2.えっちな夢の中


 

 炭酸が抜けたコーラーのような雨が降っていた。

 

 私はビニール傘を刺す。持ち手の部分には赤色のマスキングテープが貼ってある。

 

 テープは水を染み込んでぶよぶよしている。


 「雨あられ」呟く。

 

 雨の日は声をかき消してくれる。だから、意味のない言葉を口にしても聞かれることはない。

 

 私はそんな雨の日が好きだ。


「夢うつつ」

「鬱」

「そんなに鬱でもない」

「ぶつぶつ」

「エクスキューズミー」

「名草」

「スタンドバイミー」

「サインコサインコムインクックロダイジェスト」

「……何ですか?」目の前にいた小さい女の子が話しかけてくる。

 

 私はびっくりして傘を落としてしまう。どうやら、傘が邪魔で存在を認知していなかったようだ。

 

 体に不快感を覚えた。だが、女の子の服に目を落とすと、やがてそれも薄れていった。

 

 女の子は黒のゴスロリの服を着ている。

 おとぎばなしのような世界観だなと思った。


「……ごめんなさい。話しかけたのではなくて」

「そうなんですね。びっくりしました」

 

 よく見ると、その女の子は煙草を吸っている。

 黒い煙草を初めて見た。


「あの……」

「——未成年じゃないですよ」煙草をふかしながら女の子は言う。

「……いえ、そういうわけではないんです」

「本当は?」

「……ちょっと思いました」

「正直者ですね」

 

 女の子がにししと笑う。


「誰かと通話しているのですか?」女の子は聞く。

「そうです」私は答えた。

「……なんで、そんな意味のない嘘をつくのですか?」

 

 女の子は私の耳を指さしながら言った。もちろん、そこにはイヤホンなどない。


「いや……」

「独り言を誤魔化すために?」

「…………」

「さっきの独り言は何だったんですか?」

「まだ、独り言とは言ってないですけど」私は立ち去ろうとする。

 すると、女の子が腕を掴んできた。

「忘れ物してますよ」


 女の子は地面に落ちた傘を指さした。


「……ありがとうございます」私は傘を拾う。

「いえいえ。——なるほど。そうやって工夫しますよね」

「……え?」

「テープのことです」女の子は持ち手を指さしながら言った。

「——まあ、そうですね」私は苦笑した。

「言いたいことはわかりますよ」

「な、何がですか?」

「『へーこいつもビニール傘使ったことあるんだ』って思いましたね?」

「……いや、思ってないですけど」

 

 私は視線をずらしながら言った。

 

「この格好をしていると思われがちですけど……」

 

 女の子は持っていた黒い傘を閉じて床に置き、今度はビニール傘を刺した。


「私も使います」

「……どこに持っていたんですか?」

「あなたの傘ですよ」

 

 私は驚いて手元を見る。そこには持っていたはずの傘がなかった。


「え……?」

「黒い傘とビニール傘だったらどっちがいいですか?」女の子は尋ねてきた。

 

 本当におとぎばなしのような出来事だと思った。


「……ビニール傘がいいです」

「素敵ですね。やっぱり、愛着があるのですか?」

「いや、先ほどコンビニで買ったものです」

「じゃあ、どうしてテープつけているんですか?」

「盗まれやすいんですよ。あそこのコンビニ。だから早めに対策しないといけないと思って……」

「用心深いのですね」

「怖がりなだけです」私は傘を受け取り、頭を下げた。

「ありがとうございます。じゃあ……」

「——ちょっと待ってください」女の子がまた止める。私はうんざりしていた。

「……何ですか?」

「——サインコサインタンジェントです」

「……?」

 

 ——何のことだろうと私は思った。

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