律に、このあとテーマパークに行き溺死してしまうことを伝えようかとも思ったが、それは憚られた。俺に前回の記憶があることを他人に知られたら、この使命が終わってしまう気がしたからだ。だから、律に知られることなく、律が死ぬ未来を変えなければならない。


「あのさ、やっぱテーマパーク行くのやめにしようぜ」

 シャワーから上がった律に、俺はそう告げた。なんとなくだが、どれだけ気を配っても、テーマパークに行ってしまえばまた律が溺死するような気がするのだ。

「いいの?遥希行きたがってたじゃん」

 律は不思議そうな顔をする。確かに、大晦日にテーマパークに行くことになったのは、俺の強い希望があったからだ。俺としては、初めて律と二人で出かけた思い出の場所にもう一度行きたいという気持ちだったのだが、それが最後の外出になってしまっては元も子もない。律が生きてさえいてくれれば、テーマパークなんていつでも行けるのだ。

「大晦日なんて絶対混んでるからな。受験終わってから行こうぜ」

「そうだね。俺も人混みはそんなに好きじゃないし」

 俺の突然の変更にも、律は笑って応えてくれた。律はお人好しだ。そして、それが原因で死んでしまう。優しさが身を滅ぼすなんて、あまりにも残酷だと思った。


「じゃあ今日はどうしよっか。他の場所行く?俺の家で遊ぶのも良いか」

 律の提案に、俺は

「律の家で遊ぼう。多分どこも混んでるだろ?」

 と返した。律を殺さないためには、家でじっとしてくれているのが一番だ。律も笑顔で頷いてくれて、今回は家で遊ぶことに決まった。

「で、まだ六時だけど、遥希は一旦家帰る?俺はここにいてくれても良いけど、親が心配しないかなって思って」

「連絡入れとけば大丈夫だろ。ここで遊ぼうぜ」

 今の俺に律のそばを離れる理由は一つもない。できる限り目を離さないことが一番の対策だろう。

「オッケー。じゃあゲームでもしようか。用意するよ」

 律はそう言って、自分の部屋にゲーム機を取りに向かった。


「ちょっとなんでついてくんの?リビングで待ってて良いのに」

 ゲーム機を取りに行った律の後にぴったりくっついて移動していると、さすがに不満を言われた。しかし、こちらは律の命がかかっているのだ。そう簡単に食い下がるわけにはいかない。

「だってソフトも選ぶんだろ?一緒にやるんだから、俺にも選ぶ権利はある」

「えー、まあそれはそうだけど…。部屋散らかってるからな…」

 律はそう言いつつも、俺の同行は許可してくれた。律の部屋でソフトを選び、ゲーム機を持ってリビングに戻ったが、危険なことは特に起こらなかった。ソファに座り、俺はホッと胸を撫で下ろした。


「そういえば、遥希って進路どうするの?」

 二人でパーティーゲームをしていると、律が突然尋ねてきた。

「え、どうするのって、そうだな…」

 思いがけない質問に、俺は思わず口ごもった。


 志望大学を決めて、それに向かって一生懸命に努力している律と違って、俺はいまだに進路をきちんと決められていない。行きたい大学もなければやりたい仕事もなく、とりあえず両親には、さほど偏差値の高くない近所の大学に行くと言ってあるが、今の成績ではそれも怪しい。正直言って、未来に希望は持てていなかった。

 しかし、律にそんなことを言ってもどうしようもない。

「近所の大学にしようと思ってる。あそこなら俺でも行けるだろうし」

 俺は少し見栄を張ってそう言った。それに律は満面の笑みで応える。

「いいじゃん!遥希ならきっとうまくやれるよ」

「…そうか、ありがとう」

 相手が律じゃなければ、多分俺は嫌味だと受け取っていただろう。順風満帆な人間から向けられる、哀れみと嘲笑。でも、律はそんなことするような奴じゃない。しかし、それが善意で向けられた言葉だからこそ、やり場のない劣等感をどうすれば良いのか、俺にはわからなかった。


「よっしゃ!クリア!一人じゃ全くクリアできなかったのに、遥希はゲームうまいね」

 コントローラーを投げ出して喜んでいる律の横顔を見て、俺は今の使命を思い出す。そして、頭を振って、暗い感情を振り払った。今は律に劣等感を感じている場合じゃない。律がこの先も順風満帆な人生を送れるかどうかは、俺にかかっているのだ。そんな感情に支配されていては、助けられるものも助けられなくなってしまう。

 俺は心機一転、笑顔を作って律の肩に手を回した。

「まー俺に任せとけばこれくらい楽勝だな!」

「自画自賛すんなよー!」

 律もそう言って笑い返してくれる。俺はこの日常を守らなければならないんだ。


「手伝ってくれたお礼に、なんかご馳走するよ」

 律はそう言って冷蔵庫を確認しに行くが、

「ごめん、遊びに行くと思ってたから何にもないや。買いに行こう」

 と外出の準備を始めた。

「いやいいよ!腹減ってないし!なんもなくて良いから!」

 俺は慌てて律の行動を止めるが、律は訝しげな顔をする。

「よくないでしょ。お昼ご飯もないから、どっちみち買い物は行かないと。今ちょうど九時でスーパー開店したから、混む前に行きたいんだけど」

 そう言われて返事に困る。テーマパークをやめるために「混むのが嫌」と言ってしまった手前、「混んでも良いからあとで行こう」とは言えなかった。そうなると、律を家から出さないためには…

「俺が買いに行くから。奢ってやるよ」

 そう言うしかなかった。正直、律を家で一人にするのは心配だったが、外に出すよりかはよっぽどマシだろう。

「遥希の奢り!?サンキュー!最近金欠だったから助かった!」

 律は、聞き覚えのある言葉を言うと、用意していたエコバッグを俺に渡してきた。

「すぐ帰ってくるから、家から出るなよ」

 俺はそう言い残して、スーパーへと買い物に向かった。


 律の言う通り、開店したばかりのスーパーはそれほど人がいなかった。カートとカゴを用意すると、急いで適当な弁当とお菓子、ジュースを入れてレジに並んだ。年末で人手が足りないのと、開店直後なのもあってか、レジは半分しか稼働していなかった。その上、このスーパーは最近では珍しくセルフレジを導入していないので、有人レジに並ぶしかない。人が少ないといっても年末だ。レジには列ができている。


 俺はスマホで律に連絡を取りながら列が進むのを待っていた。幸い、律からはすぐに返信が来るので、家で待ってくれているのだろう。ようやくレジの順番が来た。スマホはポケットにしまい、財布を取り出して会計をする。受け取った商品を急いで袋に詰め、スーパーから出ると、再び律に連絡を取った。


 しかし、今度はいつまで経っても返信が来ない。嫌な予感がする。俺は全速力で律のマンションに向かった。走ればせいぜい十分の距離だ。息を切らしてマンションに辿り着くと、エントランス前にはあの時と同じように、人だかりができていた。人ごみを掻き分け、ようやく律の姿が見えた。


 律は、刃物で腹部を刺され、血を流しながら倒れていた。手にはスーパーのポイントカードが握られている。そのそばでは、数人の男が刃物を持った男を取り押さえている。おそらく、そいつが犯人なのだろう。野次馬から、通り魔という言葉が聞こえてきた。

 つまり律は、俺にポイントカードを届けようとしたところで、運悪く通り魔に襲われ、殺されてしまったということか?


 救急車とパトカーが到着し、犯人は連行され、律は担架に乗せられて病院に搬送されていった。しかし、周りの様子を見るに、律はもう助からないのだろう。


 また失敗した。律を一人にしてはいけないとわかっていたのに、家の中なら大丈夫だろうと思ってしまった。律が勝手に外に出る可能性を考慮しなかった。せめて二人で外出していれば、通り魔に狙われることはなかったかもしれなかったのに…。


 体から力が抜け、視界が暗くなっていく。大丈夫、きっとまた戻れる。俺に使命があるならば、もう一度チャンスをもらえるはずだ。

「ごめんな、律…。今度こそ、ちゃんと守ってやるから…」

 俺の意識は闇の中に落ちていった。



 慣れた家のベッドで目が覚める。スマホを確認すると2024年12月31日朝六時。俺はまた、大晦日の朝に戻ってくることに成功した。前回は見切り発車で律に会いにいってしまったが、今回はきちんと作戦を立ててから会いに行こう。俺のせいで律が死んでしまうのは、もう懲り懲りだ。


 二回の律の死を思い出してみると、そこには共通点があった。俺が律に奢ると言うと、律は同じ言葉を言って、俺を待つ間にその場を離れその先で死ぬ。つまり、俺が律に何かを奢るために、律を一人にすることが、死のトリガーになっている可能性は否定できないということだ。それならば、俺が律のそばにぴったりくっつき、片時も一人にしなければ、律の死は避けることができるはずだ。


 俺はリビングに行き、朝食を作っていた母に頼んで二人分の弁当を作ってもらった。それから、家にあるお菓子を大量に鞄に詰めた。これだけ食べ物があれば、律がスーパーに行きたがることはないだろう。それから、二人で遊べるゲームソフトもありったけ用意した。やることがなくなって、「遊びに行こう」と言われるようなことがないようにするためだ。

 そして、最後の仕上げに、母にバレないよう鞄に包丁を一本忍ばせた。律の外出を止められなかったり、家に誰かが押し入ったりした時のための保険だ。


 確証はないが、今日一日を乗り越えることができれば、律はもう大丈夫だと思う。今日だけは、絶対に律から離れないと覚悟を決めた。


 前回と同じように律の家に押しかけ、適当な言い訳をつけて部屋に入らせてもらった。律は眠そうにしていたが、俺がいないうちに死なれては困るので仕方がない。母が作った弁当を見せると、律は嬉しそうにした。

「美味しそう!遥希のお母さんは料理うまいね!毎日これが食べられるなんてマジで羨ましい」

「冷食も結構入ってるけどな」

「冷食美味しいじゃん。それに俺、誰かの手作り料理食べるの久しぶりだから…」

 そう言う律の顔からは、寂しさが滲み出ていた。律の両親は昔から仕事が忙しく、一人で留守番をしたり、親戚の家や俺の家に泊まったりすることも少なくなかった。気丈に振舞ってはいるが、寂しさを感じて当然だ。

 俺は律の背中を叩くと、

「今度俺がなんか作ってやるよ」

 と笑いかけた。

「えー、遥希料理なんてできるの?」

「まあそりゃ、カップ麺くらいなら作ったことあるし。あとレトルトカレーとか」

「それ料理じゃなくない!?」

 そう言って、律は再び笑顔を取り戻した。


 その後、ゲームをしたり弁当を食べたりして、律が死なないまま午後三時になった。これまでは午前中に命を落としていたため、ここまで生きられたのは新記録だ。もしかすると律は死なないかもしれない。そう思った矢先

「ちょっと洗濯物干してくるね」

 と、律がカゴを持ってベランダに出ようとしていた。俺は急いでカゴを取り上げた。

「やめろ!そんな危険なことするな!」

「え、いや何が危険なの?洗濯物干すだけじゃん」

 律は困惑しているが、ベランダが危険じゃないわけがない。ここは十二階だ。転落したらひとたまりもない。しかし、そんな事情を知らない律は不満を口にする。

「早く干さないとしわになっちゃう。いつもやってることだから危険なんてないし」

「…わかった。じゃあ俺も手伝うから、二人でやろう」

 俺は鍵を開けると、カゴを持ってベランダに出る。柵から下をのぞいてみるが、やはり十二階はかなりの高さだ。俺に続いて律もベランダに出て洗濯物を干し始めた。

「すぐ終わるから、手伝わなくても良いのに」

「すぐ終わるならこれくらいやらせろよ」

 俺は急いで洗濯物干しを終わらせ、律をベランダから押し出した。鍵をかけ、律の無事を確認する。幸い、何事もなく終わったようだ。


「なーんか今日の遥希、過保護じゃない?なんかあった?」

 その後、ソファに座って休んでいると、律にそう聞かれた。あのあとも、お茶を入れようとしたら「火は危ない」と付き添ったり、ハサミを使おうとしたら「刺さったらどうする」と代わりにやったり、挙げ句の果てにはトイレにまでついて行こうとしたため、流石に怪しまれたようだ。

「家庭内の事故、みたいなテレビ特集見て、怖くなったんだ」

「ほんとー?」

 そう誤魔化したが、律は納得していない様子だ。しかし、怪しまれても良いから危険を排除しなくては、また律が死んでしまう。

「ほら、そんなことよりゲームしようぜ。色々持ってきたからさ」

 俺はそう言って、無理やり律の興味を逸らした。


 それから数十分、律から離れたくなくてずっとトイレを我慢していたが、流石にもう限界だ。

「ちょっとトイレ行くけど、律も来る?」

 そう聞くが、律は首を横に振った。たった数分でも律のそばを離れるのは心配だったので、できることなら拘束して机に縛りつけてやりたかったが、流石に怪しまれるし、なんなら家を追い出されるかもしれない。それならプライドを捨ててここでしてやることもできるが、多分風呂に入れられるだろうし、そうなれば律から離れる時間がもっと長くなってしまう。仕方がないので、覚悟を決めてトイレに行った。


 トイレから戻ると、案の定だった。目を離したのは、体感でたかだか二分。それなのに、リビングには律の姿はなく、ベランダの鍵は開かれていた。柵から下を覗くと、まだ誰にも見つかっていない、大量の鮮血が見える。その場で座り込むと、律のスマホが落ちていることに気がついた。俺がトイレに行っている間にスマホを見ようとし、ベランダに落としたことに気づき、取りに行ったところでバランスを崩して転落。これが事の顛末だろう。


 ベランダからの転落は予想できていた。だから、一人で行かせることはしなかった。しかしこれは、どうやって防げば良かったのだ。どの手段を取っても、最終的に律は俺の隙を見てスマホを取りに行っただろう。スマホを落としたことに気づかなかったのが悪いのか、ベランダに少しでも行かせてしまったことが悪いのか。そばにいたところで、俺は律の死を防ぐことはできなかった。


 絶望感が脳を侵食していく。戻ることができるのが俺じゃなかったら。それこそ律だったら、きっともっと上手くやれた。今頃、誰も死ぬことなく新年を迎えることができていた。律のそばにいたのが、俺じゃなければ…。


 後悔と絶望の中、段々と視界が暗くなり、俺の意識は闇の中に落ちていった。

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