分身体が消えるまで

網場

第1話 死地

 昼間でも薄暗い深き森の中、1人の少年が必死に走り続けている。

 その背後からはオオカミの群れが迫ってきている。数は8体。

 

 狼から必死に逃げている少年はまだ10代前半ほどで、今日は薬草採取のために森を訪れていた。

 腰には剣を下げている。新人の冒険者が好んで使う量産品である。

 鞄の中には今日採取したばかりの薬草が詰まっている。

 

 彼は普段1人でこの森に入ることはない。しかし、今日はいつも組んでいる友達が体調を崩しているため、やむを得ず1人で森に入り、その帰り道で不幸にも狼の群れに襲われたのだ。

 依頼の分の薬草だけでなく友達の分も集めようとして普段よりも奥地まで入り込んだのも災いした。

 

 ――どうしてこんな事に……普段この場所に狼はいないはずなのに


 狼は新鮮な餌を逃がすまいと猛然と追いかけてくる。少年との距離は詰まる一方だった。

 少年は走りながら心の中で悪態をつくと、追いかけてくる狼の群れに向かって左手を向け、大声で叫んだ。

 

 「火球ファイアボール!」

 少年の手のひらから炎の玉が放たれた。 彼が使える唯一の攻撃魔法である。

 


 炎は狼の群れへ一直線に飛んでいくと、群れのなかの1体に命中した。

 その狼は短い悲鳴をあげると、焼け焦げて真っ黒になりそのまま倒れ込んだ。


 しかし今の攻撃で魔力の大半を消費してしまった。

 再び火球を使うにはしばらく時間が必要だ。

 少年は、今の攻撃で残りの狼が戦意を失い追跡をやめることに一縷いちるの望みをかけていた。

 

 残りの7体の狼は仲間が炎にまかれて黒焦げになったのを見て尻込みしたものの、数秒怯んだだけで再び少年を追いかけてきた。


 ――やっぱりだめか……

 少年は息を切らしながら全力で走り続けているが、森を抜けるにはまだ距離がある。

 狼の足からはとても逃げ切れそうにない。


 やがて狼は5メートルほどの距離まで迫ってきた。


 ――だめだ、追い付かれる。戦うしかない。

 

 少年は逃げ切ることを諦め、やむを得ず迎えうつことにした。

 1人で残り7匹の狼を倒すのは無謀としか思えなかった。しかし逃げ切れない以上、生きて帰るためには戦って勝つ以外になかった。


 急停止しながら剣の柄に右手をかけ、後方を振り替えると同時に剣を抜いた。

 

 間髪入れず、先頭の狼が弾丸のように飛びかかってくる。

 開いた大口から覗く牙と両前足の爪に思わず目を奪われそうになった。

 

 しかし、少年は横に身をかわして飛びかかりを回避すると、すれ違いざまに狼の首をめがけて剣を振りぬいた。


 ザシュッ

 

 確かに手応えを感じた。剣は狼の頚をとらえ、深く切り裂いていた。

 首を深く切られた狼は着地できず、首から多量の血を吹き出しながら倒れ込んだ。

 しかし、少年はその様子を見る暇はなかった。

 

 次の狼がすでに飛び掛かってきていたためだ。

 剣を振った勢いで体勢を崩していた少年は、時間差で襲い掛かってきた狼に対応できなかった。

 狼はそのまま少年の右足に思い切り噛みついた。


 「うっ」

 狼の牙は分厚い素材のズボンを容易に貫通し、足に深々と食い込んでいた。

 激痛に襲われ意識が遠退きそうになった。


 しかし少年は踏みとどまり、足に嚙みついている狼に左手を向けると再び叫んだ。

「火球!」


 手のひらから、小さななんとも頼りない炎が放たれた。短時間で2発目の火球を放ったため魔力の回復が追い付かず、小さな炎しか出せなかったのだ。


 しかし、この小さな火球は一定の役目を果たした。

 火球は狼の顔面の上半部を直撃し、目を焼かれた狼は思わず口を足から離したのである。

 その隙を見逃さずに思い切り剣を振り下ろした。脳天から鼻にかけて叩き切られた狼はそのまま絶命した。


 これで3体倒した。

 ただ、短時間で2度も魔法を使ったため魔力を一気に消費したうえ、咬まれた右足からはどくどくと出血が続いている。早く止血しないと命が危ない。


 しかし、止血をするだけの暇はなかった。

 まだ目の前に5体の狼が残っている。

 少年は息を荒くし、足の痛みに顔を歪めながら残った狼に剣を向けて戦闘態勢をとった。

 

 狼は火球を警戒したためか、すぐには攻めてこなかった。

 実際にはもう魔力を使い果たしており、しばらく火球は使えない状態だった。

 さらに足の痛みと出血で意識が朦朧としてきており、剣を振るう気力も残っていなかった。いや、それどころか少し気を抜けばいまにも気絶してしまいそうなほどだった。


 ――だめだ、立っているだけでやっとだ……。


 残った狼達は不気味な唸り声を上げながらジリジリと距離をつめてくる。 

 

 万事休す。

 既に少年の思考はうまく働かなくなっていたが、それでもこの状況が絶望的であることは理解できていた。


  と、その時――


「うっ?」 

 目がくらむような閃光があたり一帯を包みこんだと思うと、続けて轟音が響いた。


 

――何だろう……雷でも落ちたのかな?


 少年は眩しさから一瞬目が見えなくなっていた。

 視力が戻ったころには驚くような光景が目の前にあった。


 5体のうち4体の狼が元の姿がわからないほど真っ黒焦げになり横たわっていたのだ。


――狼がやられてる!?一体何が……


 4体はそのままピクリとも動かなかった。ただ鼻をつくような肉が焼焦げる匂いと、煙を吹き出していた。

 

 残った1体の狼は、しばらく混乱した様子できょろきょろと変わり果てた姿になった仲間を伺っていたが、やがてキャンキャンと悲鳴をあげながら背中を向けて逃げ出した。


 少年は狼に気を取られていたが、背後から何かの気配を感じ振り返った。

 

 すると、少し離れたところに人影が立っているのが見えた。

 

 その者の外見は典型的な魔法使いだった。

 三角帽子を目深にかぶっており顔は見えなかった。黒褐色のローブを羽織はおり、手には小綺麗な装飾品のついた杖を持っている。


 ――さっきのは雷魔法?あの人がやってくれたのか?

 

「――――」

 魔法使いは杖を逃げた狼に向けて構えると、小声で何か呟いた。

 内容は聞き取れなかったが、魔法の詠唱のようだった。すると次の瞬間、杖から再びさきほどと同じ目が眩むような閃光が放たれた。


 閃光は一瞬にして逃げる狼を捉えると、あたりに轟音と狼の断末魔が短く響いた。

 少年は思わず腕で目を覆い視線を反らしたが、視線を戻すと、逃げた狼も他の個体と同様に黒焦げになっていた。

 おそらくすでに絶命しているだろう。

 狼は突然現れた魔法使いによりあっという間に全滅してしまったのだ。



 少年は朦朧もうろうとした頭で、かろうじて考えた。

 ――僕は助かったのか?


 魔法使いは狼が全滅したことを確信すると、少年の方を向いて近づいてきた。

 

 

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