27.天使の変化

~~~~~~~~~

 またこの夢だ。


 男の姿でキリと遊ぶという内容の夢だ。


 目が覚めると綺麗さっぱり忘れているし、遊んでいた内容までは思い出せないけど。そんな夢だったはずだ。


 まあでも、キリと遊ぶのだから楽しかったんだろう……と思う。


 目の前にキリが現れた時、変化が起きた。


 不意に心臓が高鳴ったのだ。


 嘘だろ。親友のはずなのに。


 そう思い鼓動を抑えようと胸に手をやると、その感触に更に驚いた。


 いつの間にか俺の姿は女になっていた。


 今となってはしっくり来る、これは自分だと断言出来るくらいには見慣れてしまった女の姿。


 なんで女の姿でキリにドキドキしてるんだ。これじゃまるで――


 ――瞬間、夢から覚めた。


~~~~~~~~~

◇◆◇


「ふわぁぁ~~」


 身体を起こし、両腕を大きく上げて伸びをする。

 頭がスッキリしていて寝覚めも良く、これは良い夢でも見たのかも知れない。


 そんなスッキリした目覚めに関係無く、時間が近づくにつれて段々と憂鬱になってきた。

 もう少しすればキリが迎えに来る。それが嫌だとかそういうわけじゃない。

 だけど、一体どんな顔して会えばいいのか。


 昨日はキリと遊んだ。あれからなんか変だ。

 具体的には、お昼のカフェからだ。


 それまではキリに女として見られて、女として接される事に多少の抵抗はありつつも、親友の範囲内で対応してきたつもりだった。


 だけど昨日のアレは違う。


 罰ゲームというきっかけは確かにあった。

 それに確かに俺は女だし、自分で言うのもなんだが可愛いと思う。

 カップル割引でお得なら、まあ恋人の振りくらいして、キリに見栄を張らせてやっても良い。

 そう思ったんだ。


 そこで恋人の振りを始めてすぐに俺の中の何かにスイッチが入ったようで、恋人の振り……と呼ぶにはちょっと行き過ぎていたような事までしていた気がする。

 しかも恐ろしい事に、俺はそれを嫌がるでもなく、どちらかというと好んで受け入れていた気さえする。

 いや、まあ、……実際楽しかった。なんかうきうきしてた、けど。


 途中、キリの言葉で我に返った後も、やっぱりまだ変で、こう……なんというか……キリを見るとドキドキするようになってしまって、それを隠すのは大変だった。

 お陰で多少ぶっきらぼうになっていたかも知れない、正直細かくは覚えていない。


 店を出て恋人の振りを止めた事でその昂りは収まり、その後は冷静に親友の距離感を保てたと思う。


 だけど、家に帰ってからお昼の事が一気に思い出されて、感情がぶり返してきた。

 枕に顔を押し付けて気分を晴らすように叫んだりもした。でもダメだった。

 抑えよう、忘れようとすればするほど強くイメージされて、それは何度も反芻され、自分の心を塗り替えられていくんじゃないか、そんな気さえするほどだ。


 今は大人しくしているけど、キリを目の前にしたらまたそうなるんじゃないか。

 それが怖い。


 俺たちはあくまで親友同士のはずだ。

 キリは俺に対し女という意味で好意的であるのはハッキリしたけど、俺はまだそうじゃない。はず。

 親友なのに異性として好きになるとか、そんなのおかしいからだ。


 もしキリと恋人になってしまったら、親友じゃなくなってしまうだろう。それは嫌だ。

 キリの事は好きだけど、それは親友としてであって、異性としてじゃない。

 俺は大事な親友を失くしたくない。


 見る限り、キリだって俺に好意を持ってるけど、まだ親友であるように続けてくれている。抗っているように見える。

 親友と思っているからこそ、強引に踏み込んでこないんだ。そうに違いない。


 俺たちはまだ、ちゃんと親友同士だ。


◇◆◇


 呼び鈴が鳴り、来訪者が来た事を知らせてくれる。


 キリが来た。

 どうしよう、まだ心の準備が出来てない。

 なのに、もうすでに心臓は高鳴っていて、バクバクと早鐘はやがねを鳴らしている。


 勘違いするな。

 これは心の準備が出来ていない事への焦りであって、決して期待なんかじゃない。

 そうだ、そうだよ。期待とかおかしいじゃないか、毎日会っている親友に会うだけなのに、期待なんてあるはずが無い!!

 落ち着け!!落ち着け俺!!


「ハルちゃん出ないの? もしもーし、聞こえてる~? ――もう、しょうがない子ねえ」


 ――よ、よし。

 段々と落ち着きを取り戻し、うるさいくらいの鼓動も耳に入らなくなってきた。


「おはよう霧矢くん。ハルちゃんすぐ来るから、もうちょっと待っててね。 あ、そうだ! それまでおばさんとお話でもする?」


 お母さんが何かキリに話しかけてるのが耳に入ってきた。

 って!! お母さん!? なんで!?


「おはようございます。 じゃあ聞いてもらえますか。昨日ハルとカフェ行ったんですけど――」


 よりによってその話題かよ!!


「はいそこまで!! はいはいお母さんありがとうねー、もう大丈夫だから。じゃあ行ってきます!!」


 慌ててリビングを飛び出し、玄関でキリの言葉を止める。

 そのままの勢いで玄関から飛び出した。


 折角大人しくなっていた心臓が、違う意味でバクバクと早鐘を鳴らす事になった。

 なんて心臓に悪い……。

 それにしても ――。


「ってかキリ!! 昨日の事は誰にも言うなよ!!」


「おばさんなら別に良いだろ? まあハルがそう言うなら言わないけど」


 良いわけがない、誰が相手でもだ。

 それにお母さんは小春こはるちゃんの次くらいに知られちゃいけない。

 きっとからかわれるだろうし、余計な気を使ったりしてろくなことにならないからだ。


◇◆◇


「あ、そうだ」


「ん?」


 何の気無しにキリを見た。


「 ――おはよう、ハル」


 キリは歩幅を俺に合わせて横を歩いていた。

 俺の顔をまっすぐに見ながら、いつもの鋭い目で、それでも優しい表情で、俺に朝の挨拶をした。


 完全に油断していた。

 身構えていなかった。

 真正面から受け止めてしまった。


 昨日の出来事が一瞬で走馬灯のように流れ、スイッチがカチンと入ってしまった。

 心臓が跳ね上がり、何かを期待するように熱の籠もった目でキリを見てしまう。


「お、おはよう」


 僅かに残った理性(親友のすがた)でそれだけ言うのがやっとだった。

 やばい!! 明らかに昨日カフェにいた時より悪化してる!!


 挨拶を返した事でキリは嬉しそうに視線を前に戻した。

 幸か不幸か、俺の変化には気付いてないようだ。


 だけど、俺の視線はキリを捉えて放さない。

 横を歩くキリとある事をしたくて上目遣いに見続けていた。


 当然、前を見ずに歩くとどうなるか、子供でも分かる事が起きようとしていた。


 コツン、と道路の小さな段差につまずき、体勢を崩した。

 つっかけ、前のめりに転びそうになる。


 言葉を発する間もなく、そのまま前に支え手を伸ばし、倒れるッ! ……と思わず目を瞑る瞬間。

 咄嗟に、キリが大きな身体、長く大きな腕と手で、俺の手を掴み、腕を回して身体を支えてくれた。

 思わず、支えてくれたキリにしがみ付くように抱き着いてしまった。


「大丈夫か」


 倒れかけていた俺の身体をひょいと抱きかかえ、ゆっくりと下ろしてくれる。

 お陰で冷静さを取り戻し、理性が戻った。と、思う。


「……うん、ありがとう」


 ってちょっと待て。

 このシチュエーション、見覚えがあるぞ。


 ――そうだ。

 以前にも考え事をしてぼんやりとしてて、転びそうになり、叢雨むらさめくんに支えて貰ったんだ。

 ……あの時は何を考えてたんだっけ……?


 ――!!


 それを思い出し、俺の頬は熱くなり、紅くなり、頭から湯気が出そうになり、一言で言えば、赤面せきめんした。

 そう、あの時は「叢雨くんと手を繋ぎたい」と思ったんだ。


 そして今の俺が何をしたかったかと言うと……。

 「キリと手を繋ぎたい」だ。


 ……はぁ。心の中でため息を吐く。

 全く成長していない。


 そしてもっと問題なのは、理性を取り戻した今の俺にその欲求が残っているのか、だけど。


 ――無い!!


 ……と言えれば良かったのになあ。

 現実は、助けてもらってからずっとキリの手を握りしめていて、離す気配がない。


「ハル……手、良いのか?」


 うん、そう思うよねえ。

 ずっと親友だから手は繋がない、としてきたのに、急に手を握られたらキリが戸惑うのも仕方がない。


 そしてもっと戸惑っているのは俺だ。

 こんな事を考えながらも全く手を離したいとは思わないって事だ。

 むしろ繋いだ嬉しさが湧いてきている。困ったことに。いや困ってなくて喜んでいるんだけど。


「手、離せる?」


「え? ……いやハルが握ってるんだけど」


 だよねえ。

 そりゃあ強引に振り解こうとすればキリなら出来るだろう、だけどキリはそこまでする理由が無い。

 元々手を繋ごうとしていたのはキリで、俺が親友だからしない。と拒絶していたはずなのだから。


 ったく。まあ別に……男同士でもないわけだし、別におかしくないし、嫌じゃないし、学校まではこのままで……。

 だけど、そのまま手を繋ぎたい、とキリに伝えるのはなんか癪なので理由を後付した。


「た、助けてくれたお礼に手ぐらい繋いでやるよ」


 そういう事にしよう、だから学校までは我慢だ我慢。そう、これは仕方なしだ。

 勝手にニヤけようとする顔は残った理性で頑張って抑えよう。


「良いのか? ありがとうハル」


 キリからも手を握り返してきた。

 湧き上がる嬉しさに口元が緩み、今喋ると声が震えるだろう。

 それに今きっと感情が隠せないほどの酷い顔をしているはずだ。

 だからそれを悟られないよう、嬉しそうに喜ぶキリから顔を背け、学校へ向けて再び歩き出した。

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