2024年12月31日午前六時。俺は真っ先に律に電話をかけた。

「もしもーし。早いね、どうしたの?」

 律は眠そうな声をしていたが、きちんと電話に出てくれた。

「ごめん。ちょっと体調悪くてさ。出かけられないかも」

 俺はそう言うと、わざとらしく大きな咳をする。すると、律は心配そうに労ってくれた。

「大丈夫?今日は無理しないでゆっくり休んだほうがいいよ。お正月休みはまだあるし、受験終わった後ならいつでも遊べるから」

「ありがとう。当日の朝にごめんな」

「いいよ、気にしないで。お大事にね」

 俺は電話を切ると、ベッドの上で大きく伸びをした。


 俺は、大晦日に律と会うことをやめた。もちろん律の命を諦めたわけではない。しかし、これまでを思い出すと、俺と遊ぶことこそが、律の死のトリガーなのではないかと思わざるを得ないのだ。それならば、律を助けることは至極簡単。俺が律に一切関わらなければいいだけである。


「もし本当にそうなら、これまで律を殺してきたのは俺だったんだな。助けた気になって、バカみたいだ…」

 ふと、無意識にそう呟いていた。そして、それを聞いて、自分の中のある想いに気づく。


『いっそのこと、今回も死んでくれないだろうか』


 あまりにも邪悪で、最低な願い。しかし、これで律が死ねば、律の死の原因が俺ではないことが明らかになる。そうすれば、俺のしたことは無駄ではなかった、間違っていなかったと証明できる。でも、親友に対してそんなふうに思うなんて…。


 自分の汚い思考を振り払いたくて、俺はリビングに向かっていた。相変わらず、早起きな母が朝食を作っている。

「随分早起きねぇ。律くんと遊ぶからって張り切りすぎよ…」

 聞き覚えのある母の言葉に、今度は違った言葉で返す。

「律が予定入ったらしくて、遊びに行くの中止になった」

「あらそうなの。あ、じゃああんた今日暇ね。お昼におせちが届くから、受け取ってくれない?お母さん出かけなくちゃいけないの」

 そういえば前もそんなこと言ってたな、とぼんやり思いながら

「わかった、受け取っておく」

 と返事をした。


 律と遊ばない大晦日はとにかく憂鬱だった。これまでは、律の命を守らなくてはならないというプレッシャーはありつつも、親友と全力で遊ぶことができた。しかし、今はプレッシャーも楽しみもない分、俺のせいで律が死んでいたかもしれないという罪悪感と、俺の知らないところでまた律が死んでしまう恐怖に、真っ向から立ち向かわなくてはならなかった。さまざまな感情が渦巻き、頭痛がする。俺はヘッドホンをつけ、大音量で音楽を聴いた。早く今日が終わることを願っていた。


 それから何時間経っただろうか。やけに外が騒がしく、窓から様子を覗くと、救急車が家の前を通り過ぎていった。さらにパトカーも駆けつけ、あたり一面騒然となる。何が起きたか確認するため外に出ようとすると、外出していた母から電話がかかってきた。

「遥希!大変!律くんが車に轢かれたって…」

 動揺する母と対照的に、俺はやけに冷静だった。そして、安堵していた。律が死んだのは、やはり俺のせいではなかったのだ。しかし、次の言葉を聞いて、状況は一変した。

「律くん、遥希に会いに行こうとしていたみたいよ…」

 意味がわからない。どういうことだ?理解が追いつかない俺にお構いなしで、母は何があったのか教えてくれた。そしてそれは、あまりにも簡単なことだった。


 律は体調の悪い俺の看病をするため、俺に会いに行こうとしていた。


 今思えば、そんなこと想像にたやすい。律はお人好しだ。俺が体調不良を訴えれば見舞いにくることなど、考えるまでもなかった。それなのに俺は、律との関係は完全に切れたと思い込み、その上律の死を願ってしまった。本当に最低だ。あまりにも醜悪だ。


 視界が暗くなっていく。完全に意識を失うまで、俺はずっと律に謝り続けていた。



 それから俺は何度も試行錯誤を繰り返し、どうすれば律が死なないのか、なんとなくわかるようになってきた。やはり大事なのは律を一人にしないこと。しかし、俺一人ではそれは不可能だ。だからこそ、外出するのが効果的だった。周りに人がたくさんいれば、人知れず溺死したり、通り魔に狙われたりする可能性は下げることができる。

 また、比較的長く生きられる外出先や、移動方法を見つけることもできた。

 それによって、安定して午後五時くらいまでは生きてくれるようになったが、完全に死を防ぐのは難しく、最後は運に頼るしかなかった。律を見失ったにも関わらず無事に再会できる時もあれば、ほんの一秒目を離した隙に路地裏に連れ込まれ、暴行死することもあった。


 そしてまた、数十回目の大晦日がやってくる。

 まず真っ先に律に電話をし、行き先をテーマパークから、電車で二駅の距離にある大きな公園に変更する。この公園は水族館や動物園が併設されており、食事を取れる店も多い。夜はイルミネーションがあり、一日中楽しめる場所だ。移動中の事故なども考慮して、できるだけ移動回数は減らしたいため、一日いられるこの公園は好都合だ。年越しの瞬間に花火も上がるので、深夜まで滞在する言い訳もできる。

「めっちゃいいじゃん!俺その公園初めて行く!楽しみー」

「絶対律も気にいると思うぜ。九時にマンションに迎えに行くから」

 律の弾んだ声を聞き、俺も誘導成功を喜んだ。この公園には数回連れていったが、律が帰りたがることは一度もなかった。それなら、今回も大丈夫だろう。


 これから律を迎えに行くことになるのだが、その前に荷物を整える。ハンカチ、ティッシュ、絆創膏、律の好きなスナック菓子は必須だ。これがないと途中で律が買いに行ってしまい、そのズレが事故を誘発する。律が寒がった時のために、一枚カーディガンも持っておく。

 そして一番大切なのが、護身用の包丁だ。不良に絡まれたり、首に紐が巻き付いたりしたとき、これには何度も助けられた。


 準備を終えた俺は律をマンションまで迎えに行き、二人で駅に向かう。その道中、俺は必ず車道側を歩く。歩道にはみ出してきた車に轢かれて死ぬことがあったからだ。さらに、本来直進するはずの道を左折し、遠回りする。直進すると、老朽化した看板が落下し律に直撃してしまう。

「え、道違くない?」

 必ず律はそう言うが、それには決まってこう返す。

「こっちの方が信号が少なくて早く着くんだ。それに美味しいパン屋があるぜ」

「最高じゃん!寄ってこ!」

 こうして律をパン屋に誘導し、駅の到着時刻を遅らせる。そうすることで、ホームに到着した時にはすでに電車がいる状態になり、律が線路に落下するのを防ぐことができるのだ。


「それでさー、前の席の人が消しゴム落として、そこにめっちゃ数式書いてあって、カンニングじゃん!って思ってさ…」

 律はパンを頬張りながら話をしてくれるが、俺はそれを三割くらいで聞き、残りの意識を周りに向ける。危険はどこから来るかわからないし、第一俺はその話をもう何回も聞いた。書いてあった数式が間違っていて0点だったというオチも覚えている。しかし、あまりにも適当に返事をすると、律が抗議するために足を止めてしまい、電車の時間がズレるので、そのギリギリを攻めた会話をする。まあ、会話の公式も決まっているのだが…。


 無事に駅に到着し、電車に乗り込む。この時、律を三号車のホーム側、三人がけの席の真ん中に座らせ、俺はその右隣に座る。他の席は試していないが、ここに座れば必ず無事に目的地に到着できるので、ルートに組み込んだ。


 目的の駅に到着した。多くの人が降りるのを見届け、一番最後に降車する。

「人すっごいね。階段の床が見えない」

 感嘆する律を壁際に寄せ

「そうだな。時間はたっぷりあるし、人が減ってから行くか」

 と提案する。混雑を嫌う律は素直に頷き、再び二人で会話をする。


「この公園の動物園はさ、爬虫類専門の爬虫類館があるんだ」

 俺は決まった話題を振り、分かりきっている返答を待つ。

「そうなの?まあ俺には縁ないけどさ」

「そんなこと言わずに行ってみようぜ?新境地が開けるかもよ?」

「開きたくないし!」

「じゃあ虫専門の昆虫館にするか?」

「虫がつくやつはやめよう!?」

 こうしていつも通りの会話を終わらせ、人がいなくなった階段を上がっていく。階段からの転落を防げば、公園まではもう少し。俺は改めて気を引き締めた。


 公園に着くと、律は広大な土地を見回して歓声を上げた。

「すっげー!テーマパークみたい!」

 目を輝かせる律の腕を取り、俺はレストランへと向かう。

「混まないうちに飯済ませよう。それに、昼時はどこも空くから一石二鳥だな」

 俺が言うと律も頷く。


 レストランでは律は必ずハンバーグを頼む。本当は俺もハンバーグを食べたいのだが、そうすると焼き時間の影響で全ての時間がズレるので、仕方なく提供スピードの速いラーメンにする。俺は先に届いたラーメンを早々と平らげ、律の周りの警戒にあたる。一方の律は、届いたハンバーグを見て満面の笑みを浮かべている。

「めっちゃうまそう…!特別に遥希にも一口あげる」

 律はそう言うと、切り分けたハンバーグを食べさせてくれた。注文できなくても必ず律が一口くれるので、結果的にハンバーグは食べることができるのだ。


 それから、動物園や水族館を回ったり、隣接する映画館で映画を見たり、イルミネーションを楽しんだりして、気づけば二十三時を迎えていた。律を守ることに必死で気づかなかったが、これは新記録だ。後一時間、これはいけるかもしれない!喜びと安堵が溢れてきて、思わず口元が緩む。それを見た律は、俺がイルミネーションに感動したと思ったのだろう、

「遥希がこういうの喜ぶの意外だなー。ロマンチックなとこあんじゃん」

 とからかってきた。

「いいだろ別に。綺麗なんだから」

 ここから先は、会話の公式はない。俺はしっかりと律の話を聞いて、思ったことを答えた。


 二十三時四十分。俺は事前に調べておいた、花火はよく見えるが、ほとんど人のこない花畑に律を連れていった。2024年と、律の死の終わりには、この場所がふさわしいと思ったのだ。律はしゃがんで、そっと花に手を添える。そして、優しい笑みを浮かべた。

「こんな素敵なところで、遥希と年が越せるなんて、マジで幸せだなー。遥希、ありがとう」

「なんだよそれ。褒めても何も出ないぞ」

 俺はそう言いながら、照れ臭さと嬉しさを隠すように目を逸らし、頭を掻いた。

 これで律は死から解放される。俺のループも、使命も終わりだ。


 つまり、もう二度と、この大晦日には戻ってこられない…?


 喜びに溢れていた俺の心に、暗いモヤが広がっていく。しかし、そんなこと知るはずもない律は、俺に明るい未来を語る。

「俺たちも来年は大学生か。大学受かったらさ、一緒にお祝いパーティーやろうね。そうだ、今日行かなかったテーマパークに行こう!思い出の場所だもんね」

 受かったら?俺は受からないかもしれないのに?順風満帆な律が、何もかもうまくいかない俺を憐れんで、嘲笑するのか?…さぞ楽しいだろうな。

「夏休みはさ、二人で旅行とか行っちゃおうよ!」

 俺にはそんな余裕ないのに?俺は律を救うために手一杯だったのに、律は何も知らないで、輝かしい未来だけに目を向けて…。

「来年の大晦日も、ここで二人で花火見ようね」

 来年の大晦日なんて、そんなの、来なくていい!

「あ、そろそろ年明けるよ!後五分!」

 律はそう言って、俺にスマホの画面を見せる。そこには年越しまでのカウントダウンが表示されていた。

 この数字が0になったら、全てが終わってしまう。

 …そんなこと、させてたまるか!


 気づけば俺は、鞄に入っていた護身用の包丁で、律の体を刺し貫いていた。


「は、るき…?なんで…?」

 困惑する律に構わず、何度も何度も律の体を切りつける。大量の返り血を浴び、服が真っ赤に染まる。律が倒れ込み、それと同時に俺の意識も朦朧としていく。それでもなお、俺は律を刺し続けていた。意識を失うその瞬間、カウントダウンが0になった。



 何十回も繰り返していく中で、いつしか俺は変わっていった。

 最初は、ただ律を助けたかった。親友の命を守ってあげたかった。

 しかしいつしか、この一日を攻略していくことに、愉悦を感じるようになった。自分だけが先の展開を知っている。そんな状況に、優越感を覚えるようになった。

 そして、そんな俺にとって、何も知らない明日が来ることは、やり直せない日々が訪れることは、恐怖でしかなかったのだ。律が死ぬことなんかより、よっぽど怖いこと。だって、取り戻せないのだから。



 気がつくと、俺は家のベッドで寝ていた。スマホを確認する。

 2024年12月31日午前六時。

 俺は、大晦日に戻ってきていた。

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