10−4 名前
「ほら、一緒に寝よう」
「ね、寝ません!!」
「昔はいっしょに眠ったのに。い、いつの話ですか」
「さあ、いつだったかな。でも、また変なのに襲われたら困るだろう。ほら、おいで」
紫焔は人の布団に入り込んで、パタパタと布団を叩きながら、華鈴に来るように招く。
何もしないよう。なんて冗談めいて言うあたり、警戒して当然だろうが、紫焔は気にせず掛け布団を上げていた。
にこにこ、にこにこ。紫焔の表情は変わることがない。引くことはないと諦めて、仕方なく入ると、途端ぎゅっと抱きしめてきた。
「紫焔さん!」
「うん。寒いからね。僕は寒さに弱いんだ。そろそろ冬も来るし、寒い時期はつらいよ。ああ、でも、君は冬が好きなんだよね」
「ひいじいに聞いたんですか?」
「君が言ってたんだ。雪が降るから、冬は好きだって。寒いから外に誰もいないし、雪で遊ぶのが楽しいってね。何が楽しいのか僕にはわからなかったけれど、君は楽しそうだったよ」
紫焔は肘を突きながら懐かしげに語る。祖父の家に行ってから雪が降ったのは何回あっただろう。年に一回か二回。あるかないか。
「ずっと聞きたかったんですが、このお部屋って、私のために整えてくれたんですか?」
「そうだよ。君に必要なものはなんでもそろっているだろう? 最初から、ここに君を呼び寄せるつもりだった。ただ、あの頑固ジジイが頷いてくれなくてね。自分が死んでからよこすなんて、ひどいと思わないかい」
冗談混じりだが、声音は静かで、どことなく哀しさが滲んだ。
「仲が良かったんですか?」
「さあ、どうかな。最初はよく使えるやつだと思ったよ。まあ、でもそうだね、親友と呼べるのはあれだけだよ」
遠き日を思い出しているのか、紫焔は静かに笑った。
幼い頃、何者かに拉致された。気付けば檻の中。背丈より上にある小さな窓は格子がなされ、景色も見えない。手足には手錠があり、天井や床に繋がれていた。
何が起きたかはわかっている。兄のどちらかの手に落ちたのだと理解しながら、これもどうでも良いことだと感じていた。
当主などなりたくないのに、周りがうるさい。身分がどうこう言うくせに、力を思えば上に立つべきだと口にする。自分の話を聞く気はなく、ただ当たり前のように、敵視してくるモノどももいる。
すべてが億劫で、ならば無気力であれと、日々すごいていたが、とうとう敵は強硬手段に出てきた。
闇討ちやら、毒やら、なにかと動いてきたが、遠方に出かける際、牛車ごと崖から落とされた。
車の中では飛ぶことができない。わずかに浮いて車の中で衝撃を緩和したが、さらに攻撃を受けて封印を施された。
それでも死ななかったのは運だったのか。それから監禁生活が始まる。
食事をしなくとも生きてはいけるが、どれほど持つか自分でもわからない。春夏秋冬。窓から注ぐ光を確認しながら過ごす長い時間。その間、何もないその岩で作られた洞窟のような牢に現れたのは、虫や動物など話すことのできない生物。自分を殺すこともできない、弱き存在。
けれど、弱き中に一度だけ、稀有な存在が現れた。
『あの、そこに誰かいますか?』
若い男の声がして、格子を握る手が見える。返事をすれば、顔を覗かせた。
眼鏡をかけた、細身の男。人の良さそうな顔と声の主は、源蔵といった。
源蔵は人間のくせに妙な力があり、不思議な術を使った。絵を描くのが趣味で、その力に気付いたのはこちらに来てから。
さまよう間に異形に襲われ続け、食べ物を描いたら食べ物が絵から出てきた。異形を描いて紙を破れば同じように異形が破けた。
そうやって、しばらく一人で生きてきたというのだ。
洞窟を見付けて雨を凌ごうとしたところ、気配を感じて格子窓に気付いた。それが牢だとは思っていなかったようだが、初めて出会った人間だと思い、気にせず助けたのだろう。
こちらのことを聞きたがったが、戻る方法がわからないことに気落ちしていた。
牢から出て、とりあえず燐家に戻ろうとすれば、追ってくるモノがいる。それは何度となくあって、追われることになった。
源蔵は相手を化け物だと認識していたのだろう。いかんなくその力を発揮した。
人間がこちらに迷い込むことはあっても、これほどの力を持った者などいない。源蔵にとって、こちらの異形は恐ろしいようだったが、源蔵の力は絶大だった。
長く閉じ込められていたせいで、力をほとんど失っていたが、おかげで、燐家に戻るのに苦労はなかった。
途中現れた兄弟も、源蔵の手助けがあれば楽なものだ。所詮、その程度だったのだ。
とうとう燐家に戻れば、迎えたのは、青ざめるモノと喜ぶモノ。二つに分かれた表情を見れば、答えは簡単だ。
だから、その場で終わらせたのだ。
その後、源蔵は燐家の関係者を倒していたことに気付いたが、今更な話だった。すでに源蔵は恐れられ、その力を知ったモノたちからは敬われることになる。
「燐家でも使えると思ったけれど、頑固で、僕の言うことを全く聞かないやつだったよね」
一人呟いて、隣ですやすやと寝息を立てている娘を見遣った。
源蔵のひ孫。ひ孫というのが驚きだ。人間の世界ではそこまで時間の進みが早い。年をとるのが早いこともあるが、それでもひ孫という存在に驚きを隠せなかった。
あちらに戻る方法は知らなかったが、源蔵は自分でその方法を見付けた。挨拶もなく急いで帰っていったため、その後の源蔵と出会うには苦労があった。あちらに訪れたことはなかったからだ。
あちらに行ったことはなくとも、源蔵が通った道は辿ることができる。源蔵が通った気配が残っていたため、それは容易だった。他のモノたちができるかどうかは知らないが、自分は可能だったのだ。
何度となくあちらに移動しても、しばらく源蔵は見つからなかった。見つける気はなかったので気にしていなかったが、偶然同じ気配に気付いた。
源蔵は、知っていた顔よりやけに年老いていたけれども。
「うん~」
華鈴が眉間に皺を寄せて唸ってくる。嫌な夢でも見ているのか、眠りながら身体を強張らせた。
その肩を軽く撫でてやれば、寒いのか体温を求めて擦り寄ってくる。
それを見ていると、昔を思い出すようだ。
「幼い頃の君は、僕の髪を引きちぎりそうなくらい握って引っ張って、抱っこすれば擦り寄ってきたけれど」
幼い華鈴を見た時、動物の子はこんな感じなのだろうと、見つめていたら、頬を何と間違えたのか齧り付いてきた。
源蔵は笑っていたが、齧られたこちらは唖然としてしまった。
餅のような頬をした幼い子供。まだ単語単語でしか話ができない、とても幼い頃だ。
両親が落ち着くまで預けられたのだと、源蔵は憐れむように抱きかかえる。自分より恐ろしい力を持ってしまったと言って。
再び会いに行った時、源蔵は憂いていた。両親から預けられる日が増えて、もしかしたら養子にするかもしれないと呟いて。
『僕は面白いからいいけれどね』
『面白い話ではないよ。睦火。この子はあちらと違ってこちらでは異質なんだ』
『どんな力を使うんだい?』
『すぐにわかるよ』
華鈴を抱っこすれば、じっとこちらを瞬きもせず見つめる。
『むらさきいろ。ほのおって、めらめらするの』
『何言ってるの、この子』
『お前の目の色の話だよ』
そうして、穴が開くほど瞳を見つめて、ふと、華鈴は口にした。
『しえん。おにいちゃんのお名前は、しえんね』
その瞬間、何もかもが静止した。
『華鈴。そんな風に呼んではいけないよ』
源蔵の言葉に、困ったような顔をして、華鈴はうつむいた。痺れたように動けなくなった身体は、すぐに自由が戻る。
『今のは。僕を縛ったのか?』
勝手に名前を作り、身体を縛るなど、あり得ることではなかった。
『は、はは。面白い子じゃないか。さすがに、君の血筋だね。この子、もらっていいかい?』
『お断りだよ。この子はこちらで生きるのだから』
呆れるように言って、さっさと帰れとせかされた。
源蔵は華鈴の頭をなでながら、その力は使ってはいけないと何度も言い聞かせていた。
睦火という名前は本当の名前だ。けれど、華鈴は縛る相手に名前を付ける。 本人は、その名前がわかるのだと言っていたが、そうではない。
弱いモノには名前を付けずに縛るが、力のあるモノには新しい名を付けて、その名で縛った。
紫焔という名前は、本当の名前ではなかった。けれど、華鈴が呼んだ時から、睦火の本当の名前は紫焔になったのだ。
次に会いに行った時、華鈴は源蔵と暮らしていた。両親に育てる気がないため、養子にしたのだ。その頃の華鈴は言葉が話せ、あちらとこちらのモノの違いを理解していた。だから、会うなと源蔵に注意された。
源蔵はこちらに関わらせたくなかったのだろう。自身の経験があって、華鈴を同じ目に合わせたくなかったのだ。
「あっちで生きるのだと言ってたのにね。結局、僕の元によこしたのだから」
華鈴は知らない。名前を呼んだだけで、紫焔を縛ったことを。華鈴が死ねと言えば、紫焔は死ぬだろう。華鈴の言葉には力がある。それがどれだけ心踊ったか。
「兄たちですら、僕を殺せなかったのにね」
どれだけ恐ろしい力を持っているのか。それを知っているのに、理解していない。
その力を使えば、こちらでは誰も抵抗できないのに。
本来なら、あのような怪我をする弱さなどではないのだ。
紫焔は華鈴から取り上げた帯を手にした。帯は汚れて模様が見えなくなっている。端の方は破れており、溶けて穴が空いているところもあった。
帯から甘い香りを感じて、それを握りしめる。
「面白いことをやってくれるよね。僕のものに手を出したことを、後悔するだろうよ。うちの姫に手を出した責任は取ってもらわないと」
不敵に笑んで、隣でゆっくり眠ることにした。
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