第382話 相手が悪いよ

「くそ……ラグナルのやつめ!」


 苛立ちを隠せぬグスタフが、執務机を叩く。その理由はもちろん、自分の頭越しにラグナルがヴィクトールへ協力を申し出たからだ。


 既に帝国の暗部ともいえる【黒月庁】から人が出され、もの凄い早さで偽造許可証を発行していただろう証拠が集まっている。


 そんな話を聞かされたグスタフは、「あの野郎」と苛立ちを隠せない。無理もない。完全に顔に泥を塗られる形であり、何より調査が進めばグスタフの責任問題にもなりかねない。


 ……そう、責任問題だ。決してグスタフが関わっているという証拠は残していない。


「とにかく今すぐ作戦を中止して、こちらからもヴィクトール領へ調査協力の申し出をするんだ」


 髪を掻き乱すグスタフの言葉に、控えていた暗部の男も「御意に」としか言えない。何とも情けない一手であるが、グスタフの責任問題を回避するためには、相手に全面協力をするフリをせねばならぬのだ。


 そしてもちろん、グスタフが協力を申し出るということは、早々に犯人役をでっち上げて事態の収拾を図るということ。


「例の……たしかローレントとか言ったな。仕込んでいた奴の名前は」

「はい。法務局のローレント書記官です」


 抑揚のない暗部の言葉に「そう、そいつだ」とグスタフも頷く。


「生徒会選挙で、ダリオくんを裏切った女の父親だ」


 忌々しいと顔を歪めるグスタフへ、暗部の男が「全て指示通りにしてあります」と再び抑揚のない声で答えた。


「もしもの時に、と仕込んでいたが……。まさか使うことになるとは」


 渋い顔で溜息をつくグスタフだが、「いや……今が理想か」と自身に言い聞かせるように呟きその顔を醜悪なものへと変える。下卑た笑いを浮かべるグスタフ達が語っているのは、偽造許可証の発行はエルシアの父であるローレント書記官が主導しているという偽装工作が済んでいることだ。


「こんなこともあろうかと、娘の不義理にも関わらず手元においていたのだ」


 言い聞かせるようなグスタフだが、暗部の男が「お言葉ですが……」と切り出したのは、このタイミングでローレント書記官を切れば、逆に怪しいのではないか、ということだ。


 グスタフを始めとした政府陣営と、エルシアのローレント家の微妙な確執は学院の生徒達を通じて自治区政府内でも有名である。非常に居心地が悪いだろう職場でも、文句一つ言わずに粛々と働くローレント書記官に、少なくない同情が寄せられる程には。


 つまりこんなタイミングでローレント書記官を切ってしまえば、間違いなくグスタフ達の報復行動と見て取られるだろう、というのが暗部の心配だ。


「問題はない。仮にそう見られたとしても、誰もそれを証明しようがない」


 グスタフの言う通りである。疑わしきは罰せず……ではないが、確実な証拠が出るのはローレント書記官が関わっていたという事実だけ。グスタフや法務卿であるロウ元伯爵の関与を示す証拠は一切残していない。


「影でコソコソ言われようが、結局は最終的な事実に落ち着く」


 これもグスタフの言う通りで、政府内部ではヒソヒソと囁かれる可能性はあるが、結局大衆に降りてくる情報は、ローレント書記官が実行した証拠がある、という純然たる事実だけだ。


 場合によってはグスタフ達への報復行動としてローレント書記官が偽造許可証の発行に手を染めたという構図も作れるくらい、この世界での情報戦というのはまだまだつたない。


「父親が罪人で、娘の方は……おっと、生徒会でヴィクトールに協力しているのか」


 これは見ものだとグスタフが笑う。どれだけ本人が否定しようと、確たる証拠が出てしまっては、ローレント書記官は罪人として処されることになる。


 そうなればエルシアが学院に通い続けることは難しくなるだろう。仮にローレント夫人がお金を工面したとしても、生徒会に居続けることはほぼ不可能。そして生徒会から身を引くことになれば、その時点でローレント書記官の罪を、娘であるエルシアが認めたような形になる。


「よし。勝ち筋はまだ消えていない」


 頷いたグスタフが、「直ぐにヴィクトール子爵へ連絡を取れ」と暗部に指示を飛ばした。


 指示を受けた暗部がグスタフの執務室から姿を消し、周囲に全く人の気配がなくなると……グスタフは大きく息を吐き出して窓から見える太陽を睨みつけた。


「ラグナルめ……。貴様の思い通りにはさせんぞ。この国は私のものだ」


 奥歯を噛みしめるグスタフは、次の一手のための準備に入るのであった。



 ☆☆☆



 その日の午後……。ヴィクトール領に一通の手紙が舞い込んだ。差出人はもちろんアレクサンドリア自治区政府であり、内容はグスタフの言っていた全面協力というものだ。


 手紙を受け取ったアランは「フッ」とそれを鼻で笑い、それを持ってきたキースへと返した。


「いかがなさいますか?」

「協力してくれるというのだ。予定通り快く受け入れようじゃないか」


 微笑むアランの横顔に、ヴィオラの頬に冷や汗が伝う。なんせ今の状況は、あの日アランが彼女達に語った内容そのままになっているからだ。


「ガルシアくん、お願いしていた調査の方は……」

「はい。こちらに――」


 ヴィオラ同様浮かない顔のガルシアが持ってきたのは、グスタフが切るであろうカード……つまり、身代わりにされる可能性のある人物だ。


 そのリストをアランがパラパラと捲り、「この御仁かな」と一つの名前を指差した。


『ジュリアン・ローレント』


 書かれている男の名前に、「なぜローレント書記官だと?」とガルシアが首を傾げる。


「少々縁がある御仁でね……」

「ローレント卿と言いますと、御息女が生徒会で坊ちゃまを支えていらっしゃる方ですな」

「ああ」


 微笑むアランが、とにかくローレント書記官と連絡が取れるように準備だけしておくようガルシアへと指示を出す。


 指示を受けたガルシアが渋々といった雰囲気で頷くのは、ヴィオラと同じ感覚に陥っているからだ。


 ――アランの掌の上。


 そんな感覚である。


「いやぁ。流石帝国が誇る【黒月庁】だ。キース、やっぱりうちも暗部を作ろう」

「残念ながら、人材がおりませぬ」

「二人をスカウトしたら怒られるかな?」

「怒られるでしょうな。盛大に」

「そうだよなー」


 盛り上がるアランとキースだが、その会話を聞くガルシアとヴィオラは素直に喜べない。


 アランからの賛辞は非常に嬉しいのだが……今の二人にはこの状況全てが、アランの描いた絵のとおりにしか思えないからだ。……つまり自分達の行動すら、全て見透かされているような恐怖に囚われている。


 苦い顔の二人の脳内で、あの日アランが放った言葉が響く。


 ――ラグナル皇太子に一筆許可を貰うだけでいい。


 少々無茶な話だと言っていたアランが語ったのは、今回の騒動の顛末で犯人として出された人間の処遇を任せて欲しいというものであった。


 本来なら首を縦に振れるお願いではない。なんせ関わっているのは、自治区のトップであるグスタフや法務卿であるはずだからだ。


 だがそれでも彼らが渋々ながらラグナルへ許可を取ったのは、二人も……いやラグナルもグスタフなら身代わりを出すだろう事を予見していたからだ。


 その身代わりを指摘するアランの根拠がまた、ラグナルの予想を一歩上回っていたのも、二人を頷かせる要因であった。


 ――間違いなくうちに協力を要請してくるだろうから。


 事実その言葉通り、協力要請が届いた。


 ――ヴィクトール卿、失礼ですがなぜ要請が届くと言い切れるのです?


 ガルシアの質問に答えたアランは、グスタフの状況とそれを利用したラグナルの目論見を彼らに語った。その状況を考えれば、間違いなくその手を打ってくると。


 ラグナルの行動によって、グスタフは今のところギリギリ首の皮が一枚繋がっている状況だ。逆に言えばまだ首の皮が繋がっているともいえる。


 今回の超法規的なラグナルの行動に、グスタフが反発を覚えるのは必至。これからグスタフが取りうる行動は、微妙に繋がった首を維持しつつ、反帝国という水面下での準備に入ると予想される。


 そのために必要な事は何か……。それはアレクサンドリア自治区の完全掌握だ。


 旧王族派の暗躍を許している状況では、対帝国など夢のような話である。だからこれからは国内の平定に向かう必要がある。つまりラグナルが取った超法規的な行動こそ、ヴィクトールにとって平穏への近道であったわけだ。


 だからこそルシアンも話を持ってきたし、アランもそれを受け入れた。


 ここまではラグナルの想像通りだ。


 だがアランとルシアンの二人はその一歩先を行く。


 グスタフがアレクサンドリアを掌握するには、何をおいても今の地位が必要である。その地位を維持するため、繋がった首の皮を維持する為には、何が何でも己は今回の事件に無関係だと主張せねばならない。


 それを実現し尚且つグスタフの性格を考えると、協力要請と身代わりを差し出すのが一番手っ取り早い、とアランは二人に語って聞かせた。


 もちろんラグナルとて、その可能性は示唆していたが、グスタフの事などほとんど知らぬアランが言い切った事に、ガルシアもヴィオラも驚きを隠せないでいた。


「今のところはラグナル皇太子の目論見通りかな?」


 微笑むアランに、ガルシアもヴィオラも「はい」と小さく頷くしか出来ない。確かに今の状況はラグナルの想像通りに進んでいると言える。


 だがそれら全てをアランに見透かされ、尚且つ彼の言う通りに事が進んでいるようにしか見えない。


 ここまで来るとガルシアとヴィオラには、ラグナルが超法規的な一手を打ったことさえ、アランの目論見通りではないか、と錯覚してしまうほどだ。


 まるで未来視……。そんな事を思う二人の脳裏にまた響くのは、あの日アランの囁いた言葉だ。


 ――ラグナル皇太子の目的にとっても悪い話じゃない。


 二人の背中をゾワリとしたものが走る。


 実際に考えてみるとそうなのだ。いや最早それしか手はないと思えてならない。グスタフはジュリアン・ローレントを切ることで、派閥に一滴の恐怖を垂らして結束を高められる。


 加えてジュリアンの娘、エルシア・ローレントの学院での立場を考えればこれ以上ないカードだ。派閥の引き締め、ランディへの牽制、一挙両得の手である。


 だがそれをアランが掬い上げるとなると……。状況は百八十度変わる。


 なんせ嫌がらせを受けていたはずの領主が、その首謀者に手を差し伸べるのだ。それが意味することくらい、大衆とて気付くだろう。


 後に残るのは何とも間抜けな裸の王様だけ……。


 求心力を失った自治政府。その後に起きるのは旧王族派によるクーデターだ。そしてそれこそラグナルの真の目的。


 いつまでもコソコソとされるより、旧王族派に打って出てもらい、奴らを一網打尽にしつつアレクサンドリアを完全に掌握するというのが目的である。


 そのためにグスタフという傀儡の求心力を何としても弱めたかったラグナルは、状況の変化を察しヴィクトールから逃げ出すゴロツキを利用しようと考えていた。


 危ない場所から命からがら逃げ出した連中が次に取る行動は……そこに送り込んだ男への不満を爆発させることだ。逃げ出したゴロツキが暴れれば自治区政府への民衆の不満が溜まる。


 加えてゴロツキ連中が旧王族派と結べば、彼らの勢いが増し、住民の不満も相まってクーデターの機運が更に高まる。


 そんな絵を描いていたラグナルの、一歩先を行く一手をアランは打ったわけだ。しかもラグナルの予想も汲み取った上で。


「あと……うちから逃げ出した連中が、グスタフ総督に恨みをぶつけるだろうけど――」

「坊ちゃまがおりますからね。ヴィクトールに仇なした輩は全て排除されるかと」


 淡々と語るキースが、折を見て証拠写真をランディへ渡す事を付け加えた。


「まあそれはそれで、総督の面目は丸つぶれかな」


 溜息混じりのアランが言うように、ランディがゴロツキを排除してしまえば、グスタフにとってこの上ない屈辱だろう。


 己の危機を、つい最近まで目の敵にしていた子供に救われるのだから。


「どう足掻いても彼は詰んでるよ」


 最早ガルシアもヴィオラも苦笑いすら浮かばない。ただこの男を仲介してくれたルシアンに、心からの感謝を覚えるだけであった。

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