11、『断章』4

オールストン帝国は戦線から撤退した。『聖剣』、『聖杖』、そして、頼みの綱であった『聖典』まで『黒の民』に奪われ、全員殺された。帝国の中では『黒の民』には勇者を倒せる者がいるということで勝てないと悟ったようだった。


『黒の民』は皆、戦争が終わったことに歓喜し、連日連夜宴をしていた。そして、勇者たちを葬った謎の戦士を称えていた。


私は宴があまり好きではないし、そもそも何もしていない。だから、私はエリテールの家でひっそりモンブランを食べながら、ベッドに横たわるウィルの隣に座ってウィルの手を握っていた。部屋に入らないが、エリテールも扉の向こう側にいる。


「本当に『聖女』も倒してしまったのね…呆れたわ」


「ゴフゴフ!ああ、強敵だった…もう二度と戦いたくない」


「そう…」


おおよそ20代に見えないほどやせ細ったウィルはもう既に立つことができない。エリテールの『腐食』によって身体のあちこちが蝕まれていた。ここまでくると私でもどうにもできない。今日を乗り越えることは不可能だ。


ウィルのすぐそばには、『聖剣』、『聖杖』、そして、最後の『聖典』が置かれていた。けれど、それを見て賞賛の言葉は出ない。こんなものを手に入れたって死んだらすべてが無駄になる。それなら、もっと健やかな生活もあったのではないかと思ってしまう。


けれど、それを言ったらすべてが瓦解する。ウィルはエリテールに恩を返すためにこの場に残った。それが、自分の寿命を縮めることであったとしても、ウィルは短い人生を全力で走り切ったのだ。憐れみはウィルに対する最大の侮辱だ。だから私は、


「貴方を弟子にしたことを誇りに思うわ」


最大限の賞賛を送った。ウィルは一瞬驚いた表情をすると、窓の方を見た。月光が私たちに降り注いだ。


「…なぁ、フローレンス」


「どうしたの?」


「最初はエリテールさんに恩を返したかっただけなんだ」


「ええ、知ってるわ」


「俺は、いや、俺たちは生まれてはいけない存在だったんだ、ゴホ」


ウィルの声に血が混じっていた。もう、声を出すのすら辛いのだろう。


「俺の父、先代皇帝は女好きでな。手当たり次第手を出し、子供を孕ませた」


「最低のクズね」


オールストン帝国の先代皇帝は女好き。それが祟って王子、王女がたくさん生まれてしまった。その結果、ウィルを含む兄弟全員で殺し合いをすることになり、生き残った者が王となり、それ以外は全員闇に葬られた。


調べていて吐き気がしたのは久しぶりかもしれない。


「兄弟たちの中で一番優れたものが王となるという蟲毒の中で、俺は呪術師だったからすぐに殺された。慕ってくれていると思っていた妹に後ろから頭を鈍器で殴られてな…≪迷える子羊スケープゴート≫を使おうにも一瞬で意識が落ちたから何もできなかったよ」


「そう」


ウィルの手がかすかに震えていた。私は少しだけ力を込めて握った。


「けれど、俺は運が良かった。気絶している俺を死体だと思って川に流したらしいが、俺は生きていた。そして、偶々オールストン帝国の近くを散歩していたエリテールさんが見つけて、俺を保護してくれた。あの時の恩は一生返しきれない」


「ウィル…」


エリテールがドアの向こう側にいる。『腐食』を少しでも抑えるためだろうが、ドアを隔てたぐらいで抑えられるものではない。エリテールと私は眼が合うと、私の隣に座った。


「『剣聖』は『黒の民』を滅ぼそうとしていた。『賢者』にしてもそうだ。俺はオールストン帝国の王族だというのに『黒の民』の皆は受け入れてくれた。だから、俺は自国と戦うことになんのためらいもなかった」


「それじゃあ『聖女』を殺したのはなぜなの?」


「…」


「ウィルが何を思って、『聖女』を殺すのかずっと考えてきた。けれど、何度考えても分からないの」


合理的な話をすれば、兵士を何度でも回復させる『聖女』は確かに脅威だ。けれど、『聖女』はあくまで傷ついた兵士を癒やすだけの存在だった。『黒の民』との戦いすら望んでいないオールストン帝国内部では異端児だ。


そうなると、ウィルが『聖女』を殺したのは合理的なものではなく、感情的なものになる。私はそれが分からない。けれど、知らなければならないと直感が言っていた。


すると、ウィルは私たちから反対側を向いた。少しだけ耳が赤かった。


「お前のためだ」


「え?」


「俺の行動原理の半分はエリテールさんに恩を返すため、そして、もう半分はフローレンス。お前のためだ」


「私のため…?」


「はぁ…ここまで言っても分からないか…もういい」


ウィルはよろよろと立ち上がると立てかけてある三つの聖遺物を手にした。すると、すべての聖遺物が青白く光り輝いた。右手に『聖剣』、左手に『聖杖』、そして、『聖典』がウィルのすぐ目の前に浮かび上がった。


「これがあればお前を殺せる」


『聖剣』、『聖杖』、そして『聖典』に選ばれると新たな力が得られる。


『反理』・・・魔法、聖法、そして、呪いに至るまですべての力を無に帰す力。


「なぜ、忘れていたのかしら…」


かつて、勇者として魔王と相対した際、私たちは魔王の魔法に苦しめられた。戦闘中にアレキサンダーが大けがを負い、エリテールが治癒でかかりきりになると、私は一人で魔王と戦った。その際、私は三つの聖遺物の力、『反理』を使って魔王を打ち倒した。


聖遺物の真の力を使ったのはオールストン帝国の王族以外では私以外にいないだろう。そして、私はなりたくもないのに初代勇者として称えられた。それだけに『反理』の詳細だけ私の記憶からごっそり抜け落ちていたことに今まで違和感を感じなかった。


(こんな大事なことを私が忘れるわけがない。となると、記憶を消されたと考えるべきね…)


エリテールが私の記憶をいじるメリットはない。何より、私が何かされて気が付かないはずがない。となると、犯人は


「女神か…」


なんのために私の記憶をいじったかは分からない。私たちに祝福と呪いを与えるような存在だ。どんな行動原理を持つのか気になるところだが、それ以上に大事なことがある。


ウィルは私を殺すと言った。『反理』は呪いを打ち消すことができる。つまり、ウィルは私にかけられた『不老不死』を壊そうとしている。そうすれば、私はようやく死ぬことができるのだ。


「ふふ、貴方って本当に律儀ね」


「ああ、俺は恩を返す男だからな」


「最高よ」


ウィルは最後の力を振り絞って『聖剣』を握る。既に『聖剣』の重みにすら耐えられないのに、なんとか力を振り絞って切っ先を私の心臓に向けた。私は腕を広げて、『聖剣』を受け入れる体勢をとった。『聖剣』が私の身体を貫けば、私は死ねる。


「ゴホッ、それじゃあ先に行っててくれ。俺もすぐに行く」


「ええ。あっちでもモンブランを奢ってね?」


「マジかよ…たまには奢ってくれ…」


「善処するわ」


「そうかい…」


ウィルが私の方に近付いてきた。その一歩一歩が私の死へのカウントダウンだった。この時をどれほど待ちわびていたのだろう。


「行くぞ」


「ええ」


少しだけ剣を引いた時、私は眼を瞑った。けれど、一向にその時が訪れない。カランと金属が地面に落ちる音がした。眼を開けると、ウィルが力無く笑った。


「すまないな…もう剣を握る力がない…」


床に崩れ落ちたウィルを私が支えた。


「ダウト。貴方の嘘はすぐわかる。なんで私を刺さなかったの?」


私を殺そうと思えばすぐにできたはずだ。私は千載一遇のチャンスが不意になったおかげで心臓が早く鳴り、どうしてという疑問が埋め尽くした。


「愛した女を殺すことなんてできるわけがないだろ?」


「え…」


「本当に鈍感なんだな…これだけ一緒に居てなぜ気が付かないんだ…」


エリテールが視界の端っこで顔に手を付いて首を振っていた。ウィルは少しだけ遠くの方を見て、諦観を見せていた。


けれど、言われてみれば、ウィルのよくわからない行動に理屈がつく。いつからかモンブランをわざと届けなくなったが、代わりに二人でよく町に出かけるようになった。それも私が好みの場所ばかり。そして、何かと私に贈物をするようになった。


それもこれもあれもすべてウィルからの好意だった思うと芋づる式に解けた。ここまでされておいて答えに全くたどり着けなかった自分に情けなくなると同時になぜか反発心が湧いてきた。


「少しもそんなことを言ってくれなかったじゃない…」


「俺なりに口にしていたつもりだったんだが、お前は常にモンブランに夢中だったじゃないか」


「…ごめんなさい」


私から出た少しの反発心は一瞬で論破され、私は自分の鈍感さを呪った。そして、最期にウィルが笑って、私の髪を撫でた。


「最後の最後で師匠孝行ができなかったのは本当にすまない。…俺はフローレンスが、愛した女が、どれだけ苦しんでも生きていてほしいと願ってしまっている。とても、俺の手では殺せなかった」


「ウィル…」


「俺の人生に彩を与えてくれたのに、最後にその恩を返せない。俺は最悪な弟子だ」


ウィルの脈が弱まっていき、心臓の鼓動も弱くなる。ウィルの最期の言葉は謝罪だった。けれど、私はそんなものを望んでいない。私はウィルの唇に唇を重ねた。


「フローレンス…?」


「少しだけ元気の出るおまじないよ。私のファーストキスなんだから、もう少し頑張って生きなさい」


ウィルをベッドに寝かすと、手を取ってしっかりとウィルの眼を見た。


「まだ伝説のモンブランを見つけていないわ」


「え?」


ウィルがいつか言った言葉だ。私はウィルの妄言を信じて、伝説のモンブランを探し続けていた。けれど、どこにもそんなものが見つからなかった。


「私は伝説のモンブランを食べるまで死にたくないと願ってしまっているの」


「フローレンス…」


もちろん、それだけではない。ウィルの想いを聞いてからしたいことがたくさん増えた。死ぬ前にやりたいことがたくさん増えた。死に際に少しだけ惜しいと思ってしまった。どれもウィルがいないと成せないものばかりだった。


「貴方は死にたがりの『不死王』に生きる理由を作ってしまったの。貴方と一緒に生きていたいと心の底から願ってしまっているの」


「ゴホゴホ…光栄だな…もう少し早くに知りたかったよ。フローレンスとしたいことはたくさんあった」


「関係ないわ。また会えるのだから」


「「は?」」


エリテールとウィルの声が重なった。最期の表情を見せていたウィルはとても間抜けな顔を晒した。


「ウィルを転生させる」


「転生…?」


「貴方、まさか!?」


この魔法を使う決心したのは二度目だ。一度目はアレキサンダーの時だ。エリテールが悲しんでいるのが見ていられなくて開発した魔法だったのだが、アレキサンダーはそれを拒んだ。けれど、今回はあの時とは違う。私はウィルが嫌がっても、絶対にこの魔法を使うと決めた。


それが私に生きる理由を与えたウィルへの罰だ。


「私が生きる理由は貴方よ、ウィル。貴方がいつどんな風になったとしても私が見つけるわ。そして、今度こそ、私を殺しなさい?いいわね?まぁもちろん拒否権はないのだけれど」


どれだけ未来の世界に転生したとしても、私は『不死王』だ。死なない私なら、どんなところにいようとも必ず見つけ出す。私が転生の儀式を始めると、ウィルを中心に青白く輝いた。


「エリテールさん、俺の師匠は鬼畜だな…」


「ええ…そうね」


そして、私を見ると、


「転生したらすぐに探しに行く。それまで待っててくれ」


「ええ。また会いましょう。私の愛しいウィル」


━━━


ウィルの葬儀が終わると、私はすぐに家に帰って、魔法の研究を始めた。ウィルが転生した時のために準備しなければならないことがたくさんあった。


「それでウィルが転生したというのはいつ分かるの?」


私は魔女の釜でぐつぐつと材料を煮込む。必要な素材を適当にぽっぽと調合しながら、エリテールの相手をすることにした。


「さぁ」


「さぁって…」


「そのために、今、魔法を開発途中の魔法を完成させようとしているの。探し物を見つける魔法よ」


まさかこんなところで私の物臭が活きるとは思わなかった。部屋を片付けるのが面倒だという理由で開発した魔法だが、まさかこんな大事なところで使えるとは思わなかった。


といっても、魔法理論は簡単だ。後、数日もすれば、この魔法は完成する。そしたら、私はひたすら待つのみだ。


「ねぇ、フローレンス」


「何?」


「…いえ、なんでもないわ」


「?そう」


エリテールはそういうと『魔女の館』から出ようとした。なんでもないならそれでいい。私は軽く流そうと思った。


「エリテール」


「どうしたの?」


「私はこれからウィルの転生を待つだけの生活になるの。つまり、暇ってことね。もし、困ったことや悩み事があるなら直接言って頂戴。私は人の気持ちを汲むのが苦手らしいから…」


エリテールが目をぱちくりして、信じられないようなものを見る目で私を見てきた。


「フローレンスが他人に気を使えるようになるなんて…明日は雷かしら?」


「ウィルの件で流石に少し反省したのよ。それで何か言いたいことがあるの?」


エリテールは口を半端に広げたが、すぐに噤んだ。


「…その時が来たらいうわ」


「…そう。それならその日を楽しみにしているわ」


「ええ。それじゃあ」


ドアがパタンと閉められると一人きりになった。昔はこの一人の空間が心地よかったが、今は大事なものがすべてごっそりなくなったかのような気分になった。胸を支配するのは孤独感だけだった。


「早く、帰ってきて…」


私の言葉は誰にも聞かれることなく、消えていった。

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