第4話 エミリア・エヴァット
「ふう、疲れた……」
気付いたらもう夜だった。
色々とごたごたしていると時間はあっという間に過ぎてしまっていた。
「……そう言えば、今日はわたしの誕生日だったわね」
ヒルダとしての記憶がじわじわとよみがえってくる。
そうだった。今日は誕生日会だった。
……でも、わたしのせいで台無しになってしまったんだっけ。
その時、部屋のドアが控え目にノックされた。
「……? 誰かしら?」
「あの、お姉様? エミリアです」
ドアの向こうから、控え目な可愛らしい声が聞こえた。
エミリア。
その名前を聞いた途端、わたしは思わずベッドの上から飛び降りていた。
慌ててドアを開ける。
すると、そこにびっくりした顔の美少女が立っていた。
「お、お姉様? どうしたんですか、そんなに慌てて……?」
「……」
「あの、お姉様……?」
わたしは返事もせず、まじまじと目の前の〝妹〟を見ていた。
エミリア・エヴァット。
その名前はわたしがプレイしていたゲームの主人公の名前だ。
そして、わたしの名前はヒルダ。
妹を憎んでいた〝悪役令嬢〟にして物語の黒幕だった人物の名前。
……あれ?
これって……もしかしてわたしが転生したのって、直前までプレイしてたゲームの世界ってこと……?
プレイヤーとしてのわたしが知っている主人公のエミリアの姿はもう少し大きくなったものだ。物語の開始時点で主人公の年齢は16歳――じゃなかった、登場人物は全員18歳以上だった。いや、それはどうでもいい。
とにかく、わたしが知ってるエミリアはもっと大きくなった後だ。でも、間違いなくエミリアの面影がある。
そうだ。
さっき自分の顔を見て『見覚えがある』と感じたのは、ゲームに出てきたヒルダの顔に見覚えがあったからだ。
……なんてこと。
わたしはどうやらゲーム世界に転生してしまったらしい。
いまさらそのことに気付いてしまった。
しかも乙女ゲーとかじゃなくてエ〇ゲーだ。それもけっこうドギツイやつ。
いや神様!? 確かに
思わずその場に崩れ落ちてしまった。
「お姉様!? だ、大丈夫ですか!?」
すると、エミリアが心配そうにわたしに寄り添ってくれた。
顔を上げる。
間近に飛び抜けた美少女の顔があった。
何もかも頭から吹き飛んだ。
「い、いえ、何でもないわ。大丈夫よ」
とっさに笑顔を浮かべた。
が、内心では心臓が踊り狂っていた。この至近距離でこの破壊力はやばいって。しかもなんかちょっと良い匂いが……ふ、ふへへ。
「そうですか? なら良いのですけど……」
エミリアはほっとしたように、少しはにかんだ笑みを見せた。
あー! いけません! いけませんお客様! それ以上可愛くなられては困ります!
気合いで心臓を抑えつけながら、ひとまず彼女の手を借りて立ち上がる。
改めて向かい合う。
ふう……よし、いったん落ち着こう。
心を落ち着けてから、改めて口を開いた。
「それよりどうしたの? 何か用かしら?」
「いえ、その、これ……」
そう言って、エミリアが脇に抱えていた物をわたしに向かって差し出した。
青い熊の人形だった。何やら大きな物を抱えているなと思ったら、どうやら人形だったようだ。
「あ、これって……」
さきほどのお誕生日会で両親からプレゼントされた人形だ。
不意に〝記憶〟がよみがえった。
わたしが赤い熊の人形で、エミリアは青い熊の人形だった。でも、わたしが青い方がいいと駄々をこねて、それでお誕生日会が台無しになったのだ。
「お姉様は、こっちの青い方がいいんですよね? だったら、これはお姉様がもらってください。赤い方はわたしが頂きますから」
精一杯の笑顔でエミリアがそう言ってくれる。
とても健気な笑顔だった。
「……」
思わず、じっとその笑みを見つめてしまう。
すると、わたしの中にさらにヒルダとしての〝記憶〟が溢れだしてきた。
……
それは妹に対する嫉妬心からだった。
ヒルダはずっとエミリアの方が優遇されていると思い込んで生きてきた。いま思えば決してそんなことはない。さっきの両親の様子を見ていれば分かることだけど、両親は別にエミリアだけを贔屓なんてしていなかった。ヒルダが一人でそう思い込んでいただけだ。
青い人形がいいと言ったのも、別にそれが欲しかったわけじゃない。妹が貰うはずだったものが欲しかっただけだ。
ただの我が侭だ。
ヒルダはそんな我が侭をずっと繰り返してきた。
だから、わたしは不思議だった。
……今まであれだけ意地悪をされてきて、どうして
ヒルダという立場にいるわたしが言うことではないんだけど、これが逆の立場ならわたしはさぞこのヒルダという姉のことを嫌っていただろう。顔も見たくないと思うはずだ。
なのに、エミリアはこれほど健気な笑顔で姉に接してくれる。
……なんて。
なんて良い子なんだろう……!!
この瞬間、わたしの中にあった何かが弾け飛んだ。
「エミリア!」
「きゃ!? お、お姉様?」
思わずエミリアに抱きついてしまっていた。
途端にこれまでの記憶の全てが、膨大な後悔となって押し寄せてくる。
それに押し出されるように、ぶわりと両目から涙が溢れ出してしまう。
「ごめん、ごめんね! 今までずっとひどいことしてきて……! わたし、ひどいお姉ちゃんだったよね……! こんなお姉ちゃん大嫌いだよね……!」
「お、お姉様……?」
エミリアが戸惑いの声を上げる。どうしていいか分からないのだろう。
でも、わたしは自分で自分の感情を制御できなかった。前世の自分としての記憶や理性と、ヒルダとしての記憶や感情がない交ぜになって、自分でも何が何だか分からなかった。
わたしがしがみついてわんわん泣いていると、そっとエミリアがわたしを抱きしめてくれた。最初はおずおずと、でも最後はぎゅっとしっかりと。
「……ヒルダお姉様、わたしはお姉様のことを嫌いになったことなんて一度もありませんよ?」
「……え、エミリアぁ?」
優しい声に思わず顔を上げた。
涙と鼻水でさぞぐちゃぐちゃになっているであろうわたしに向かって、エミリアは聖母のような笑みを見せた。
「わたしはお姉様のことが大好きですから」
「ほ、ほんとにぃ? あんなにたくさんいじわるしたのにぃ?」
「本当です。わたしは誰よりも、お姉様のことが大好きです」
エミリアの姿が光り輝いて見えた。
……い、良い子すぎる。
良い子すぎる……!!
なんて良い子なの……!?
エミリアという健気な美少女の優しさは、これまでわだかまっていたヒルダとしての罪悪感や嫉妬心だけではなく、前世のアラサーであるわたし自身の心に降り積もっていた穢れを全て洗い流した。
日々の労働で疲れ切った心に、この優しさは突き刺さり過ぎる……!!
「うわああああん!! エミリアああぁぁ!! ごめん、ごめんよぉぉぉ!!」
「お、お姉様!? 大丈夫です、そんなに泣かないでください! わたし、わたしはこれまでのことなんて――」
わたしの号泣に釣られてしまったのか、エミリアの声にも嗚咽が混ざり始めた。
……いや、それはそうだろう。
あれだけの意地悪をされてきて、本当に大丈夫だったはずがない。エミリアだってたくさん傷ついていたはずだ。
それでも姉と何とか仲良くしたくて、エミリアは健気に微笑み続けて来たのだ。いつか姉と仲良くなれる日を信じて。
あー、無理。
もう無理。
こんなの
「うわああん!! エミリアぁ!!」
「うわああん!! お姉様ぁ!!」
わたしたちは抱き合ったまま大声で泣き続けた。
……その後、泣き疲れたわたしたちは、同じベッドで眠りに就いた。
ヒルダの記憶によれば、二人がこうして同じベッドで寝るのは、本当に子供の頃以来のことだった。
朝になってからエミリアがいなくなったと両親や使用人たちが騒ぎ出して、散々探し回った後、わたしの部屋で一緒にすやすや眠っているのを見てほっと胸をなで下ろす――という一騒動があったらしいと、わたしは後になって両親から聞いた。
……そう。
こうして、この日から、わたしの〝姉〟としての日々が始まったのだった。
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