第26話

 …最低だ。


 蓮の気持ちに答えられないくせに、


 蓮を利用しようとした。


 オフィスでの一日は忙しく過ぎていった。


 朝の出来事が頭から離れないまま、私は仕事に集中しようと努めた。


 書類を整理し、メールをチェックし、会議に参加する。


 だけど、社長の言葉が何度も頭の中で反響する。


 夕方になり、オフィスの照明が少しずつ暗くなっていく。


 外はすっかり暗くなり、雨がしとしとと降り続いている。


「由莉、まだ帰らないのか?」


 蓮の声にハッとする。


 時計を見ると、長針は7時を指していた。


 もうこんな時間か…。


「うん、もう少ししてから帰るよ」


 微笑みながら答えるが、その笑顔はどこかぎこちない。


 蓮はそれに気づいたのか、さらに心配そうな表情を浮かべる。


「終わるまで待とうか?」


 今は、蓮に合わせる顔がない。


 蓮の優しさに触れるたびに、心が揺れ動く。


 蓮はいつもと変わらず、優しく接してくれるけど、その優しさが逆に胸を締め付ける。


「大丈夫」


 私は一瞬、目を伏せた。


「そ、頑張りすぎんなよ」


 蓮は優しく微笑み、由莉の肩に軽く手を置いた。


「うん」


 小さく頷き、再び仕事に戻る。


 心の中では、蓮の優しさに甘えたい気持ちと、彼を傷つけたくない気持ちが交錯していた。


 ようやく仕事が終わり、オフィスを出ると外はすっかり暗くなっていた。


  雨がしとしとと降り続いている。


 傘を持っていなかった私は、タクシーを捕まえようと道路に出る。


 だけど、なかなかタクシーが見つからない。


 その時、車のクラクションが鳴り、振り返ると黒の車が停まっていた。


 社長が窓を開けて声をかけてくる。


「乗ってくか」

 

 社長…?


 どうして、


 驚きと戸惑いが交錯する。


「いえ、大丈夫です。タクシーを捕まえます」


 社長は引き下がらない。


「雨だからなかなか拾えないだろ。遠慮せずに乗ってけ」


 その言葉に少しだけ心が揺れたけど、やっぱり断ることにした。


「ありがとうございます。でも、本当に大丈夫です」


「由莉、」


 その時、ふと心の中の疑問が口をついて出た。


「どうして私に構うんですか?」


 社長は一瞬驚いたような表情を見せた。だけど、何も言わない。


 余計なことを口走ってしまった。


「すみません。忘れてください」


 そう言って、再びタクシーを探そうとするが、社長が傘を差し出してくる。


「じゃあ、せめてこれ使って」


 傘ぐらいなら、受け取ってもいいよね、


「…ありがとうございます」


「気をつけて帰るんだぞ」

 社長の言葉に頷き、傘を受け取る。



「はい。社長もお気をつけて、」


 社長の車が去っていくのを見送りながら、傘を開いて雨の中を歩き出す。





 雨音が心を少しだけ落ち着かせてくれるような気がした。

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