2、『剣聖』


銀髪をオールバックにした青年と白い鎧を身に纏った騎士が森の中に一団となって歩いていた。


帝国の城下町から少し外れた森の中にひっそりと一軒家がある。通称『魔女の館』だ。屋根の上にはカラスが俺たちを見下ろしていて、家には薔薇のような棘があるツタが家じゅうをびっしりと埋め尽くしていた。侵入しようと思えば毒性の薔薇に襲われる。


刺さったら…なんていう想像は不要だ。


「お前たち…俺は師匠に会いに来ているんだ。くれぐれも余計なことはするなよ?」


「申し訳ありません。で、ですが、『不死王』が敵となったらと思うと…」


「もういい…」


俺を除いて騎士たちの間には今にも戦争でも起きそうな緊張感を漂わせていた。


(相手が相手だから警戒するのもわかるがな…)


俺は散々注意してきたのだが、部下たちにはそれを心から理解することはできなかったようだ。仕方がないと、ノックをすると、すぐにドアが開いた。俺は外行きの笑顔を家主に向けた。


「やぁ、フローレンス。ごきげんよう」


「あら、マルスじゃない。どうかしたの?」


彼女はフローレンス。絹のような美しい黒髪を靡かせている、そのルビーの瞳は俺を好奇心たっぷりに覗いていた。とても整った顔立ちをしていて、町を歩けば男が放っておかないだろう。年は二十代半ばくらいに見えるが、俺が少年だった頃から全くその姿を変えることがない。俺も今年で二十歳になるが、老いないというのはそれほどまでに羨ましいものだ。


「今日は『不死王』に用があってきた」


空気がピリッとする。心なしか屋根に留まっているカラス、そして、家の周りにいる生き物たちからの視線が俺たちに集中したような気がした。


『不死王』というのは彼女の別名だ。彼女は十年前に『黒の民』を裏切って逃げ出した亡命者だ。帝国にとっては三つの聖遺物を取り返し、国に届けた功労者でもある。さらに『剣聖』、『賢者』、『聖女』の師匠でもある。


「…そうなのね。とりあえず外で話していても仕方がないでしょう?家に上がって頂戴」


「ありがとう。突然なのにすまないね」


「いいのよ。弟子が尋ねてきたのだからこれくらいはさせてもらうわ」


家に俺だけ入ろうとすると、フローレンスがこちらを振り返った。そして、柔和な表情で俺を見ると、


「ふふ、おかえりなさい」


「ん?ああ、ただいま」


少しだけこそばゆい感覚が蘇る。俺にとっての第二の家。半生を過ごした思い出の家だ。昔は俺だけではなく、『賢者』と『聖女』も一緒だった。四人で修行をした日々が懐かしいものだ。


フローレンスはコーヒーと自分用に紅茶を用意して、テーブルに置いた。俺が甘い物が苦手だということを覚えてくれていたのは素直に嬉しい。俺とフローレンスは向かい合う形で座っている。


「おや?」


「にゃ~」


いつの間にかいたのか黒猫がフローレンスのわきで寝ていた。フローレンスに似て、とても美しい毛並みをした黒猫だった。


「猫を飼い始めたんだね。嫌いじゃなかったっけ?」


「ええ、嫌いよ。ただ、この子ったら何度も何度も私の家に尋ねてくるから根負けしちゃったの。うちに居候させたのは本当につい最近よ」


「はは、フローレンスを根負けさせるなんて大した猫だ。いつか大物になるかもね」


「ふふ、そうね」


フローレンスは隣に座っている黒猫を撫でる。おおよそ猫が嫌いだという人からは感じられないほど慈愛に満ちた表情だった。黒猫もフローレンスに成すがままとなっていて、とても穏やかな時間が流れていた。


「それでマルス」


空気がピンと張り詰める。さっきまで温かったコーヒーが一気に冷たくなった。


「貴方の周りの騎士たちから殺気らしきものが感じられるのだけれど━━━殺しちゃっていいのかしら?」


凍てつくほど恐ろしい魔力の奔流が起こる。屋根に止まっていたカラスは空へと飛び立ち、部屋の中には霜が降りていた。『剣聖』なんて言われて久しいが、やはりフローレンスを前にすると恐怖が蘇る。


『剣聖』の俺は剣で勝てず、『賢者』よりも魔法に秀でていて、『聖女』よりも聖法に優れている。それに加えて絶対に死なないという反則ぶり。今の俺なら命を懸けて、本気で戦えば、一回くらいは殺せるだろうが、それで終わりだ。そんなものに何も価値はない。


「すまない、フローレンス。俺たちは今、君を容疑者として捜査をせざるを得ないんだ」


「どういうことかしら?」


フローレンスが訝しみながら、殺気を抑えた。おかげでコーヒーも熱を取り戻し、俺は乾いた喉を潤わした。


「近頃、王都で『勇者派』の人間たちが次々と死んでいるんだ」


『勇者派』というのは俺たち『剣聖』、『賢者』、『聖女』を旗頭にした派閥だ。


俺たち三人はこの十年でオールストン帝国の領地を二倍に広げた。そのことに報いて国は俺たちに十分な褒賞を与えることがなかった。それに反発した勢力が『勇者派』だ。主に実力があるのに、封建的な上級貴族たちがいるせいで冷遇されている能力至上主義者たちが集まっている。


俺たちは聖遺物の力を使って、諸外国との戦いに勝ち上がり、民衆のヒーローとして祭り上げられている。そして、今の腐敗しきった政治を変えるための旗頭として扱われている。


そして、現体制を維持したい古い貴族たちを『王室派』と呼んでいる。彼らにとっては俺たちの存在が鬱陶しいのはわかる。彼らは変わらないことが何よりも大事なのだ。それが原因で民が苦しんでいるということをちっとも想像できないようだ。


そんな二大派閥が対立を始めると、不可解な事件が起こった。『勇者派』の実力者たちが次々と消されているのだ。あのような芸当ができる人間がいるのなら俺たちの派閥が結成された直後に『王室派』に消されているだろう。


そういう意味では『王室派』にはそれほど力がないことの裏返しになっている。『勇者派』が諸外国とのリスクを考えずに、内乱を起こせば国は獲れるということだ。


そんな中でこの事件だ。『勇者派』の実力者を消せるとなると、『剣聖』である俺、『賢者』、『聖女』だろう。例外を上げるとすれば━━━


「『勇者派』の実力者を殺せるのは私の弟子と私だけ。そして、貴方たちは派閥の人間を殺すメリットがないから、必然的に私が容疑者として挙がるのね。もしくは外部による犯行だけど、まずは私を疑うのは当然だと思うわ」


自分の紅茶を飲みながら、冷静に俺の話を分析する。冷や汗が止まらないが、この辺りの冷静さが俺たち師匠たるゆえんだろう。


「理解が早くて助かるよ…もちろん、俺たちは師匠を疑いたくなんてない。ただ、『聖女』のところの奴らがうるさくてな…」


「あの子も変わらないのね…」


俺たちの仲間の一人が昨日、市場の方で死んでいた。かなりの実力者であったが、一人のところを狙われたようだ。フローレンスの家から王城を挟んで反対側だ。距離にして四キロ以上ある。フローレンスの美貌なら、目撃者がいてもおかしくないが、フローレンスは『賢者』の師匠でもある。姿を消す魔法を使えてもおかしくない。


「昨日は動物と話せるようになる魔法を開発していて、『魔女の館』から出ていないの。この子を飼ったからには意思疎通ができるようになりたいじゃない?」


「にゃ~」


フローレンスに俺たちの緊張感は通用していないのだろう。本人は死なない存在だし、政治的に撒き込まれることをあまり好まない。この十年で俺たちを育てた功績をあげられれば、貴族の地位くらいは約束されそうだが、そういうのはすべてお断りらしい。『王室派』の連中はフローレンスに野心がなくて浮足立って喜んでいた。


黒猫と戯れているフローレンスを見ると、一気に脱力してしまった。


「はぁ…なるほどね…それを証明できる人間はいるのかい?」


俺は望みなく、一応義務的に聞いてみた。フローレンスの無実を証明するのはほとんど不可能な気がする。それだけフローレンスは万能なのだ。


「いるわよ」


「そうか。いないのか…え?」


「いるわよ」


「本当か!?それは一体誰なんだ?」


なんという僥倖か。師匠であるフローレンスが無罪だと証明できれば、『聖女』たちの疑いを一笑に付すことができる。俺は『王室派』の人間が傭兵を雇っていると推測している。『王室派』の人間だけ殺されないのはおかしすぎる。


フローレンスの無実が証明できるのなら、俺はそっちの調査に乗り出せる。そして、尻尾を掴めば『王室派』を一気に追い詰めることができる。


「弟子をとったのよ」


「へぇ~、それは意外だ。俺たちでもう二度と弟子を取らないって決めたんじゃなかったっけ?」


「ふふ、気が変わったのよ」


「そうかい。何はともあれ、フローレンスの無罪が証明できそうならよかったよ。それでその弟子はどこにいるんだ。


「あら、気になるの?」


「そりゃあね。俺にとっては弟弟子だし、何よりフローレンスが弟子にしたんだ。将来有望なんだろ?それなら今のうちにつながりを持っておきたいんだ」


「悪い大人になったのね。ただ残念。才能に関して言えば、おおよそ何も持っていないわ。というかその辺の一般人に負けちゃうんじゃないかしら?」


数年程度の付き合いだったがフローレンスはおおよそ人付き合いがそんなに得意ではない。というよりも意図的に避けている節すらある。人が苦手なのだろう。が、


「ただ、今まで出会って来た人の中で一番面白い子よ?」


「どう面白いんだい?」


「聞きたい?」


「ぜひとも」


「━━━剣聖を殺したいんですって」


「は?」


フローレンスは悪魔のような笑みを浮かべていた。


一直線に向けられるその笑顔に裏表は全くない。純粋に俺の反応を楽しみに待っているようなそんな表情だった。自然と俺の拳に力が入っているのを感じた。


「は、ははは、それは面白いな。フローレンスが弟子にするのもうなずけるよ。俺も一度会っておきたいな。あ、でも、会うと殺されるのかな?」


ユーモアを混ぜて、場を和ます。この手の話術は王宮にいれば嫌でも学ぶ。


「買い物にいかせているからそろそろ帰ってくるんじゃないかしら?ああ、でも、あの子ったら少しだけ寄り道癖があるから、もしかしたら、今日中に帰ってこないかも」


「自由人なんだな。それなら待ってる間にそいつのことを教えてくれよ」


「ええ、いいわよ。名前はウィルゴート。とっても生意気な子よ」


「え…」


さっきまでの笑顔は俺にはできない。俺にはその情報を流せるだけの余裕はなかった。


偶然か必然か分からない。


ウィルゴート=オールストン。オールストン帝国皇帝の名前だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る