3 家

「お姉ちゃん、これあげる」

 妹が、缶に入った一袋のクッキーを手渡してくれた。

「お姉ちゃんは食べられないから、持って帰ろうね」

「なんで?」


 九歳も年下の妹は、入院中食べられない物があることを知らないのだろう。母親の注意で缶の中にクッキーを戻したが、缶を持って来ている時点で母親は気付かなかったのかと、点滴であざだらけになった腕を見ながら、ため息を吐いた。


 お菓子なんてずっと食べていない。食べたいとも思わないので気にならないが、母親が何も考えずにいるのを見るのが嫌だった。妹ばかりを気にして、一体ここに何をしに来たのかと問いたくなる。

 もう帰っていいよ。酸素マスクの中で呟いた声が聞こえると、母親は妹を連れてさっさと帰っていった。


 もうもたないだろう。そう言われているのか、母親の態度は前以上に適当になっていた。父親はもう病院には来ない。兄がたまにやってくるが、難しい参考書を開いてそこにいて、ずっと勉強している。家だと妹がうるさくて静かに勉強できないのだ。

 図書館にでも行けばいいのに。そう思っていたが、参考書をめくる音を聞いていると眠くなるので、それは居心地良かった。


 幼い頃から病がちで、ほとんど学校に行かない長女。妹が生まれて女の子の座は妹が継ぐことになった。

 兄は優秀で、医者になるためにいつも勉強をしている。幼い妹は明るくてやんちゃで、家の中の暗さを賑やかにさせている。

 だから、玲那がいなくなっても問題ない。


 長い間、闘病のため、玲那にかけた金額はいくらになっただろうか。兄の大学へ通うための金額より、ずっとかかったに違いない。治ることはないと言われてきたのだから、やっとそれが終わるのだ。


 だから、大丈夫だ。玲那という大きなわがままは、もうなくなるのだから。










 ぐうう。とお腹が鳴って、玲那は胃の辺りをなでた。今の身体は、思ったより肉があるように思う。肋が浮いて、皮と骨しかなかった頃に比べれば、とても触り心地が良い。

 お腹を触っていると、頬に髪の毛がかすった。焦茶色の髪。少しだけ後ろに長い。ショートカットよりは少し長めの髪型だ。すぐに伸びて邪魔になりそうな気がする。触れるとサラサラで、まとめにくそうだ。髪に気を取られていると、再びお腹が鳴った。


 普通の生活。普通にご飯を食べて、普通に眠って、普通に学校へ行く。そんな日が、いつか来るのだろうかと思っていたが、まさかの異世界で、一人暮らしになるとは。


「普通とは、違うかあ」


 お腹が空いたはいいが、ご飯がない。前に住んでいた人が、庭でちょっとした野菜を作っていたようだが、放置されていたのか、雑草がぼうぼうに生えている。その隙間に畝が見えるが、野菜らしき葉っぱが雑草と一緒に生えているだけで、畑とはとても言えない。


 念の為掘ってみたが、貧相な大根のような、ヒョロリとした白い根菜が出てきただけだった。もしかしたら大きくなるかもしれないので、周囲の雑草を引っこ抜いて、植え戻しておく。

 とはいえ、これから自分は何を食べれば良いのだろうか。


「お金はあるけど、全財産でしょう? そんな易々と使っちゃダメだよね」

 では、どうすればいいだろう。

 そういえば、使徒は地下倉庫があると言っていた。まずはそちらを確認した方が良さそうだ。


 雨水を溜めた水瓶で手を洗い、軽く振ってから、玲那はいそいそと地下倉庫へ降りる場所を探す。タオルなんてものはなさそうなので、手は濡れたままである。

 キッチンのある部屋の扉の後ろに、明らかに色の違う板を見つけて、玲那はそれを外した。倉庫と言うだけあって、ハシゴが備え付けられており、案外深く掘られている。そこを降りると、寒気がするほどひんやりとしていた。


「結構、広いわ。ええ、暗いー」

 キッチンからの光では何も見えない。これはまず、明かりを手に入れなければならない。

 そしてふと考える。明かりとは?

 キッチンにあるのは窯。そして薪。蝋燭を立てるような、手持ちの燭台が壁にかかっているのに気付く。ただ、火がない。


「え、火? どうやって点けるの??」

 周囲を見回せば、薪置き場の側に、火種になるような草が箱に入っていたのを見つけた。しかし、火打石のような物はない。どうやって火を起こせば良いのだろう。

 あちこちを探したが火打石はない。仕方なく、なにかで火を作ろうと、庭で石や木を探した。火種の草があるのだから、火花が散れば火が点くだろう。


「え、これ、本当に点くのかな?」

 適度な棒と、適度な板。それからお皿となる葉っぱを探し、キッチンの台で棒をごりごり回転させたが、そう簡単に火が点くわけがなかった。

 落ちていた石で火を点けようとも考えたが、どれだけ擦り合わせても火花は出ない。火が点くような材質の石ではないようだ。


「ここに誰か住んでたんだよね? 火は使ってたんでしょ? なんで道具がないかな」

 鍋など道具の古さを見るに、使用していた人が住んでいたはずだ。使徒が中古で揃えたならば話は別だが、釜の薪には焦げた物が残っており、消した跡がある。誰かが使っていたわけだ。

 しかし、点火する物がない。


「電気なんてないんだから、火を使ってたんだろうけど」

 キッチンのあちこちを探してみたが、何も見付からない。そのうちお腹がぐうぐう鳴り出して、合唱が始まった。

「仕方ない。水でも飲んで、取り敢えず凌ごう」

 水は井戸から汲むしかない。水瓶に水はあったが、いつの水だかわからないので、洗って新しい水を入れる必要がある。


「これ、本当に飲めるのかな」

 井戸は屋根があり、板で蓋をされていたが、開けば葉っぱなどが落ちているように見えた。ゴミを取り除き、何度か汲む必要がありそうだ。

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