された。


「それは差し上げたものです。本来ならば教会があなたをしっかりと守らねばならないところ、あなたを守れなかった。ずっと後悔していたのです」

「神父様…今のところ私は大丈夫です。状況はどんな感じでしょう?」

「あの後、王太子殿下はすぐにここに来て私を問い詰めました。だが、私が呆けているように装い続けたことで諦めてくれたようです。あなたを随分と探していたようだが、最近は街でも兵士を見かけなくなりました」

「それはひとまず安心しました。実家はどうなりましたか?」

「ご実家はそのままです。いつかあなたが戻ると思い、取り潰されずにいます」

「両親はともかく弟がいたからずっと心苦しかったのです。巻き込んでしまうことになると思って」

「弟君はあなたを売ったご両親を憎んでいらっしゃるようです。こちらの教会にも1ヶ月に1回は通われていますよ」

「立派になって…自分でどうにかしなくてはと思っているのね」


まだ幼さが残る弟だったが、しっかりと成長してくれているようで嬉しい。“弟に会いたい”と感傷に浸っていると、懺悔室に慌ただしい足音が響いた。


「神父様!大変です。こちらに騎士が向かってきます!密告者がいたのでしょう」


緊急事態に私と神父様が懺悔室から急いで出た。神父様は私を裏手に誘導すると、騎士達の対処をするために入り口に向かう。教会の入口からはこちらに向かってくる騎乗した騎士達が見えた。


(捕まるわけにはいかないわ!)


フードを被り、幻覚魔法を唱える。すれ違う神父達や使用人達はこんなところに一般者が入り込むはずがないのに違和感なくスルーしていく。


勝手口から裏手に出ると、驚いたことに王太子が立っていた。


「クラリス、随分と長いこと逃げていたな」


フードを被り幻覚魔法を唱えているのに、王太子は私が分かるようだ。幻覚魔法を阻害する魔道具を身に付けているに違いない。


「王太子殿下…」

「なぜ、私の元から逃げた?」


王太子は私に近づいて来ると私の被っていたフードを剥いだ。以前と同じように舐め回すように私を見つめてくる。


「変わらず美しいな...お前がいなくなって気付いたことがある。私はお前を愛していたんだと。妃が嫌でお前を相手にしていたわけじゃない」


王太子の手が伸びてきて私を引き寄せた。きつく抱きしめられたと思った瞬間、私の手元には手錠がはめられていた。


「もう逃がさない。無理にでも城に連れ帰る。妃とは別に離宮に住まわせるから安心するといい」


目の前が真っ暗になった。


(冗談じゃない。鳥かごに入れられた生活なんて!)


逃げ出そうにも王太子が私の腰にガッチリと手を回していて、自由に動けない。


「何を恐れる?お前は私の愛を知らないだけだ。後でゆっくりと教えてやる。その前に、私は少し神父に用事がある。先に城に戻っているといい。ちなみに、手錠には魔力を封じる力がある。幻覚魔法は使えないぞ」


王太子は騎士を呼んで私を引き渡した。


「丁重に連れて行け。帰ったら綺麗に清めて私のために着飾らせておくように」


そう言うと、王太子は教会に入って行った。神父様は今度こそは助からないのではと心配になる。


(ごめんなさい。私が来たばっかりに…)


私は騎士に促されて、裏手に待機させていた馬車の方へと連れて行かれた。


(コナおばさんにもう会えない。仕事もすごくやりがいがあって楽しかったのに)


聖女の仕事は主に王家のために力を使い祈ることだけだった。コナおばさんのところでの労働は、スキルが上がればもっと仕事も任せてもらえたし感謝もしてもらえた。働く楽しさを知ったのだ。よっぽど聖女よりも人の役に立っていると思えた。


(口下手なハイラス様とも会えなくなるのね…)


寡黙な彼であるが、お菓子を買ってきてくれたり、城で勤務している時も美味しいと評判のお茶を送ってくれたりした。


平民の彼には殿下の側にいる騎士にはなれないだろうが、この場の末端に付き従っているかもしれない。


(彼にももう1度会いたかったな...)


城に行けば離宮に閉じ込められて生活をすることになるのだろう。籠の中に閉じ込められた鳥のように。


諦めて馬車に乗り込もうとすると、それは起きた。


巨体がものすごい勢いで剣を振りながら向かってきたのだ。立ち向かってくる騎士を弾き飛ばしている。魔法も駆使しているようだ。


「クラリス!逃げろ!」


目の前に現れた巨体...ハイラス様は私に逃げるように叫んだ。私の手首にはめられた手錠を力技で破壊する。すごい怪力だ。


「クラリス、すぐ認識魔法を唱えろ!そしてこれを持って逃げろ!」


ハイラス様はこちらに向かってくる騎士をなぎ倒しながら私に短い指示をする。


(なぜ、私の名前を知っているの?それに逃げろとは?)


色々な疑問が浮かぶが聞く余裕もなく、言われるがままに認識魔法を唱えた。途端に騎士達は私がどこにいるのか見失う。きっと兵士の1人にしか見えないのだろう。


私は騎士の間を足早に縫って逃げ出した。教会を離れると全力で駆けて3つほど通りを抜けた路地に入ったところでハイラス様に渡された包みを開いて中身を確認した。中には手紙と魔道具が入っていた。


手紙には『ルヘル国へ迎え。川岸の橋に馬車を用意してある。魔道具は守りの腕輪だから身につけていけ』とだけ書いてあった。


わけが分からなかったが、私を救ってくれたハイラス様の言葉に従うことにした。彼はたった1人で私を救い出してくれたのだ。ハイラス様は私を悪いようにはしないと思えた。


教会から川岸の橋まで私の足で20分ほどかかったが、守りの腕輪の効果もあってか無事にたどり着くことができた。


橋の手前には手紙に書かれていたように馬車が停められており、近づくと御者が近づいて来た。私の腕につけられた守りの腕輪を確認すると、速やかに馬車に乗せてくれる。そのまま一路、南にあるルヘル国に向かっているようだった。


馬車は一度も休むことなくその日のうちにどうやったのかは分からないが、無事に検問を通り抜け、国境を越えてルヘル国へとたどり着いた。そのまま馬車は進み続け、大きな屋敷まで来るとようやく止まった。御者が私を馬車から降ろしてくれる。


「本日はお疲れでしょうからゆっくりとお休み下さい」

「あの、ハイラス様は?あの後はどうなったのでしょう?」

「それにつきましては後日、改めてご説明致します」


そう言うと後は何も言わず、メイドに私の世話を命じていなくなってしまった。メイドは、お風呂からお肌のお手入れまで全て完璧に仕上げてくれた。貧乏な実家ではメイドも少なく、自分でお手入れすることが多かったからちょっと緊張してしまった。寝る時はフカフカのベッドだ。いきなり知らない所で眠るなんてできないと思ったが、横たわると疲れですぐにグッスリ眠ってしまった。


翌日、目を覚ますとメイドが髪の毛から服装まで全て整えてくれた。準備が整うと扉をノックする音が聞こえて扉が開いた。


すると驚きの人物が立っていた。


「コナおばさん!」

「驚かれましたか?」


いつもと話し方が異なり、見た目も小ぎれいに整えられている。まるで別人のようだった。


「私はコハンナといいます。あなたを守る役目をしておりました」

「私を守る?」

「あなたは聖女となる前、ケガをした者の治療をしたことがありましたね?私はあれを見てあなたが聖女に選ばれると確信し、ハイラス様を呼び寄せたのです」

「ハイラス様はあなたの息子では無いのですか?」

「違います。幼い頃からお仕えはしていましたが」


私は膝から崩れ落ちそうになった。彼女やハイラス様がルヘル国の人だったなんて…私は自分の意思で平民のクーラとして開拓したお店のつもりでいた。それが、まさかルヘル国のスパイと知らぬ間につながっていたなんて。


「あなたがあちらの色ボケ王太子に狙われているのを知っておりましたから、あなたを逃がすための準備をしていました。神父殿から十字架を渡されたでしょう?あれはあなたが私の店に真っすぐ来るように導く魔道具なのです。普通の人はあの場所をすぐに見つけられません。ちなみに、あなたが私のお店を見つけたのも、やはり私が魔道具であなたを引き寄せたからです」

「私は自分で見つけたお店だと思っていました...神父様はあなた達とつながっていたのですか?」

「はい。神父殿は私達の協力者です。あなたを守ろうとしていましたので利害が一致しました」

「私がお店に向かうと何故、分かったのです?」

「あなたにはあの場所以外に行くところは無かったはずです。簡単です」


全ては手のひらで転がされていたのだ。


「あなたが呼び寄せたハイラス様は一体誰なのです?あなたの上司のようですが?」

「それについては直接、ご本人からお聞きください」


後ろを振り返ると、ハイラス様が立っていた。あちこちに切り傷ができている。あれだけの騎士を相手に立ち回ったのだ。無事にここにたどり着いただけでも奇跡に近い。


「傷が…治療します!」

「朝食はまだだろう?その後にお願いしたい」


ハイラス様の言葉で朝食をとることになった。相変わらず寡黙だ。私を逃がそうとした時に私を“クラリス”と呼んだ人と同じ人だと思えない。食事する様子を見ていると、お店で見ていたハイラス様と違って上品な所作で食事をしていた。一体何者なのだろう。身分が高い人物であることは予想がついているが…。


「そろそろ食事は済んだか?改めて君に話したい」


食事が済むと、ハイラス様に連れられてお庭の見える吹き抜けの部屋に案内された。向かい合ってソファに腰を下ろす。


「まずは...私を助けて頂きましてありがとうございました。宜しければ、詳細を教えて頂けますか?」

「君が無事こちらに着き安心した。どこから話すべきだろうか...」

「あの...あなたはルヘル国のスパイだったのですよね?」

「ああ。聖女を連れ出すのが役目だった」

「連れ出す?何故あのタイミングになったのです?」

「それは…君の信頼を得るまで時間が欲しかったからだ」

「信頼?」

「ああ」


続きの説明を待つが言葉が出てくる様子がない。口下手なハイラス様と話していると真相にたどり着くまで日が暮れそうだ。ここは私からもっと聞き出していくべきだろう。


「何故、私の信頼を得る必要が?私をこちらで積極的に働かせるためですか?」

「そうでもあるがそうではない」


私の頭の中にハテナが浮かぶ。どういうことだろう。


「あのハイラス様…あなたが立場ある方であるのは薄々勘付いています。まずはあなた自ら潜入していた理由をお聞かせ下さい」

「聖女は他国も欲する存在だ。だから、オレも自らの目で聖女の持つ力を見てみたかった」

「そうですか。では、次にあなたが私を裏庭に呼び出した時のことですが、あの時、あなたは私に何を伝えようとしたのです?」

「こちらの国で君を保護したいということと…」

「保護したいということと?」


するとハイラス様は突然、私の前にひざまずいた。そして、私の手をおもむろに取る。


「オレの妻になってくれ」

「…...はい?妻?」

「ああ。オレは君を好ましく想っている」

「あの、お気持ちは嬉しいのですが、私は本当のあなたを知りません。お名前もハイラス様ではないのでしょう?」

「本当の名は…もう少し伏せておきたい」

「お名前も教えて頂けない方の妻にはなれません」


私がピシャリとプロポーズを断ると、ハイラス様はショックを受けたようで固まっていた。名前も教えてもらえない人のプロポーズを受けると思ったのだろうか。それにプロポーズを決意させるほどコミュニケーションをとったつもりもない。


「私を助けて頂いたことには本当に感謝しております。あんな無茶をして私を助けるなんてなかなかできることではありません。残ったあなたを思うと胸がつぶれる思いでした」

「あのゲス王子に奪われると思ったら身体が勝手に動いていた」

「私のためにそんな無茶をしないで下さい...」


私は改めて深々と感謝の気持ちを込めてお辞儀をする。そして、ハイラス様を見て微笑むと、ハイラス様も微笑んでくれた。その笑顔は少しぎこちなかったけど、いつもより穏やかな表情で悪くなかった。


ほかにも色々と聞きたかったけど、なかなか話が進まず、後回しになっていた傷の手当をすることになった。ハイラス様の身体のいたるところにできた傷に私が手を当てていくと、ハイラス様は恥ずかしそうだった。


(ハイラス様、意外と照れ屋なのね)


ハイラス様は、私をルヘル国に連れて来た理由を聖女だからと言ったわりには、私をこちらの国の宮殿に連行するのでもなく、屋敷でのんびりと過ごすように言うだけだった。


ハイラス様も用事で外に出る以外はほどんとこの屋敷で過ごしていたので、私はハイラス様の今まで知らなかったこともいくつか発見することができた。


気になっていた祖国のことは、コナおばさん改めコハンナさんから聞くことができた。王太子は私がルヘル国に奪われたと知ると、聖女探しを止め一切を口にしなくなったらしい。聖女が他国に奪われるなどあっては国の信頼に関わるからだ。実家もそのまま存続しており、傍目には何も無かったように取り繕っているらしい。


それにしても、相変わらず私はハイラス様の本当の名前を教えてもらえていない。何故、教えてくれないのか。ずっと疑問を抱いている。


(今日は天気が良いわね…)


天気が良いので、今日はキレイに整備された庭園を歩いていた。ミツバチが花々を飛

び回り、忙しそうに蜜を集めている。


(平和だわ…見つかるのを恐れて外にもなるべく出ないようにしていた頃がウソみたい)


日陰になったベンチに座ると、ウトウトとしてきた。少しだけと思って目を閉じる。


しばらく経ってまどろみから目が覚めると、驚くことに隣にハイラス様が座っていた。しかも私は寄りかかって眠っていたらしい。


「目が覚めたか?」

「し、失礼しました。一気に目が覚めましたわ」

「君の眠っている顔が…とても可愛らしかった」

「ハ、ハイラス様ったら!恥ずかしいです」

「オレの気持ちを伝えねば、君に振り向いてもらえないだろうと思った」

「これからも私に気持ちを伝えてくれるのですか?」

「そうしたい」

「ハイラス様、私ここで生活するうちにハイラス様の可愛らしいところをいくつか発見しましたよ」

「オレが可愛い!?」

「はい。朝方の眠そうなお顔ですとか、私が褒めると照れたお顔をされるところとか」

「それは可愛いというのか?」

「可愛いと言われてお嫌でしたか?好ましいという意味で言ったのですが...ほかにもふとした優しさとか、私の話をたくさん聴いて下さるところがいいなと思っています」

「クラリス…その改めて伝えたいことがある」


そう言うと、ハイラス様はつい先日したように再び私の前にひざまずき、私の手を取った。


「オレと結婚してくれ」

「......はい」


今度はもう迷わなかった。命をかけて私を守ってくれた人を私も守りたいと思ったから。一緒に過ごすうちに、“私がこの口下手な方を支えなくちゃ”と思ったのも大きい。


「本当か?オレの妻になってくれるのか?」

「はい。それよりも夫婦になるのです。いい加減お名前を教えて下さいませんか?」

「ああ。今こそ言う。オレはルヘル国第二王子のエンタルという」

「…...はい?王子様なんですか?」

「そうだ。クラリスは王子から無理やり関係を迫られただろう?だからオレが王子と分かれば受け入れてくれないのではと思った」

「確かに最初はそう思ったかもしれませんが…まさかルヘル国の王子様だったなんて…」


今度はプロポーズが上手くいってハイラス様改め、エンタル様は非常に安心したようだ。表情がやわらかくなって私に自然な笑みを見せてくれている。


「あの、これからは大事なことはきちんと伝えてくださいね?」

「ああ、これからはクラリスがオレの考えを代弁してくれるから安心だ」

「そういうことではありません!!」


この国でのんびりと過ごそうと考えていたが、どうやらやることがたくさんありそうだなとクラリスは思ったのだった。

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