【36】ギア
「続きましてはロット4!
貴族風の身なりをした人間たちでごった返す、魔王城の大広間。ステージ上のテーブルには金の鳥かごがあり、白い竜が閉じ込められていた。
タキシード姿の男が耳障りなほど声を張り上げ、群衆を煽り続ける。
「五百万です! いかがでしょう? 現在、ご婦人から五百万が出ております! 他いらっしゃらないでしょうか! 五百万べノン! 五百万べノン! それでは落札いたしましょう!」
男がガベルを叩いた。
同時に、我慢の限界に達した私は、大広間から退出しようとする。
「──どこへ行く、エリーゼ?」
待ち伏せたていたかのように、フォルトレットが外の回廊から歩いて来た。
「建国パーティーはまだ始まったばかりだ。持ち場を離れられては困るな」
「あんたもウロウロしてるじゃない」
「私の担当は城全域だ。ゆえに貴族用の競売場も私の持ち場で相違ない。とにかく配置につけ。今こうしている間も、レジスタンスが攻めてくるかもしれないんだ」
「……分かったわよ」
渋々、私は会場に入り直し、すぐ傍の壁際に寄っかかる。
「何か不満でも?」
フォルトレットが私の隣に立つ。
「逆にあんたは何も感じないの? 生き物が売り物にされてるのよ? 品種改良なんてこともされて……あんな小さな翼じゃ、ろくに空も飛べないわ」
「……」
「それに、競売品の中にはエルフ族やサキュバス族の少女もいるみたいじゃない? 本日の目玉商品だって、あのタキシードが言ってた。本当……最低よ」
「悪いがオークションに関するクレームは、ハンターギルドにしてくれ。魔族奴隷は全て彼らが狩ってきたものだからな」
「主催者はあんたでしょ? 狂ってるわね。こいつらもあんたも」
「君……土壇場でレジスタンスに寝返ったりしないよな?」
「そうね。少なくともムギを保護するまでは味方よ」
会場の冷めやらぬ盛り上がりを眺めつつ、フォルトレットは嫌味ったらしく言ってくる。
「君は、魔族に身内を殺されたり、食われたりといった経験がないのだろう。だから、魔族のような下等生物に感情移入できるんだ」
「……」
フォルトレットは腕を組み、私と同じく壁にもたれる。
「私は大陸最西端に位置する小さな村の生まれでな。父は農夫、母は魔法使いだった。村の人達も皆気さくで、今思えばあの頃が最も幸せな時期だったと思う。だが、そんなのあっという間に潰えたよ。たった一晩で村は炎の海に飲まれたんだ。家族と過ごした家も、父の畑も、母と魔法の修練を積んだ森も……何もかも魔族に焼き尽くされた」
「……」
「命からがら逃げ延びた私が村に戻ったら、もはやそこは村と呼べるような場所ではなくなっていた。血生臭く、灰と焦げた何かが散らばるだけの荒れ地に変わり果てていた。村人達は皆、魔族に食い殺されたらしい。私は家族の死体を見つけることすらできなかった」
こちらに顔を向けた彼の青い瞳からは、どこまでも強く固い意思を感じた。
「昨今、平和ボケのバカどもが魔族との共存を主張しているようだが……本当、冗談じゃない。人間と魔族の対立に平和的解決はありえない。どちらかが全滅するか、白旗を上げて相手に隷属するか……それ以外の結末は決してない」
つい私は鼻で笑ってしまう。五百年前から何も変わっていない人間の戯言に、心底呆れ返ったのだ。
「馬鹿馬鹿しい。あんたが魔族を殺せば、今度は魔族があんたを殺しに来るわ。復讐の先にあるのは復讐よ?」
すると、今度はフォルトレットが失笑する。
「何がおかしいの?」
「失礼……ただ言葉足らずだったと反省した」
「は?」
「確かに、私は憎しみに燃えている。と言ってもそれは、魔族を敵視する動機の一つに過ぎない。最も優先すべき動機は他に──」
フォルトレットが何かを言いかけたその時、身の毛がよだつような寒気を覚えた。私はこの感覚を知っている。
「これって……」
突如、公国から遥か南方にて、途轍もない量の魔力が出現した。レジスタンスかと思ったが違う。これは、ラヴィニア達の魔力量を遥かに凌駕している。
周辺にかけていた感知魔法を、一旦魔力の発生源へと集中させた。
やはりそうだ。
複数の生物を混ぜ合わせてできた、違和感満載の魔力反応……あれはエラーコードだ。
「……」
オークション会場はそれでもなお沸いている。遠方での異常事態など知る由もないようだ。
「あー気にしなくていいぞ」
「え?」
フォルトレットが南向きの窓に目を向ける。
「君、今の魔力に気づいただろう? それは私の使い魔のものだ。あまりに狂暴だから南の樹海で放し飼いしている。きっと縄張りに魔獣でも立ち入ってきたのだろう」
「使い魔……あんたの……」
何言ってるのこいつ?
「驚くのも無理はない。あれの魔力を感知すれば誰でもそうなる。だが安心しろ。私の言うことだけは聞くからな」
「……違うわ」
「ん?」
「どうして、あんたがエラーコードと繋がってるのよ……?」
こちらに向き直るフォルトレットに、私はいつでも魔法を放てるよう手をかざす。
「答えなさい……ヴェノムギアの正体はあんたなの?」
「……」
フォルトレットは首を傾げ、大きく目を見開いた。吸い込まれるかのような不気味な目だった。
だが、彼はすぐに口角を上げ、嬉しそうに話し出すのだった。
「何だ。君も“エージェント”だったのか。そうかそうか。通りで強いわけだ」
「……は?」
「私もだ。私も“ギア”の“エージェント”だ。ヴェノムギア様に仕えている、世界の執行人だ」
「……」
フォルトレットは笑みを浮かべながら、一歩前に出てくる。
「ち、近づくんじゃないわよ!」
「どうした? なぜ興奮している?」
「ギア? エージェント? あんたの言ってること、何一つ分からないわ!」
「……」
フォルトレットは眉を顰め、視線をずらす。
「……話が嚙み合っていないような」
彼は訝しげに、手帳のような物を開いた。魔法で召喚したらしいが、なぜか全く反応できなかった。
「ああ。エージェントではなくとも、
瞬間、フォルトレットが足元に魔法陣を出し、周囲の景色が変わった。
城にあるどこかの一室に飛んだらしい。薄暗いが、金の刺繡が入った赤い絨毯や、屋根付きの大きなベッドが目に入った。
まただ。フォルトレットの魔法にまた反応できなかった。
そして、彼は手帳に指をさし、なぞるように動かす。
「ムギ、というのは麦嶋勇のことか。そして、君は邪神エリザベータ。そういえば、麦嶋はムゥから生還し、邪神と共に行動を共にしているんだったな」
「あんたは一体……?」
「……」
属性魔法で攻撃しようとするが、なぜか魔法陣が展開できない。
そうこうしているうちに、私はベッドに押し倒され、馬乗りになった彼に首を絞められる。
「あがっ!」
「ゲームに関してはヴェノムギア様から聞いた。
「う……うぁ……」
「問題は、神である君を物理的な方法で殺せるか、ということだな」
どうして? 魔法が使えない。魔力は練れるのに、魔法陣が組もうとするとすぐ壊れてしまう。
「君は属性魔法が得意らしいな? 伝説では全属性に適性があるとか」
「あ……」
「大層なことだが、それでは私に遠く及ばない。無属性魔法を極めた私にはな」
首を絞めても殺せないと悟ると、彼は手を離し、灰色の魔法陣を展開する。すると、胸部に風穴を空けられた。空間魔法の一種だろう。彼は魔法を連発し、次々と私の体を削っていく。
「血肉はあるんだな」
「うっ……あ、ああっ……!」
「魔法とは元来、不可能を可能にする、自由で美しいものだ。にもかかわらず、属性魔法は才能で全て決まってしまう。私はそんな属性魔法が嫌いだ」
「うぐっ……」
「しかし、無属性魔法は理論と技術さえ身につければ、等級は上昇するし、汎用性も高くなる。これこそ魔法の真髄だとは思わないか?」
ベッドが鮮血で染まった頃、頭を消し飛ばされた。
「無属性魔法なら、魔法陣錬成を阻害する魔法なんてのも作れる。そして、その発動を相手に気取られないような小細工もできる。邪神も、魔法が使えなければ人以下だな」
自然と私の頭部は、吹き出した大量の血液と共に治癒していく。時が戻るかのように、完全に元通りになっていった。
「やはり神は特別か。生物の常識が通用しない。私たち人間とは違う理にいるらしい」
彼はベッドから降りて、服の皺を直す。
また何か魔法を発動された。金色の鎖が無数に現れ、私はベッド上で磔にされたかのように拘束されてしまう。
「少々、状況が込み入ってきたが、今優先すべきはラヴィニアの討伐。そこは依然変わりない。君は後回しだ。怪物の異能で殺せれば楽だが……どうだろうな」
フォルトレットは部屋の扉に手をかけ立ち止まる。
「あぁそうだ。もし麦嶋勇が生存していた場合、私は迷わず彼も殺す。君さえ封じ込めておけば
その瞬間、私は膨大な魔力を練り上げて、床に赤い術式を組んでいく。術式の崩壊を凌ぐ速度で、強引に魔法陣を組み上げようとする。
魔法の軌道を捻じ曲げられようと構わない。炎魔法で一帯を燃やし、気温を上げて蒸し焼きにしてやる。
「馬鹿な……こいつ無理やり!?」
崩壊の速度がさらに上がった。フォルトレットが例の阻害魔法を重ね掛けしたらしい。それなら、こっちも速度を上げるまでだ。
だが、奴の指先から突然光の弾が飛んできて、私の右目を抉り飛ばした。光速に近い、凄まじい弾速の属性魔法だった。
目はすぐ回復するが、今のわずかな隙に、阻害魔法をさらにかけられてしまった。半分ほど組み上がっていた私の魔法陣が完全に消滅する。
「全く悪あがきもいいところだ……」
「でも、今ので大分魔力を消費したんじゃない? あの阻害魔法、一日にそんな何度も使える魔法じゃないはずよ」
「ふっ、だから何だ? このあと私がラヴィニアに負けるとでも言いたいのか? 舐めるなよ邪神」
「……」
まずい。このままだと、仮にムギが無事でも殺されてしまう。あいつがフォルトレットに勝てるわけがない。
「ムギに手を出したら、ただじゃおかないわ……!」
「今の君に何ができる? それに、自分より弱い魔法使いの言うことは聞けないな」
部屋を出て行こうとするフォルトレットに私は必死に懇願する。
「待って……お願いだから彼を殺さないで!」
フォルトレットは不敵な笑みを浮かべるのみで、扉の閉まる音だけが返ってくる。
「ムギ……」
暗がりの中で、己の無力さとヴェノムギアへの怒りに打ち震えながらも、私はただ彼の無事を祈ることしかできなかった。
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