9−2 敵意
「良い身分だこと。睦火様の寵愛を得たかのように、我が物顔でうろつくなど。人間の分際で」
明らかな敵意を向けられて、華鈴は身体をすくませた。丸吉がすぐに華鈴の前に庇うように立ちはだかるが、ギロリとお付きの男たちに睨まれて、丸吉も肩を強張らせる。
男たちは今にもかかってきそうな雰囲気だ。長い指から鋭い爪が伸び、口元から蛇のような長い舌がちらちらと見える。
「お前ごときが、人間ごときが、睦火様のお相手になると思っているのかしら! ああ、わかっていないのね。そうでなければ、そこまで厚顔無恥な真似などできないでしょう」
会うたびに睨みつけられたが、怒鳴りつけられて華鈴もびくりとする。
「か、華鈴様は、睦火様が望まれてお部屋をいただいてます!」
「黙れ! 半端モノが!」
丸吉が言い返せば、男たちが目を見開いて怒鳴り散らした。
手は出してこないが、今にも噛みつきそうな顔をしてくる。喉を鳴らしているのか、高く鈍い威嚇音のような音が響いた。
「源蔵のひ孫だからと、厚かましく居続けて。源蔵の存在がなければ、側に置くはずがなくてよ! ひ孫でなければ、人間など側に置くわけがない。恥を知るが良いわ!」
紅音の言葉に、言い返すことなどできない。丸吉が震えながらも威嚇に反論しようとしていたが、華鈴はただ黙って口を噤んでいた。
「睦火様に愛されていると思ったら大間違いよ。役立たずの人間が!」
紅音は言いたいことは言ったと、踵を返していく。男たちは通り過ぎざまに丸吉を突き飛ばした。
「丸吉君!」
「だ、大丈夫です、あっ!」
丸吉に駆け寄ると、後ろから押されて地面に尻餅をついた。首元が急に冷えたと思えば、液体が滴った。女たちが含み笑いをして紅音の後を追う。紅音は一度華鈴を横目にしながら、そのまま過ぎていった。
「華鈴様! あいつら、なんということを! 今、拭くものを!」
「あ、だ、大丈夫……」
何をかけられたか。甘い匂いがするので、ジュースか何かなのか。女たちの誰かが去り際に、華鈴に何か液体をかけたのだ。背中から浴びせたのか、後頭部や帯がべたついた。
「丸吉君こそ、怪我はない? ごめんなさい、私のせいで、丸吉君まであんな風に」
「私はなんともありません! 華鈴様はすぐに風呂へ。先に、拭くものはっ」
紅音の敵意は、供のモノたちからも同じように感じていた。
睦火の側にいれば腹が立つのは当然だ。何もできない人間が、曽祖父のスネをかじるだけのひ孫が、睦火に付き纏っているのだから。
ぽたりと頬に液体がつたってくる。それを拭っていれば、目尻からも水滴が溜まった。
(恥ずかしいのは、そんなことを言われても何も言い返せない自分だわ)
「その、お気になさらないでください。負け犬の遠吠えです」
「ううん。本当のことだから」
(だって、ここにいても何もしていない。ひいじいの家にいた時と同じ。小さな頃の自分と同じだわ)
こんな自分に、睦火が望むわけがないとわかっている。紅音の言うことは正しい。
丸吉も献身的に周りのことをしてくれるが、そんな人間ではないし、睦火から選ばれることのない、ただ曽祖父のひ孫であるだけだ。
曽祖父の力をよく知り、華鈴が何を行えることも睦火は知って、華鈴をここに留まらせる。華鈴が好きで、花嫁などと言っているわけではない。
(それくらい、わかっているわ)
なのに、どうして涙が流れてくるのか。
「華鈴様……。はっ、華鈴様!!」
突如、丸吉が大声を上げた。何事かと思う前に、がくんと腰回りを引っ張られた。
「きゃああっ!」
「華鈴様!!」
身体が浮いて、空高く舞い上がった。悲鳴を上げる間に、丸吉の姿が遠のく。あっという間に燐家の敷地から離れた。
手足が居所なくぶらぶらと揺れる。耳に風の音がひゅーひゅーと響いて、髪の毛が風に煽られた。腰回りがキツくなり、帯がどんどん締まって息苦しい。
何が起きているのか。
華鈴の帯を引っ張っているモノがいる。リュウグウノツカイのような、あの空を飛ぶモノ。タチリュウと呼ばれた、目玉が顔にいくつもある、不気味なモノが、華鈴の帯を咥えて空高く飛んだ。
(なんで、ちょっかいを出さなければ平気だって言ってたのに)
タチリュウが華鈴の帯を咥えたまま、身体をうねらせて飛び続けた。燐家はもう見えない。街からも離れて山の頂に沿って飛んでいる。
片方の足から草履がするりと脱げて、重力に引かれて落ちていった。遠目に見える木の中へ見えなくなる。
背筋が冷えていくのがわかる。
このまま落とされたら、ひとたまりもない。暴れて咥えている帯を離されたら、一巻の終わりだ。
(けど、どこに行くの?)
「きゃっ」
一匹だと思ったら、もう一匹が華鈴をかっさらうかのように、帯を引いて一匹から奪っていく。がくりと揺れて、息が止まりそうになった。今度は先ほどのタチリュウが向かってくると、もう一度華鈴の帯を咥えようとする。着物に歯が擦り、すれ違いざまに尾びれで頬を叩いた。はたかれたようになって、眼鏡だけが落下した。
ひりひりと痛む頬をさする余裕もない。
タチリュウは華鈴を奪い合うように、帯を引いたり、落としそうになったりする。その度に悲鳴を上げて、気を失いそうになった。
獲物を取り合う大型の鳥のようだ。尾びれで叩き合いながら、飛んでは、高度を上げたり下げたりしてくる。
「きゃあっ! うぐっ!」
身体が浮遊したように重力を感じなくなれば、帯を引っ張られて急激に重力を感じ、吐きそうになる。タチリュウは華鈴を咥えたまま低空飛行した。そのスピードに悲鳴すら出せない。
突然タチリュウが方向転換して、相手のタチリュウを避けようとしたが、尾びれが当たる。それに対抗するように、回転するように方向転換しては、追いかけてきたタチリュウの背を尾びれで叩きつけた。
ギャアギャアと鳴き始めたその時、戦いに夢中になったか口から帯が離れると、華鈴の身体は真っ逆さまに山へと落ちたのだ。
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