11−2 紫焔
「華鈴、これも飲む? おいしいよ」
紫焔に渡された杯を受け取って、華鈴は口に含む。甘い香りのする酒だが、華鈴は美味しそうに飲み干した。頬に紅がのったようになる。酒はあまり強くないのだろう。
「おいしーれす」
既に舌足らずな話し方をしつつ、杯はまだ手に持ったまま、おかわりが欲しそうに上目遣いで紫焔をみつめた。
「華鈴様、酔われているのでは?」
「そうみたいだね。華鈴、部屋に戻ろうか。なんだか眠そうだ」
「眠くないれす」
「絶対眠くなっていますね」
丸吉が心配そうにして白湯を持ってくるが、飲ませる前に身体が揺れて、傾き始めていた。
「君には少し強かったかな。丸吉、僕たちは先に下がろう」
「わかりました!」
華鈴を抱き上げて部屋に戻ろうとすると、丸吉がぴくぴくと耳を後方に向けた。
「なんだか、あっちの方が騒がしいですね」
「飲みすぎて騒いでいるだけだろう。先に部屋に戻って眠る用意をしておくれ」
丸吉はすぐに走り出す。
紫焔は後方を軽く見遣る。女たちが騒がしく悲鳴を上げていたが、気にせず華鈴を抱いたままその場を退いた。
「あらまあ、なにをしているのかしらね」
和子の呟きに、侍女の楓が鼻で笑う。
「蘭のような香りがあちらからします。スゼリのメスの匂いに似ていますね」
鼻のいい楓は匂いがわかると、ぴくぴくと鼻を紅音の方へ向けた。紅音たちはスゼリの大群に襲われて、侍女たちが逃げ惑ったり警備たちが剣で追い払ったりしている。あまりに激しく動いているので、警備の剣が紅音に当たってしまいそうだ。
顔や着物、手足にいたるまでスゼリが飛び乗って、紅音を埋めるように集まっていた。
「オスはあの香りに誘われてメスに求婚しますが、あのヤスリのような舌で毛繕いをします。オスの毛繕いはメスの尻尾を舐めますが、同じ香りをまとっていれば、どこを舐められるかわかりません。香でも炊いたのでしょうか。愚かなことを」
「衣装も肌も、削れてしまうわね」
帯がはだけているところをみると、帯に香りでもついていたのだろう。帯を手にした女たちも同じ匂いがあるのか、他の女の手にも集まっている。悲鳴を上げて逃げようにも何度も飛びかかってくるので、逃げるのは難しそうだ。
「あの場所に座らせたのはどなたかしらねえ。あんなに、木の近くでは、スゼリも寄ってくるわ」
「帯の柄がなくなってしまいましたね。髪も乱れて、はしたないことです」
髪の毛が乱れた程度ならば良いが、帯に触れた場所まで舌で舐められたら、肌は削れ、肉まで達するだろう。
はしたないで済む話ではない、
「灰家が余程邪魔だったのでしょう。灰家の娘には、何度か出ていけと直接おっしゃっていたようですから」
「あら、そうなの」
楓は不敵に笑いながら話すが、勘違いをしていることに気付いていない。
(まあ、私には、直接帰れとは言っていないけれどね)
「ところで、そのかんざし、よく似合っているわ」
和子は楓の髪にさしてあるかんざしをほめてやる。小ぶりだが小さな宝石が雫のように付いている、高価な物だ。和子が着けるには少々地味だが、侍女には派手になるかもしれない。それでも趣味はいい。
楓も破顔する。他の侍女はもらっていないのに、自分だけ与えられたので、鼻が高いのだろう。よく仕えてくれたと褒めてやったので、尚更だろうか。
「ありがとうございます。このような上等な物」
「いいのよ。睦火様からいただいたけれど、私の趣味に合わないなら侍女にやって良いとおっしゃっていたから」
「そうなんですか? まあ、そんな……。睦火様はきっと女性の好みを理解されていないのでしょう。和子様にお似合いになる色をすぐ見つけられるはずです」
「そうねえ。睦火様の趣味は、一人にしか発揮されないのでしょう」
和子の返しに、楓はうふふと頬を染める。楓によく似合うかんざしは、楓のためにあしらえたかのようだった。
本人もわかっているのだろう。自分に似合うかんざしを、わざわざ睦火が選んだとなれば、頬を染めるのは当然だ。
かんざしを挿してこの宴に出席したのだから、そのつもりで納得したのだろう。
「さ、宴は終わりね。睦火様もいらっしゃらないし、いても仕方ないわ」
和子が席を立つと、他の侍女たちも席を立つ。楓だけがキョロキョロと周囲を見回していた。
誰を探しているやら。口にはしないが、頭に花が咲きすぎではないだろうか。
「楓、私は今回の結婚に興味ないと言ったのは覚えているわね」
「ええ。残念ですが、和子様にその気がないのならば、致し方ありません」
楓は神妙な顔をする。しかし、どこか嬉しそうに口端を上げて、すぐに口角を下げた。嬉しさを隠すように。
「本当に、今までよく仕えてくれたわ。でも、私の身を危険晒すものなど、必要はないの。わかるでしょう?」
「え、どういう意味でしょうか?」
「わからなければいいのよ。部屋に戻るわ」
楓が眉根を寄せるのを無視して、和子は歩き始める。
突然、びゅうっと風が吹いた。
ちりん。と楓のかんざしが鳴る。光に反射して、キラキラと煌めいた。
次の瞬間、スゼリが飛び込んだ。
楓の悲鳴が後ろから届いたが、和子は気にする必要もないと、歩き続けた。
「知らないのねえ。スゼリは煌めく物に目がないのよ」
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