6−2 蛇

(お食事に変なものが入ってないか、ちゃんと確認しないと)


 お膳を運びながら、丸吉はじっくりと食事を見つめる。

 露天風呂に蛇が出たのも、初めてのことだった。


(燐家の方々が使用される露天風呂だぞ。蛇が出たとなれば、責任者は蜘蛛の餌だ)


 それなのに、あの場所に蛇が出た。しかも毒蛇で、華鈴が風呂に入っている時に限り。


 誰かが毒蛇を放ったのでは?


 露天風呂の管理者は一人だが、管理者に鍵をもらう際、廊下で声をかけたので、誰かが聞いていてもおかしくない。

 睦火が入るとは言わず、華鈴が入るとは伝えた。そこで睦火の許可は得ていると口にして。


(華鈴様が入ると知ったやつが、蛇を湯に放したんじゃないだろうな)


 そうであったら許せない。離れの部屋にいたずらをするモノはまだいないが、そのうち部屋にまで嫌がらせをしてくるかもしれない。

 源蔵がいた時も、部屋にいたずらをするやつらはいた。


「食事に嫌がらせしてくるんだ。部屋まで来たっておかしくな、うわっ!」


 足に痛みを感じて、丸吉はバランスを崩した。お膳が手から離れて、廊下に大仰な音を立てて、汁物や野菜が散らばった。


「華鈴様のお食事が! 何をするんだ!!」

 柱の陰にいた男に怒鳴りつける。隠れていたのか、通りすぎる際に丸吉の足を引っかけたのだ。前にもぶつかってきたやつらで、一人が牙を見せながら大笑いした。


「お前が勝手に転んだだけだろう」

「あーあ、汚いな。人間に食べさせるには丁度いいか」

「うわっ!」


 もう一人が丸吉を蹴り上げた。こぼした食事の上に転がって、味噌汁や米粒の中に顔が滑り込む。


「お前たち、こんなことして、ぎゃん!」

「なにか鳴いたか?」

「いんや。聞こえないね」


 丸吉は地面へもんどり打った。顎を蹴り飛ばされて縁側から落ちたせいで、汁物と一緒に砂にまみれる。


「くそ。睦火様の未来の奥様のお食事だぞ!」

「はは。人間のひ孫とか」

「源蔵様だ!」

「ひ孫だろう。本人じゃないんだ。同じ力を持っているわけじゃないんだから、ただの人間だろう」

「それでも、睦火様が選んだ方だ!」

「だからあのような人間に、お前なんぞ中途半端なモノをつけたのだろう」

「そ、それは……」


 丸吉が黙ると、二人は大声で笑った。

 二人は人型を保てるモノだ。丸吉のように半獣で半端モノではない。それでも、睦火から声がかけられるような身分ではなかった。人型を保っているとはいえ、下働きに指示するくらいの、半端モノより少し力がある程度のやつらだ。


 笑われる筋合いはない。源蔵ならそう言うだろう。


「私は、睦火様から直接命令されているんだ。それに、睦火様は華鈴様を大事にされている! 華鈴様を愚弄するな!!」

「本当のことだろう。こんなしっぽを出しっぱなしにして。半獣の半端者が!」

「げほっ!」


 蹴り付けられて、その勢いで庭木にぶつかり嗚咽を漏らした。人型の姿をとるモノは、丸吉より力がある。思いっきり蹴られれば、球蹴りの球のように吹っ飛んだ。


「丸吉君!」

「人間が来たぞ。人間にかばわれるなんて、恥ずかしいやつだ」

「この子に怪我をさせたのは、あなたたちですか!」


 走り寄ってきたのは華鈴だ。座り込んで丸吉を起き上がらせると、ギッと睨みつける。けれど、その手はカタカタと震えていた。


「はは。怯えてやがるよ。人間風情が」

「か、華鈴様、下がっていてください」

「ほら、下がれって言ってるだろ。下がってろよ」

「きゃあっ!」

「何をする! ぎゃんっ!」


 丸吉に走り寄った華鈴が震える手で丸吉を起き上がらせたのに、一人が華鈴を押すと、丸吉の腹を踏みつけてもう一度蹴り上げた。


「人間が。ここで喰らってしまえばいいんじゃないか?」

「それもそうだな。すべて食べしまえば、気付かれない」


 一人が顎を撫でながら提案すると、もう一人がニンマリと口元を上げる。口を広げてペロリと舌を出し、鼻を引くつかせた。くつくつと笑いながら背中を丸めて顔を突き出すと、後ろに流していた短い髪が逆立ち始める。

 もう一人も同じく体を弓なりにする。丸めた体の尻からボサボサの毛並みの尻尾が飛び出し、前足を伸ばして今にも飛び付かんと体制を変えてきた。


「か、華鈴様、逃げ、逃げてください」


 着ていた着物が消えてなくなると、バサバサとした毛並みに変化する。二人は二匹の獣に変化した。狼のような、薄汚い灰色の獣が、鼻をピクピクさせて、長い舌をべろりと出し、よだれを流した。


「華鈴様!」

 丸吉の前で動こうとしない華鈴を押した。怯えて動けないのか、震えた体は微動だにしなかった。


 二匹がじりじりと距離をつめてくる。ひたりと忍ぶような足音を立てながら、獲物を前によだれをたらして地面を濡らした。


(華鈴様、逃げてください!)


 意識が虚ろになりながら、心の中でそう叫んでいた。声が出ていたのかもわからない。華鈴の姿が見えにくくなって、ただ逃げてくれることを祈った。


「セギ! オギ!」


 華鈴が何かを大声で呼んだ。瞬間、二匹がびくりと肩を上げると、進む足を止めた。


「回れ右! そのまま走り続けなさい!」


 華鈴の命令口調に、獣二匹が後ろ足で立ち上がった。前足を曲げたまま、くるりと回れ右する。そしてそのまま、獣の姿なのに後ろ足だけで走り出してしまった。

 後ろから見ればなんとも間抜けな姿で、けれど二匹は華鈴の言われた通り、そのまま走り続けていった。


「丸吉君! 大丈夫!? 誰か、人を」


 薄れゆく意識の中、華鈴が泣きそうな顔で叫ぶのが聞こえた。そうして、丸吉は意識を失った。

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