カナタからの手紙

アソビのココロ

第1話

「あらあら、どうしたんですか? 古い手紙ですの?」

「ああ」


 確かに古い手紙だ。

 人生も終わりが近いからと、書棚を整理していたら出てきたもの。 

 妻ハンナが不思議に思ったようだ。

 私信なんて人に見せるものじゃないからな。

 書斎でもなく、広間で読んでいたことを不思議に思ったのだろう。


「理由があるんだ。君にも関係のある相手だから」

「どなたですの?」

「カナタからの手紙さ。ハンナも興味あるだろうと思って」

「まあ!」


 ハンナが目を見開く。


「まだ取ってあったのですか?」

「まあね。僕にとっては大事なものなんだ」


 カナタは僕達の共通の知人だ。

 いや、知人と言っていいのかどうか。

 僕がまだ幼かった時期、心の一部を占めていた存在ではあった。


「カナタですか。懐かしいですねえ」


 僕イーデンはボイエット子爵家の嫡男で。

 隣領のローズ男爵家に連なるハンナとは年も近いこともあって仲もよく、早くから婚約者同士だった。


 カナタは平民の女の子だ。

 ハンナの家の使用人の子と聞いていた。

 何故そういう経緯になったかは覚えていないが、カナタはハンナに手紙を託し、僕に寄越してくれるようになったのだ。

 ハンナもよく手紙をくれたけど、カナタの方が数は多かったんじゃないかな。


「男爵家領の山とか川のことばかり書いてあるのではなくて?」

「ハハッ、その通りだね」


 カナタの手紙は僕にとって刺激的だった。

 平民だけに、野山を駆け回ることが多かったらしい。

 いつも魚がどうの木の実がどうのということが書いてあった。

 羨ましかったなあ。

 ボイエット子爵家の嫡男であったため好き勝手できない自分の身を嘆き、ローズ男爵家領の豊かな自然に思いを馳せた。


 もちろんハンナの心温まる手紙も嬉しかった。

 ただやはり当時は僕も子供だったから。

 興味の対象が自然の探索にあったことは否めない。


「あなたはローズ男爵家領にもよく遊びに来てくださったわね」

「ああ、楽しい思い出だ」

「カナタに会いたくて?」

「そういう側面も確かにあったね」


 僕はカナタに会ったことがない。

 もっともカナタは平民だ。

 僕が男爵家に遊びに行くということは、当主の男爵様に挨拶したり婚約者かつ当主の姪であるハンナと親睦を深めることを意味した。

 優先順位を考えればカナタなど後回しだということは、子供だった僕にもわかった。


 そうこうしている内に僕もハンナも一〇歳となる。

 王都にある王立貴族学校入学の年だ。

 貴族学校通学には結構な金がかかる。

 ハンナくらいの身分だと、資格はあってもあえて入学しない者は多い。


 ただハンナは僕の婚約者として社交も期待されていたから、ボイエット子爵家からの援助もあり、一緒に貴族学校に通うことになった。

 嬉しかった。

 自然にカナタとは縁遠くなった……。


「これ、カナタからの最後の手紙なんだ」

「まあ」

「ハンナをよろしく、という意味のことが書いてある」

「でしょうね」


 僕にとってカナタは、幼い頃の謎の知人という位置づけではあるのだが。


「あなたは気付いていらっしゃったのでしょう?」

「何に?」

「意地悪ね」

「ハハッ」


 要するにハンナとカナタは同一人物なのだ。

 ハンナの手紙には書けないじゃじゃ馬な側面を、カナタの名の手紙で僕に寄越していた。


「ハンナとカナタで筆跡が違うのは何故なんだい? 誰かに代筆させていたのかい?」

「実はわたし、左手でも字を書けるんですの」


 えっ?

 長年連れ添っていても知らないことはあるものだ。

 ハンナがそんな技を持っていたとは。


「いやあ、一本取られた」

「あなたはどこでわたしとカナタが一人だとわかったの?」

「最初は全然わからなかったさ。だけど……」


 初めて感じた違和感は、ハンナとカナタの書式が同じだということだった。

 行の開け方とか署名の位置とか。

 むしろ違うのは筆跡だけだった。


 その内ハンナでなければ知り得ないことをカナタが、カナタの行動をハンナが書くことがあり、疑問に思った。


「決定的だったのは熱量だね」

「熱量、ですの?」

「ハンナが僕を思う熱量と、カナタが僕を思う熱量が同じ。カナタに会ったことがないのにだよ? これはハンナとカナタが同一人物じゃないと、説明がつかないから」


 要するにハンナは僕とたくさん文通をしたかったんだ。

 お転婆な内容だったらたくさん書けるのに、貴族の嫡男の僕の婚約者の手紙の内容としては相応しくなかった。

 僕に嫌われてしまうと思ったのかもしれない。

 そこでカナタという平民の擬似人格を作り出し、思う様書き綴ることにした。


 互いに王都住みになっていつでも会えるようになると、文通の必要性は失われた。

 自然探索にうつつを抜かす年齢でもなくなった。

 だからカナタからの手紙も自然消滅したんだ。


「ずっと心残りだったの。あなたがカナタのことをどう思っているかというのは」

「そうかい? ちょっと意外だね」

「騙しているみたいでしょう? あなたがわかっていたと今日知れて、何かスッキリしたわ」


 もう子爵位を息子に譲って一〇年以上だ。

 のんびりした隠居生活に入ってしばらく経つ。

 ものを減らそうかと整理していたら、ちょうどカナタの手紙が出てきたから。


 ハンナが気にしていたのなら、もう少し早く始末をつけるべきだったな。

 悪いことをした。


「何にせよ、ハンナの気が晴れたのならよかった」

「あなたに一つ、質問があるんですよ」

「何だい?」


 ハンナがいたずらっ子みたいな顔をする。

 ほとんど見た記憶のない表情だな。

 カナタが実在していたら、こんな顔をよく見せる少女だったかもしれない。


「あなたはハンナとカナタ、どちらが好きでした?」

「僕が愛していたのは君だよ」

「まあ、ずるいんですから」


 意味がない話だ。

 だってハンナもカナタも君なんだから。


「ずっと愛してる」


 僕の瞳に映っている微笑みはハンナのものだろうか、カナタのものだろうか?

 どちらも君だ。

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