第9話 第8話 焼死体の検屍 その4
現場は住宅が密集しているエリアだった。
むせ返る熱気に乗って焦げた匂いが流れている。
黒焦げになった柱や、かろうじて残った梁から水が滴っている。
懸命に消火活動が行われたようだが、両隣の家に延焼したようだ。
全焼とまではいかないが、焼け崩れ、住むことはかなわないだろう。
入口であったであろう場所から宋慈たちは家のなかに入った。
ばきばきと木が踏まれて折れる音が響く。
滴る水滴を鬱陶しいと思いながら、居間を抜け台所へと進む
おそらくそこが火元であったのだろう
かまどのあたりが激しく燃えた跡があり、壁の木は崩れて穴が開き、家の裏が丸見えになっている。
そんな現場よりも目に入るものがある。
かまどの前に横たわる真っ黒な肉塊だ。
手は強く握られ、腕と足はたたまれ、胎児のような姿勢であった。
様々なものが焼け焦げた匂いが立ち込めえずきそうになるのを静が必死に我慢している。
「この方はこの家に住む
男が肉塊をそう紹介した。
それを聞くのが早いか宋慈はしゃがみこみ桃の顔を覗き込んだ。
その顔は焼けただれている。
宋慈はおもむろに死体の口に手をねじ込み始めた。
その場にいた誰もが驚愕し、男はおろおろとして止めるべきか決めかねていた。
宋慈は両手に力を込め、口を無理やりに開いた。
そしてその中を覗き込んだ。
美月たちからも白い歯が見えた。
ふむと一息ついて宋慈が立ち上がった。
「この人は殺されているね」
男は訳が分からない様子で口を開けている。
「な、なぜ殺されているとわかったんですか」
静がそういうと、宋慈はおもむろに近くの柱を指でぬぐった。
そしてその指を美月たちの方へ向けた。
その指には水に溶けた煤が付着している。
「火事が起こると木が燃えてその煤が煙に乗るんだ。人間は呼吸をしているわけだからその煙を吸ってしまう。当然口や鼻から煤も吸い込んでしまう」
そう言って宋慈はもう一度死体の口の中に指を入れ、先ほどとは反対の手の指で口の中をぬぐった。
美月たちに向けられた指には煤がついていなかった。
宋慈が立ち上がる。
「さて、なぜこの人の口の中には煤が残っていないのか」
「死んだ後に焼かれたからか」
美月が顎に手を当ててそう答えた。
「その通り、呼吸が止まった後に周りが燃えたから煙と煤を吸い込まなかったんだ」
「な、なるほど」
男が相槌をうつ。
「さぁ、小月仕事だよ」
そう言って宋慈は死体を指さした。
「この死体をどけてほしい」
何を言い出すかと思えば、汚れ仕事にもほどがある。
確かに戦場では敵の火攻めにあい焼け死んだ仲間の死体を運んだりしたこともあったが、などと考えながら、美月はしぶしぶ死体を抱え上げた。
かろうじて焼け残った服が垂れ下がる。
固く焼けた肉の感触が美月の両腕に伝わってくる。
思わずこみ上げる吐き気を無理やりに抑え込めた。
しばらく焼いた肉は食えないかもしれない。
宋慈に指示され、死体を少し離れた床に置いた。
死体のあった場所だけが灰がなく、床の木が見えている。
まだ燃え切っていないが、ところどころ熱で焦げ黒くなっている。
すると宋慈は再びしゃがみ込み、腰から下げている袋の中から小瓶を取り出して、その中に入っていた液体を死体のあった床にまいた。
鼻を突く酸っぱいにおいがあたりに漂った。
「それは何だ」
覗き込みながら美月が聞く。
「これは米酢だよ」
そういって宋慈が立ち上がる。
するとみるみるうちに燃え残った床が赤黒く染まっていった。
その大きさは死体を置くために敷かれた絨毯のようだった。
「よかったね。ここが殺人現場みたいだ」
「これは何なんですか」
静が口元をおさえながらそう尋ねた。
「これは血だよ。米酢をかけると、火事の現場でも血の色を戻すことができるのさ」
確かに先ほどまで焼けて黒く染まっていた床は赤色になっていた。
「だが、血痕があっただけではここで殺されたとはわからないのではないですか」
男が少し離れたところから声をかけた。
「君は殺人現場をみるのは初めてかい」
宋慈は米酢の瓶をしまいながら聞いた。
当然だという風に男は頷いた。
「人間っていうのは死んでしまうと生きているときと比べて血の出る量がすごく減るんだよ」
この現象は美月も戦場で経験がある。
体を切り裂かれた死体でも完全に息の根が止まった体からは血はそれほど出ていなかった。
「つまり、どこかほかで殺した後にここに死体を運んで火をつけたならば、死体の下にこれほどの血が残ることはないんだ」
「火事の前に殺されていたのはわかったが、ではどうやって殺されたんだ」
「それは、まだわからないけど、それほど難しくなさそうだよ」
宋慈はにやりと笑ったが、その真意をくみ取ることは美月にはできなかった。
宋慈の指示により、男はこの火事の第一発見者、つまりこの火事を通報した者を探しに行かせた。
洗冤集記 ジーン @zeenwinter
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